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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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#哲学

「閲覧数」が多い順で自分の雑記10本並べてみました。

「閲覧数」が多い順で自分の雑記10本並べてみました。

残暑見舞いスペシャル第2弾!

いや、「はじめまして」の皆様に向けてならば、今回のタイトルくらいの企画のサイズのほうが、どう考えてもよかったよね?と。
(今になって、「4年間の総まとめなのだとしても、ちょっと以下の企画は気合を入れ過ぎた」=「THE 大全集すぎ、ボリューミーになり過ぎた」、かな?と思い始めています。笑)

(にもかかわらず、読んでくださった皆様、目を通してくださった皆様、本っっ当~

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自分を不機嫌にする張本人は自分自身と気づくまでの4年間【これまでのnoteまとめと索引】

自分を不機嫌にする張本人は自分自身と気づくまでの4年間【これまでのnoteまとめと索引】

このまとめ記事の元タイトルはこうだった。

-「三毒」を制す為の処方箋を自分なりに探した日々-

一言で言うなら、「自分を不機嫌に、更に言えば不幸にしているのは、自分自身が発生させている『三毒』だったのだろうな」ということである。

「三毒」とは。

これらの「毒」は、世の中や他者を毒する面もあるが、何より、「自分自身を毒する」というそれこそが問題なのである。

『それにしても何故、わざわざ「自分

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「どうにもならないこと」はあって然るべきなのだ

「どうにもならないこと」はあって然るべきなのだ

『私は努力したのだから、人より多くもらって当然であるはずなのに。』

少し前までの私は、このような「傲慢な考え方」が、どこかにあった気がする。

いや、こういう考えを態度に出して「あからさま」にしていたわけではない。――これまでこれが露骨に表面に出ていたことは(あるいは時期は)、なかったと思う。

でも、心のどこかに、こういう考え方があったし、物事への向き合い方に、こういう姿勢がちょいちょい入って

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生物がいない世界を想像する

生物がいない世界を想像する

「誰もいない世界」を、想像してみればいいのか。

そうすれば、 人というものは、 (見知らぬ人ですらも、) そこにいてくれるだけで、 ありがたい存在ということになるのか。

「何もない世界」――もしも「何も」存在しなければ、この世はただの暗闇の空間でしかないのだ。

その中で、たとえば生物(動物も植物も)――その中でも人ならば殊更、そこにいるだけで、「暗闇の中に灯る一つの明かりのようなもの」にだっ

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スタート地点にはいつでも立っているんだよな

スタート地点にはいつでも立っているんだよな

内田樹さんの文章よりメモ書き。

「ここ」がスタート地点なのに、「ここじゃない架空の場所」を設定してスタート地点にしたって、それでは「架空」の域を、いつまでたっても出られないんだよな。

「今の自分」を、どうするか、どうしたいか、から考えて動くようにしないとな。

ナウシカの「腐海」を見倣ってな(めぐりめぐって)

ナウシカの「腐海」を見倣ってな(めぐりめぐって)

たとえば、もし私自身が幼少期に、「毒親に日常的に生活を破壊される」とか、「極度の貧困でその日食べるものもままならない」とか、そういう状況に陥っていたら、「誰でもいい、誰か大人の人で、自分を救ってくれる人はいないだろうか」と、やはり考えるだろうと思う。

本来、その「仕事」は、国であり、地方公共団体でありが担うべきであろうが(そういうことにも対処してほしい、それも含めて、我々は税金を納めているのだ!

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「自分の好きなもの」を自分の世界の中心に置けばいいのか

「自分の好きなもの」を自分の世界の中心に置けばいいのか

犬や猫ですら、人のことは(多分)人だと認識できるのに。

人こそが、人のことを人とも思えなかったりする。――そんな世界が、虚しすぎるのである。
(国内然り、国外然り、である。)

「チェスの駒じゃないんですよ? その人も、この世にたった一人しかいない、命を持っている人なんですけど?」
「食う飯にも困っている子供がいるというのに、どうして税金でそんなことができるんだろう……。」

「仕方ない」と思え

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「毎日」とは人生の最期に見る「走馬灯」をゆっくり眺めているようなものなのだ

「毎日」とは人生の最期に見る「走馬灯」をゆっくり眺めているようなものなのだ

今回の元タイトル。
「『最期』に問うことを基準に生きてみる」。
(こっちのたほうがわかりやすかったかな??)

(以下、本文です。)

「いかに人より多く得をしてきたか」
なんてことを、
死ぬ間際に真っ先に思い返す人って、
あんまりいないと思うんだよなー。

――いや、
何が言いたいのかというと。

人より損した得したなんて、
そこらへんは割と
「人間が人間として生きる」
にあたっては、割と
どー

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「盲目的な愛」は、それ、愛じゃないと思う

「盲目的な愛」は、それ、愛じゃないと思う

愛するものの中身にだって、 嫌いな部分や間違っていると思える部分が混じって含まれてしまうのは、 むしろフツーの事。
――そういう部分ひっくるめて愛するのが、愛だよな、と、私は思っている。

まず。
「何でも絶対的に跪いて従う」ような、「絶対的」言うなれば「盲目的」な愛は、それ、本来の「愛」とは別の類の「愛」だと私は思うし。
(すると、「そっちの愛」の対象は、「絶対こうでないといけない」みたいな、妙

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天国は「作る」ものである

天国は「作る」ものである

「天国に行ける」なんて言い方は、もしかすると、少しだけ、「嘘」だと思う。

行けたとしても、毎日そこにいれば、 天国が、いずれ「当然」になり、 それがやがて只の「日常」となっていくだけなのではないだろうか。

――そう考えると。
「この、ごくフツーの日常」も、もしかすると??

下手すりゃ「時々地獄」とが、 隣り合っていてこそはじめて、天国は、天国と感じられるところもあるのではないかと。

天国な

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振り向けば極楽

振り向けば極楽

たとえば。

夜明け前であろうと
早朝であろうと、
コンビニや24時間スーパーは開いていて、
そこに人がいてくれて、
結構何でも
欲しいもの必要なもの揃っていて。

こういうのって、
「手ごろなサイズの極楽」
だと思う。

――近所の池には
蓮の花も咲いているし。(笑)

「元から」すぎて、
当たり前になり過ぎて、
あらためてはもう
何もありがたみを感じなくなっている
そんな物事にこそ、
だいたい

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生まれる前から知っていたのか、生まれてこの世で学んだのか

生まれる前から知っていたのか、生まれてこの世で学んだのか

「哲学の学び直し」をやってみようなんて思い立ち、先日、哲学に詳しい人に「初心者なら、どこらへんからなら、読み易いですかね?」(すぐラクをしようとする私。笑)(でも、哲学の本って、読みにくいのが多いんだもん!!)と、お聞きしたところ。

プラトンの『メノン』が、対話形式で書かれており、とっつきやすいのでは?と教えてもらった。

と、いうわけで、早速amazonの古書を注文をしたものの――届かない!(

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#哲学

#哲学

「#哲学」――うん、何だか自分で自分の書いたものにこのハッシュタグをつけるのって、畏れを知らないというか(笑)、「この人、自分でよく言うよ」「何気取ってんの?」なんて思われるんじゃないかとか、そんなふうにこれまでは感じていたんだけど。

でも、自分が一番、書きたいし、突きつめたいのって、ジャンルとしては「哲学」なんじゃないかなあ、なんてこの頃は思っている。

学生時代に、もっと勉強しておけばよかっ

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自分が他者を「正す」ことはできないと思うので

自分が他者を「正す」ことはできないと思うので

タイトルについて――いや、先に誤解のないように言っておくが。

他者の「間違い」を、だから「全面的に受け入れろ」とか、「全部に目を瞑って諦めろ」とか、そんなことを言いたいわけではない。

「それは人として間違っていると思いますよ?」
「自分はそれを正しいとは感じられませんが?」
ということは、そう思い感じるならばその相手に、伝えるだけ伝えたり、説明を試みたりは、したほうがいいとは思う。

――ので

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