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「クラシック史」と「ポピュラー史」の位置付けと捉え方

僕のnoteを「クラシック史とポピュラー史をつなげてみた」という図表と記事シリーズで知っていただいた方が多いと思いますが、

【リンク】
●図解年表(PDF)掲載記事
●音楽史記事一覧

ひとことで「クラシック史とポピュラー史をつなげる」と言っても、実際に僕がやっていったプロセスというのは、単に「2つのものを接続する」というような単純作業ではありません。


これまで、各時代の音楽史を紹介した記事内では、その都度、それぞれのジャンルに存在する史観・立ち位置を「相対化」していく書き方をしたつもりですし、「ジャンルごとの横の流れではなく、同時代現象を縦に捉えて1つの記事にまとめる」という部分にこだわった意味が伝わっていて欲しいと願いたいのですが、それでもまだ、僕の「音楽史」について文字通り単に、古い「クラシック史」と新しい「ポピュラー史」をそのまま繋いだのだな、と捉えてしまっている人はいませんか?

このような図式で考えていませんか?

そんな単純な話ではないんです!!


この部分を解きほぐしていくためにまずは、次のことを理解していただく必要があります。それは、

現在学問として定着している「クラシック正史」や、ポピュラー史の主流の史観として一般に普及している「ロック史」というのは、音楽全体からみて「ごくごく一部分の視点」でしかない。

ということです。

文字上だけで言えば、この「視点の偏り」を反省する視点を持って音楽史を研究している方も現在では非常に多い気がしますが、そこからいきなり「さらに古い考古学的な研究」へ飛んだり、「民族音楽」「非西洋音楽」への興味、または音響学的な方向で音楽そのものを哲学的に反省したり西洋的な概念を批判・破壊する方向で探求が進んでしまう人ばかりな気がしていて、それも僕の意図する方向性では全くありません。

現状で幅を利かせている音楽史の史観が実は偏っているのだとして、そこで僕が問題視したいのは、たとえば

「クラシックとポピュラーで実は時代が重なっているのに同時に描かれない部分」

だったり、

「クラシックからはポピュラー的だとされているが、ポピュラーからはクラシック的だとされてしまっている音楽」

だったりします。

クラシック史からもロック史からも対象外にされてしまう"板挟み"の領域が存在する。


ここを掬い取っていくことが、根本的に「クラシックとポピュラーを接続する」に繋がる部分だと思いますし、最終的にここから「様々な音楽ジャンルについて考え、尊重する」「みんな違って、みんな良い。」が体現されていく唯一の道だと信じています。


このような考え方をふまえて読んで欲しいのですが、結局のところ僕が執拗に「個別にしか書かれていないものを接続したい!」と主張していた対象である「各・音楽史」の分野数というのは、最低でも、以下の10個になります。

  1. 西洋音楽史(クラシック史・正史)

  2. 吹奏楽史

  3. 劇場音楽・ミュージカル史

  4. 映画音楽史

  5. ジャズ史

  6. ロック史(またはブルースなど含む「アメリカ音楽史」正史)

  7. ブラックミュージック史(ソウル、ファンクなど)

  8. ヒップホップ史・R&B史

  9. クラブミュージック史

  10. ラテン音楽史

ここに挙げた各「○○史」は、別に僕が今ここで細分化して書いたわけではなく、本当にそれぞれが別々に存在している分野なのです。本当は地続きで分野も時代も重なっているはずなのに、それぞれに特定の史観が存在し、バラバラにしか書かれていない。

この現状を押さえておかずして、誰が、さらにマニアックで深い「音楽」を語れるでしょうか。

特定の、細分化した分野を探求するのではなく、まず音楽を考える前提としてこれらを繋げていくべきだと考えるのは、至極健全ではないですか?

僕は2つのものを繋げたのではありません。10以上の分野を「同じテーブルに載せる」という作業をしたのです。これらを「接続」していくうえで、「分野ごと」ではなく「同時代ごと」でまとめて書いていくというのが非常に重要になったということ、ご理解いただけるでしょうか。

僕が「ミクロよりマクロの視点で」というふうに主張しながらも「考古学的な研究や民族音楽の探求には興味がない」と言い、「バラバラに書かれているものを並列で書いているだけ」と主張しながらも「ただ接続しているだけではない」という、一見一貫性のないスタンスの言葉を発してしまっている含意を汲み取っていただけるでしょうか。

「クラシック史もロック史も一視点でしかない、かといってその反省でいきなり非西洋の民族音楽などに発想を飛ばすのも極端すぎる。客観的な歴史などありえないが、俯瞰図として妥当な視点はこうだろう」みたいな主張が、何となくニュアンスとして伝われば嬉しい限りです。

この前提で、もう一度、例の「音楽史図表」や、「メタ音楽史」の記事シリーズを読んでいただき、より僕のスタンスが理解してもらえれば幸いです。

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