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記憶

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記憶をあつめる作業中。
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母の永眠に寄せて…

母の永眠に寄せて…

この世界でいちばん大切で、大好きな母が、
2024年3月31日 0:23に永眠いたしました。

葬儀は4月2日に近親者のみで執り行いました。

63歳でした。
難病指定の肺高血圧症とアルツハイマー型認知症で約7年間の闘病でした。

眠るような表情は穏やかでとても綺麗でした。
肌もふっくらとすべすべで。
あぁ、まだ若いなぁと思いました。

生きているうちに、母にはたくさん、愛を伝えてきました。

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記憶 −隣りの病院−

記憶 −隣りの病院−

「あなたのせいでおじいちゃんは死んだのよ」

そう言った祖母の言葉が、今も脳裏にこびりついて消えない。

♦︎
中学三年生の時、祖父が入院した。

ちょうどその病院は、中学校の隣りにあって(正確には間に発電所みたいなよくわからない施設を挟んでいたのだけど)、放課後、立ち寄るにはなんの障害もない、便利な立地だった。

ちょうどその頃、生活のほとんどを捧げていた部活動も引退をしたあとで、受験勉強はあれ

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記憶 -曖昧性への考察-

記憶 -曖昧性への考察-

最近、よく悪夢を見る。

それは大抵、私が今、気にしていることだ。

夢の中でさえ夢を見られない。

現実と明らかなファンタジーが交錯していれば、それは架空であるなとわかる。

しかしながら、現実のような夢を見てしまった場合、リアルに起こった現実との境目が、混じり合ってしまうこともあるかもしれない。

その事実をそれと認識しているのが自分一人であった場合、ほかの誰も知り得ない事実の改竄は容易に行え

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記憶 -濁り-

記憶 -濁り-

5歳の時に死ぬはずだった。

なんて言えば大袈裟に聞こえるが、そんなに大したことがあったわけではない。

実際、大袈裟に言っている。

ただ目を引く一文目を書きたかっただけだ。

5歳の時に "死んでいたのかもしれない" 。

言い方としてはこちらの方が正しい。

♦︎
アウトドア好きな父はよく、私たち家族を連れて、海へ山へと繰り出していた。
父母、7つ上の姉、4つ上の兄、それが私の平凡でごくしあ

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記憶 -写生-

記憶 -写生-

小学校の図工 ( 小学校では"美術"じゃなくて"図工"という名称だった。) の授業で、
《 学校の敷地内で好きな場所のスケッチをする 》
というものがあった。
いわゆる、写生大会だ。

♦︎
私はとても優等生であった。

なんでもある程度、人よりもうまく出来る。

成績は体育以外オール5。
テストは100点じゃないものを数える方が早かった。
絵や書道も、習い事をせずとも、毎回必ず賞を獲っていた。

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記憶 -風刃-

記憶 -風刃-

風圧を、身体の前面で、めいいっぱいに受けとめる。

速く速く前に進みたいと全身が訴えているのに、眼前の "空気の壁" がそれを阻む。

それがとても煩わしくて、この分厚い見えない壁を斬り裂いて、前に、進みたいと思った。

♦︎
中学3年の体育祭でリレーの選手になった。

これは私にとって大躍進の出来事で、私の人生史上、後にも先にもこの時の身体能力を超えることはきっと無いだろう。というくらい毎日必死

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記憶 ー番鳩ー

記憶 ー番鳩ー

私が小学生のあいだ、うちには鳩がよく遊びに来ていた。
鳩なんてどこにでもいるだろう、と思われてしまうかもしれないが、そうじゃない。

祖父が、" 鳩寄せ " をしていたのだ。

♦︎
私の家は、一階部分が駐車場になっている、いわゆるビルトインガレージだったのだが、駐車場部分は前後が大きくひらいたままの風通しのよい造りになっていた。

それで、仄暗いガレージにも、鳩が入って来やすかったのだろう。

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