記憶 -濁り-
5歳の時に死ぬはずだった。
なんて言えば大袈裟に聞こえるが、そんなに大したことがあったわけではない。
実際、大袈裟に言っている。
ただ目を引く一文目を書きたかっただけだ。
5歳の時に "死んでいたのかもしれない" 。
言い方としてはこちらの方が正しい。
♦︎
アウトドア好きな父はよく、私たち家族を連れて、海へ山へと繰り出していた。
父母、7つ上の姉、4つ上の兄、それが私の平凡でごくしあわせな家族だった。
記憶も朧げな5歳くらいの頃だったように思う。
その時は川でのBBQキャンプだった。
私達は(というか、まだ年端もいかない子供たちなのでほとんど父親がやるのだが)、川の中洲に家族用の中規模なテントを張った。
家族5人でぎゅうぎゅうに寝られる程度のテント。
いつも使っているものだ。
川面にきらめく魚を追ったり、肉や野菜を焼いたりして、めいいっぱいに自然の空気を吸い込み、満喫していた。
良く晴れた日だった。
キラキラと輝く、穏やかな午後。
突然、父が言った。
「鉄砲水がくる…」
言うが早いか、家族に手荷物だけを持つように指示し、すぐに川の中洲から移動した。
幼かった私は父に荷物のように抱えられ、脱げ落ちたサンダルに「あっ」と思ったけれど、父が目もくれず川を渡った瞬間ー。
どどどぅっと、勢いよく水が飛び出てきて、目の前はあっという間に濁流に呑まれた。
中洲のテントは、あっけなく流されていった。
数秒前まで私達がいた場所だ。
ゆっくりとした時間が流れていたのに、そんな時間はあっという間に流されていった。
幼心に、呆然とするしかなかった。
父のほか、誰もこんなことになるとは予想だにしていなかった。
いや、父も予想外だったろう。
後から聞くと、逃げる直前、川の水が急に濁ってきたらしい。
山頂付近では天気が荒れていたらしく、上の方で自然に堰き止められてしまっていた水が、決壊して一気に下流に流れてくることがある。
(最近の豪雨被害のニュースなどでよく聞いた土石流に近いものといえばわかりやすいか。)
その前兆として、川の水が急に濁ったり、落ち葉やゴミが大量に流れてきたりするらしい。
父が、ただのアウトドア好きなおじさんでなく、家族を守る責任ある大人として、アウトドアの知識をもっていてくれたこと。
迷わず、導いて、引っ張っていってくれたこと。
その、力強さを思う。
濁りを、いち早く察知した父によって、私達は、何事もなかった。
♦︎
平凡なしあわせが、瞬く間に、濁流に呑み込まれ、いやおうなしに消え去っていった、記憶。
(実際には、しあわせは、一瞬の迷いなき選択によって守られたのに!)
父の背中越しに見た、その光景。
自然への畏怖。
それが、私の中に残る、鮮烈な、"最古の記憶" である。
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