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記憶 -写生-

小学校の図工 ( 小学校では"美術"じゃなくて"図工"という名称だった。) の授業で、
《 学校の敷地内で好きな場所のスケッチをする 》
というものがあった。
いわゆる、写生大会だ。


♦︎
私はとても優等生であった。

なんでもある程度、人よりもうまく出来る。

成績は体育以外オール5。
テストは100点じゃないものを数える方が早かった。
絵や書道も、習い事をせずとも、毎回必ず賞を獲っていた。

自慢ではない。
才能なんかじゃないからだ。

ただひたすら対象に真面目に向き合い、人よりも少し一生懸命やれば、面白いくらい結果に現れる。
子どものうちはそういうものだ。
そういうものが、自分の頭には、綺麗に整理されてはっきりと見えていた。

あと、当時は気付いていなかったが、私はとても負けず嫌いだったのだ。
出来ないことがあるのが、悔しかった。
だから、出来るまでやらないと気が済まなかった、というのもある。


真面目な秀才だった私は、コミュニケーション能力に関しては、とてつもなく低かった。

勉強に熱中するうちに、苦手になっていった。
いや、もともと苦手だったから、勉強に熱中するしかなかったのかもしれない。

大人になってからはコミュニケーションが机の前の勉強より何より大切だと、痛い程、思い知らされるが、知ったからといって、子どもの頃に定着したコミュニケーション能力値の低さは、なかなか向上しない。
まぁ、コミュニケーションの難しさはほぼ全人類の悩みだと思っているので、いまは深く考えないことにする。


♦︎
話は戻って、小学生時代の写生大会のことである。

真面目な私は、学校で過ごすほとんどの時間を教室の自分の机で過ごした。
学校目標として掲げられた「朝マラソン」という名の、校庭を一周するマラソンコースを走るノルマはこなした。
図書室には通った。
それ以外の休み時間のほとんどは教室での自主勉強に費やしていた。

だから私にとって、教室から眺める景色が、私の見る世界のほとんどだった。
窓際の後ろの方の席。
アニメでよく見る憧れのあの位置。
そこが嫌いじゃなかった。


ふと、窓の外を見ると、ベランダの手すりに、飛びかっていた2匹の蜻蛉(トンボ)が、仲睦まじく、留まった。
緑の瞳と目が合った。
「これを描こう」と思った。

最初に手すりと、2匹の蜻蛉を大きく描く。

窓際から見える、図書館のある反対側の校舎、となりに流れる川と土手道、隙間から垣間見える校庭、裏庭の木々。
そんなものを描いていった。

絵を描くのは好きで、よく金賞もとっていたし、上手いという自負もあった。

遠近法を使って、手前の蜻蛉は大きくリアルに、遠くの校庭で遊ぶ人はぼかして。
木々の葉に色んな色を重ねて、空は上から濃く、下に向かって青のグラデーション。
独学だが、自分で学んだ知識を駆使して、黙々と一人で描き上げた。
上出来だな、と思った。


2時間ぶっ続けの授業だったので、1時間経ったあたりで、一度全員が教室に集められた。
担任の先生が言った。
「ほかの人の作品を見せてもらって、いいところを見つけましょう!」と。
当時の担任はよくこの台詞を使った。

「良い人の真似をしましょうね」というスタンスは、わからなくもない。
私だって、人のいいところを真似したりする。
わからなくはない。
しかし、ただ、「モノマネを良しをする」ということにもなりかねない。
無知な子どもはモノマネから始めるものだ。決して悪くない。悪くはないのだ。

けれど、結果、私の絵は、この一言で、まるごとモノマネされてしまった。


そして、その子が特選を獲った。



教室の外の廊下に全員の絵が飾られる。

クラス以外の人も見る教室の廊下に。

放課後の人気のない廊下でそれを眺める。

明らかに同じ構図、同じ絵。

しかし、私の絵は佳作。

下位の人の方がマネをしたように見える。

みじめだった。


特選を獲ったその子は、学年の中でもただ1人、大人に混じってイラスト教室の習い事をしている有名な子だった。将来はイラストレーターを目指しているという。
技術があって、誰が見てもズバ抜けて上手い。

その子がたまたま、ほとんどのみんなが外に写生に出る中、教室に残って、前の方で同じような構図の絵を描いていたのだ。
人が少なかったので、友達と2人で楽しそうにおしゃべりしながら描く声がよく聞こえていた。
その子が、担任の一言によって、私の絵を見に来た。

「この蜻蛉いいね。マネしていい?」

「いいよ」としか言えなかった。

恨みはない。
責めるつもりもない。
黙って勝手にマネされたわけじゃないから、盗作とも言えない。ちゃんと許可もとってくれたし。
どちらかといえば恨むべきは担任の先生だ。
しかし先生も悪気はない。
悪いのは私だ。
私に技術がないだけだ。

ただ結果として、その苦い記憶は、今の今まで鮮明に、私の中に残っている。


うん、こうやって鮮明に痛みが残っているということは、どんなに取り繕っても、根に持ってるんだなー、自分。ちっさいなぁ、自分。


特選の彼女の絵には「トンボがいいですね」という先生からのコメントが書かれていた。


♦︎
思えば昔から、よくマネをされてきた。よくあることが結果として分かりやすく現れたのがこの時であっただけだ。
"マネをされる"ということは、それだけ"良い物を持っている"ということだ。
誇るべきことだ。

だけど、何かが足りない。

それからも、技術を磨いて、完璧に綺麗に仕上げても、私は決して、1番にはなれなかった。


「選ばれない」

そういう思いが根付いてしまった。


私の良いところをマネた人は、上手くやって、上がっていく。
そういう人を沢山沢山眺めてきた。
一方、私は自分に自信が持てず、人に遠慮して、いいところを譲ってしまう。
真面目にコツコツやっても、自分は未熟な気がして、最後の最後で自信が持てず、上手くアピール出来ずに、また、埋もれていく。

負けず嫌いで、完璧主義な私は、そうやって負けるたびにいちいち傷ついて、落ち込んで、、、いつしか自分を守る為に、負けることを、"受け入れた"。
そうしてまた余計に、自分を出せなくなっていった。
負けても仕方ない。私は選ばれる人間じゃない。
そうやって自分を納得させて。
勝負する前から勝手に諦めて。


けど、本当はずっと1番になりたかった。

選ばれたかった。

私の描く世界は最高なんだと、叫びたかった。



狭い校舎の、教室の片隅、たった一つの机の前から動けずに、独りぼっち、言葉を閉ざした。

下を向いて、自分を押し込めて、上手く息を出来ずにいた、小学生の私の記憶。


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