見出し画像

記憶 −隣りの病院−

「あなたのせいでおじいちゃんは死んだのよ」

そう言った祖母の言葉が、今も脳裏にこびりついて消えない。


♦︎
中学三年生の時、祖父が入院した。

ちょうどその病院は、中学校の隣りにあって(正確には間に発電所みたいなよくわからない施設を挟んでいたのだけど)、放課後、立ち寄るにはなんの障害もない、便利な立地だった。

ちょうどその頃、生活のほとんどを捧げていた部活動も引退をしたあとで、受験勉強はあれど、時間に融通が効いた。

私は毎日のように、祖父の病院に見舞いに行かなければならなかった。

望んで行っていたというより、行かないといけないよな…というような、義務感、罪悪感みたいなものだったように思う。

薄情な孫だが、どんなに仲が良くても毎日、自分の時間を捧げて病院に行きたいという孫はこの世界にどれだけいるだろう?
と、自分を正当化しようと試みる。


祖父のことは好いていたし、嫌々行っていたわけではない。

行く度に祖父はニカっと豪快な笑顔を見せて、病院食を分けてくれた。
大して美味しくないのだけれど、食べれないだけかもしれないけれど、私が喜んでみせると、心から嬉しそうにしてくれる祖父のことが好きだった。
病院食を食べないからと、祖母が持って行っていたパスタサラダも、毎回分けてくれた。
あの味は好きだった。



それらの時間は、確かに楽しくもあった。
いま思い出してみれば、なるほど、まんまといい思い出になっている。

文字にするまでは、繋がれていた尿管カテーテルの臭いが思い出にこびりついているだけだったのに……。


ただ、行かされていた、という思いもあったのは事実だ。

当時、私は漢字検定の試験が近かった。
受験前最後に、なんとしても受かっておきたかったのだが、思うように勉強が進まず、焦っていた。
それで、だんだんとイライラし始め、次第に病院への足は遠のいていった。



漢字検定試験の前日、祖父の容態が急変し、亡くなった。

夜、自宅で勉強していたら、父から電話が来て、兄弟と病院へ向かった。

今夜が山でしょう、と言われたが、実感はなく、勉強をしたいのに、という思いの方が強かった。

何時間か拘束されたが、結局、子供たちは先に帰らされ、夜遅くに祖父は亡くなったのだったと思う。

漢字検定試験は受からなかった。


葬式は簡素なもので、ほかの親戚もそんなに来ていなかったように思う。
祖父はもともとお寺の跡取り息子だったのだが、跡を継ぐのが嫌で家出をしてきて、そのせいで跡を継いだ弟は後に自殺したといつしか聞いた。
祖父はよくホラを吹いていたが、私は疑うことを知らなかったので、真実かどうかはわからない。


葬式のあと、私たちと、従兄弟の家族とが集まって、祖父母の家(もともと私の生まれ育った実家)で会食をした。

そのとき、ふと、呟くように、祖母が言った。

「あなたのせいでおじいちゃんは死んだのよ」

「毎日、〇〇が来るのを楽しみにしていたのに、来なくなってから、毎日寂しそうに学校の方を見てたのよ」

と。


祖母にとっては、思わず出てしまった、何気ない一言だったかもしれない。
祖父が亡くなってすぐで、祖母も人の気持ちを考えられる正常な思考はなかっただろう。


けれどその言葉は、子供心に、衝撃だった。

「あぁ、私のせいで祖父は死んだのか」

と、なぜかすんなり納得できてしまった。


そのくらい、愛されている自覚があった。
親戚のなかでも一番年下だった私は、とりわけ可愛がられていたから。
けど、同じほどの愛は返せなかった。
そこに罪はない。


罪はないけれど。
愛されることは重いことなんだな、という思いが、ずっしりと私の中にのしかかった。

さみしさで本当に人は死ぬ。

人は弱い。

元々、死ぬ時期は近かったのだから、私のせいではないはずだ。
祖母が思っていたほど、祖父の中で私の存在が大きかったのかどうかは、わからない。

けれども、弱っているときに、支えになる存在というのは確かにある。
私がそれだったかもしれない。
その気持ちを私は気づかずに軽んじて、蔑ろにしてしまったのかもしれない。


愛を受けとるのは、大変な重たい覚悟のいることなんだと思った。


去年、その祖母も亡くなった。

祖母のことは全く恨んでいない。

けれど私はそれ以来怖くなって、あまり愛されないように、愛を受け取らないように、その人にとって重要な存在にならないように振舞うようになってしまっていた。
いつも家に行くと控えめながら必ず心配の言葉をかけて、帰り際には「いつでも遊びに来なさいよ」と快活に送ってくれた祖母が、私は好きだった。
結局、素直に、本人にそのことを言わなかった。


祖母が亡くなったあと、姉から「おばあちゃんのこと嫌いなんだと思ってた」と言われたときに、それらのことに初めて気づいた。

無意識に、そっけない態度をとってしまっていた。考えないように、避けていたのかもしれない。
そのことを自覚してからもなお、より一層、人と仲良くなるのが怖くなった。


嫌いじゃないよ。大好きだよ。
だけど、愛されることは、とても怖い。


愛には責任が伴う。
そんな重たい覚悟ができあがった。

中学三年、秋の記憶。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?