高尾山薬王院にて。 この地が修験道における祈りの場所であると同時に、疲れ切った現代人の心身に癒しを与えてくれる場所だと、個人的に解釈してます。
心で感じた微かな兆候を 不安や心配に変えずに ありのままそのままに受け入れる。 それは何か微妙な世界の変化。 その変化に敏感になっているだけ。 暫く眺めていれば鎮まる。 雲を掴むような何か 分からない感覚だけど それを不安や心配にしなければ 遣り過ごせる、受け流せる。
目の前の些事の中に 生きるヒントが隠されている。 大事なことは一つじゃない。 その時々でも全然違う。 今ここにこの瞬間に生きて 物事をちゃんと観て聴いて 嗅いで味わって感じる。 その積み重ねが 持ち前のセンサーの精度を上げる。 それは世の中をありのままに 受け入れる準備。
目の前にあるものを見て 鼻の前にあるものを嗅いで 耳の側にあるものを聞いて 舌の上にあるものを味わう。 身に触れたものを 心に触れたものを感じる。 先入観を取り払い ありのままに受け入れる。 何と当たり前のことか。 けれどそれが一番難しい。 無意識の妄想が邪魔をする。
手放すことで得られる安寧。 開放することで得られる満足。 その行いの正しさは 早かれ遅かれ告げられる。 感覚は研ぎ澄ますだけでなく そこから繋がる思いまで 清らかでありますように。