真田忍者研究会

真田昌幸公ー出浦昌相殿にお仕えした吾妻衆五十久一族の末裔です。 幼い頃、祖母や四阿山の…

真田忍者研究会

真田昌幸公ー出浦昌相殿にお仕えした吾妻衆五十久一族の末裔です。 幼い頃、祖母や四阿山の修験法印にうけた教えや、成長して学んだ太極拳や色々のこと、日々の田舎暮らしの中から感じたことなどを書き綴って参ります。

最近の記事

平法の眼差し

暑い……ヤバい……関東平野は高崎の夏でした。 「兵法・平法」講座。 昨日は「日常」と言う幻想を超える兵法と、そうでない兵法の違いについてレクチャーしました。 小の兵法はこの身この体に依拠し、大の兵法は軍配を以て政(まつりごと)に通ずる。 小は実際に彼我が向かい合う、キツくて痛い武芸、大の兵法とは統治の為のノウハウ、まあ帝王学みたいなもんでしょうかね。 故に必ず小の兵法より始めよ、と私は学びました。 この日本を長く治めた徳川将軍家をはじめ各大名家の施政者は、そういった絶妙

    • 第7回 国際忍者学会

      来たぞ❗️来るぞ❗️ 450年の時を超えて、真田忍者が帰ってくる❗️ 神謀鬼策を用い、十倍を超える大軍を向こうに回して真田に勝利を齎した、伝説の真田の忍兵「吾妻七騎衆」の末裔達が、来たる9月14日・第7回国際忍者学会(於吾妻)に再集結だ㊗️ 根津潜龍齋・出浦対馬守・横谷左近・富澤豊前・割田下総・唐沢玄蕃・伊能(伊与久)釆女……戦国最前線の吾妻を舞台に暴れ回った手練者達の血が、再び騒ぐぞ‼️ この舞台に至るまでの10年、長いようで短かかった。この日のために走ってきた。 や

      • 以武会友〜武のCrossTalk

        きたる8月2日(金)18:00-22:00、国立オリンピック記念青少年総合センターにて、明鏡止水~武のKAMIWAZA出演でお馴染みの廣木道心先生(国際護道連盟 宗家)、岡部武央先生(総合武道研究会玄武館会長)と私、伊与久松凬(吾妻伝甲陽流兵法 総師範)の三人でトークライブイベントを行うことになりました!司会進行は稲吉優流先生(柔芯躰メソッド創始者)です。 「語る」と言うのみのイベントは始めてなので緊張しますが、楽しい一時にしたいと思います。 先生方の番組収録の(ウラ話)

        • ぶれない

          よく知らない人は、俺のことを見て「ブレブレやん❗」って思うだろうな。 「流石忍者」って、皮肉言われたことだってあるよ。 俺がもしその立場でも、おんなじように揶揄してたかもね。(他人のことアレコレ言うのは好みじゃないから、しないとはおもうけど。) 俺だって、そんなん始まる前から判っているんだよ。 自慢じゃないけど、俺のイワユル「正調武芸」の道統は確かなんだ。 そのうえで「ニンジャ」だなんだって言ったもんだから、古くからの友人達からは、総スカン喰らったもんだよ。そりゃそう

        平法の眼差し

          行者の居る風景

          久しぶりに、土と人間の匂いが染みこんだ濃密なる「場」に参ずる体験をさせていただいた。 わたしが小さい頃は、回りは畑ばかりで、向かいには主の「畑のじいちゃん」が暮らす古屋があった。 しっとりと薄暗い土間の奥には、おくどさんや五右衛門風呂があって、野菜くずの少し腐った臭いと、外の堆肥の臭いが相まって、思わず息を潜めたものだった。 目がなれるにつけ、破れた屋根の隙間から漏れる光に反射した埃が、明るく筋を引き、屋敷の奥に一層神秘的な雰囲気を添える。 昔の農民の生活の場には、そう言っ

          行者の居る風景

          とんでも無い文書が出てきた

          今では便宜的に名乗って居ますが、本来私の家では「甲陽流忍術」とは言わず、単に「甲陽の兵法」または「甲斐武田の御流」と申しておりました。忍術は「密之伝」または「用間」。 忍者は「出抜者」「密之衆」と言いました。 そしてそれは、あまり大きな声では言えないのですが……「甲陽軍鑑」収録者である「小幡勘兵衛」を伝系に加えず、直接真田様に伝わりし兵法だからであると………むう。 しかしながら徳川太平の世に、そんな危なっかしい伝系は残せまい………だからその話はスルーで通して参りました。

          とんでも無い文書が出てきた

          祝鄒師父百寿快楽

          ㊗師父!師父🙏我的師父♥ ㊗快楽快楽生日快楽❗白寿快楽❗❗ 誰相信師父快壱百歳………… 誰都不相信百寿老人那摩有精神唖❗ 初次見到師父是我23的時候……師父収我門下是26歳……已経過了四半世紀快了🥹 師父一直教導我小子……可是内功武術这个東西非常非常難学的、我好長時間憧不了師父教的妙諦……現在想起来得把師父化了不少耐心和極大的熱情地教伝我………真是不容易的……🙏 想来想去和師的故事是很多……化百言也表現不了我和我一輩子的師匠的事情………我們師徒両人縁分真深、我認識他

          祝鄒師父百寿快楽

          武の五輪

          去る5月22日放映の新番組「明鏡止水〜武の五輪〜」第一回「歩くを極める」如何でしたか? 私も道場稽古の後、何とか見ることができました😊 感想を述べますと、全編徹して「これ本当に国営放送?B◯Bジャパン制作じゃないの?💧」と言うくらい攻めた内容……いや、商業出版社では却って企画にならない位、色んなものを度外視して、岡田准一さんや制作の皆さんの「見たい!作りたい!」がストレートに押し出された、(良い意味で)「わがまま」な仕上がりでした。 情報量もものすごく、まるでビュッフェの

          鎌と鎖鎌

          昨日の〆は、甲陽吾妻流兵法でした。 生徒さんが稽古用の鎖鎌をお持ち下さったので、流れから鎖鎌の教伝をすることに😁 私、この鎌って言うもんがむちゃくちゃ好きでして、資料館にも稽古用、実用、新旧大小こもごも置いております。 法印さんも長柄の大鎌(本来は鎌槍)が得意で、よく「詰合」という自由稽古をさせて貰いました。 いま考えると相当危なっかしいことをしていたものですが、あのおかげでこういった得物への感覚が養えたのでしょう。 若い時分は、法印の鎌に封じ込まれるような、即時に

          法印さんの山の教え

          吾妻修験・黒岩法印の伝えた、山歩き(猿渡)の教え の一部。 ●山に入る前、必ず護身法、本九字を切る。 ●用便のときは作法通りに。 ●一定の確りとした足取りで歩く。 さもないと手負いと思われ、熊や山犬に付け入られる。 ●手足の付け根を意識して、良く動かす。 木や石にとらわれないように。 ●登りは下るような、下りは登るような目附で。 ●左転右転は背筋を逆に切る。 ●杖は天地を弁え、拍子を量る。 ●空いている方の手には杖と同等の石か何かを握り、釣り合いをとる。 ●

          法印さんの山の教え

          子供を子供扱いする

          オルタナティブスクール「八ヶ岳まあるい学校」の甲陽忍者道場&錬誠館ちびっこ忍者道場のもよう。 ハチャメチャに騒ぎながらも、集合、礼などの号令には何も考えずササッと動けるようになりました。 これは自然界で弱い立場の子供が、生きぬくためには非常に大切なスキルです。 「子供の自主性」「自分で考え生き抜く力」など、如何にも耳ざわりの良い、ユメのような話ばかりがもてはやされますが、今もし大災害が起きて、または山で遭難をしたとして、先生などの大人の誘導に従わず、自主的に子供の判断で動

          子供を子供扱いする

          道場

          昨日は、かの講談社野間道場の剣風を継承する、正心館蓑輪道場の創立35周年・望月正房名誉師範生誕110年記念大会でした。 日本だけでなく、遠くロシアからも正心館の剣を慕う多くの剣士達が集まり、蓑輪勝館長と共に栄え有る日を祝いました。 畏れ多いことながら、私たち錬誠館文武道場にもお声がけ頂き、甲陽流の武技を演武させて頂きました。 古式ゆかしい板張りの大道場で、多くの方を目の前にして演武仕ることは、私達にとっても大変学びになり、また非常なる名誉を感じました。 蓑輪館長の心の

          日月流惣巻

          某オークションサイトに「日月流惣巻」とあったので「もしかしたら……」と思い、ダメ元で入札。 すると、余り注目もされなかったようで比較的安価で落札できました。 あまり期待もせずに巻物を開いてみると…………… ドッヒャ〜❗❗でした。 なななんと、日月流開祖の片桐音之輔方矩公の文政五年の直筆伝書でありました🥹 公についてはhttp://www.katagiriseiryudo.com/otonosuke.htmlを参照 私が祖母や、ご宗家・十七代片桐棲龍堂様から聞いていた通

          真田忍びの足跡

          乳白色の朝、八ヶ岳を出立。 シン・真田忍軍(仮)育成と言う特殊忍務のため、吾妻渓谷・横谷砦のある雁ヶ沢にて地元の有志達に棒術(諏訪神流)を講ずる。 明日は剣術の基本と九字結手印等を伝授する予定。 帰途足を伸ばして、十二代?前の吾妻・伊与久一党が、本貫の地の総社、雷電神社を勧請したと伝わる石祠を拝しに中之条町の蟻川岳へ。 電柵の中は手つかずの原生林と急登。数年前にはここで男性が熊さんに襲われて重傷………と言うことで、懐には鎧徹しを忍ばせての登山。 喘ぎながら肩に着けば

          真田忍びの足跡

          武者は花のように

          旅から帰ると嬉しき便りが。 倉岡邱人先生は書家にして明暗尺八練達の人。 風雅を愛し、尚武を尊み、度々義侠を行う。 私にすれば酒飲みの師にして、錬誠館道場の篇額を刻みだして下さった大恩の方だ。 今は故郷の熊本益城に隠棲して、白髪長眉まさに仙人のような様子で暮らしておられる。 この度の便りは端午の節句の祝い。 男という文字が、二枚の便箋のなか実に二十箇所も記されていたのが師らしくて良かった。 手紙には、昨今の男の男らしさの廃れ行くを、さむらいの居ない世を嘆くともなく嘆き

          武者は花のように

          十洲三島鶴の乾坤

          昔むかし、武当山の三豊道士は拳法上乗の功に想いを馳せつつ山中を逍遥していた。 すると足下の叢に毒蛇が現れ、三豊に向かい鎌首を擡げて今にも襲い掛からんとする。 ……と、天空より突然一羽の鶴が舞来たり、瞬く間に捩る蛇身を長い脚で掴み、嘴を以て蛇の頭を突いて彼方へと飛び去ってしまった。 その見事な去来に妙趣を感じた三豊は、更に工夫を重ね、「内功」を裡に含み外に鶴蛇相斗の意を表した新たな武芸を拓いたという。 これが所謂武当派と言われる太極拳の創始「神話」である。現行の武術史学では

          十洲三島鶴の乾坤