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行者の居る風景

久しぶりに、土と人間の匂いが染みこんだ濃密なる「場」に参ずる体験をさせていただいた。

わたしが小さい頃は、回りは畑ばかりで、向かいには主の「畑のじいちゃん」が暮らす古屋があった。
しっとりと薄暗い土間の奥には、おくどさんや五右衛門風呂があって、野菜くずの少し腐った臭いと、外の堆肥の臭いが相まって、思わず息を潜めたものだった。
目がなれるにつけ、破れた屋根の隙間から漏れる光に反射した埃が、明るく筋を引き、屋敷の奥に一層神秘的な雰囲気を添える。
昔の農民の生活の場には、そう言った侵しがたい神聖さが漂っていたものだ。

今回伺った老行者の拝み堂も、抹香の臭いが加わるが、同質の濃い空気が感じられた。

九十に届く高齢の師は、数知れない秘伝を一身に蔵して、一言も発しない。
奥ゆかしい、と言うのではなく、神との約条があり、他言を阻む緊張感がある。
流れるように印を結ぶ分厚い掌、がっしりと締まったししむら、荒行で鍛えぬいた野性動物のような眼差しは、まるで私の行道における最初の師ー甲吾法眼ーが生き返ったかのような佇まいだった。

忍術にも共通する「まさか!?」と思われるような奇跡譚や、驚くべき行道儀軌も、この場の磁力の下では確かに信じざるを得ない。
こうした「活きた」両部の行者のいる風景は、貴重だ。
再会を約する際に、宿題まで頂いた。

これもまた、摩利支尊天の冥加なり。慎んで承けたもう。

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