とらさん原田峰虎

縄文叙事詩『ほつまつたゑ』の研究同人誌編集長。『はじめてのホツマツタヱ』(三部作)出版…

とらさん原田峰虎

縄文叙事詩『ほつまつたゑ』の研究同人誌編集長。『はじめてのホツマツタヱ』(三部作)出版プロデューサー。かざひの文庫より『フトマニ歌占い』『縄文の神々の言葉88(仮題)』を上梓。毎月お茶の水で、ホツマツタヱお話会を開催。 うまい日本酒と山岳信仰のある山歩が大好き♡ 滝行のご指南も!

最近の記事

  • 固定された記事

【ホツマの論点】 アマテル大神の性自認 <127号 令和5年6月>

神代文字で記された古代文献は我が国に複数ありますが、ヲシテ文献がその他の雑多な古文書と一線を画するひとつの特徴は、「アマテル大神が男性神」であることです。ウリフ姫を含むと十三妃を局に入れたアマテルは、歴然とした男性神ですが、記紀もその「性」を女性に改竄して今に伝えます。天界の大神は、この錯誤をどうお感じになっていることでしょう。 GW明けの自民党総務会は「LGBT理解増進法案」の修正案を強引に推進し、G7サミット開催に合わせて「性差別のない国造り」をPRしようとしました。野

    • 【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊸「てにおは」 <130号 令和5年12月>

      「てにをは」は、漢字では、【弖爾乎波・天爾遠波】等と表記し、日本国文学では重要な用語です。 日本語を特徴づける用法のひとつに「助詞」の活用があり、「てにをは」は、その助詞を総称する用語として古くから認識されています。「てにをは」が総称となったのは、平安以降に大学寮等における博士職が使用した「ヲコト点」に由来する、と云うのが定説です。下図(乎古止点)の左下から右回りに読んだ、とされます。 この定説では、本朝に漢字が伝来してからの用語ということになりますが、それは誤りです。何

      • 【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊷「いはとひらき」 <129号 令和5年10月>

        「天の岩戸開き」は日本神話の重要場面です。 『諸カミは イハトの前に かしまとり これぞトコヨの 「ナガサキ」 や』ホ7 『君 笑み 細く 窺えば イハトを投ぐる タチカラヲ 御手 取り出し 奉る ツハモノヌシが しめ縄に 「な返りましそ」』ホ7  ソサノヲの狼藉に対して洞窟に引き籠もったアマテル大御神でしたが、賢臣オモイカネの工夫によって事態は打開され、世間は光を取り戻します。  この前段に 『ソサノヲは イワを蹴散らし なお怒る 君 おそれまし イワムロに 入りて

        • 【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊶「あめのふし」 <129号 令和5年10月>

          ホツマツタヱに「やくどし/厄年」という言葉はありませんし、「やく/厄」という言葉もそもそも記述がありません。しかしながら、男女の厄年に通底する概念はあり、 『然れど父は 鈴 四十穂 母は三十一穂 アメのフシ 宿れば当たる 父の汚穢 男の子は母の 隈となる』ホ3 という重要な記述が残ります。  両神の初子ワカ姫が生まれたとき、イサナギが四十歳でイサナミが三十一歳だったので「アメのフシ(天の節/陰陽の節)」に当たったのだそうです。なので三歳にならぬうちに(満年齢で二歳足らず)

        • 固定された記事

        【ホツマの論点】 アマテル大神の性自認 <127号 令和5年6月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊵「あな」 <125号 令和5年2月>

           古語辞典で「あな」を引くと「感情の高まりから発する語。喜怒哀楽いずれにも使う」(三省堂全訳読解第三版)とあります。ホツマでは、 『両神 叔母を 称ゑます キクキリ姫も あなかしこかな』ホ4 『なく皇子の 声ききとれは あな嬉し』ホ4 『あはれ あな面白 あな楽し あなさやけ おけ さやけ』ホ7 『あなありかたや あなにゑや あな嬉しやと をかみさる』ホ17 『八咫の鏡の 御名のアヤ いとめくみなり あなかしこかな』ホ17  と云うように、良い感動を表す表現に頻出

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊵「あな」 <125号 令和5年2月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊴「けくにとみ」と「いわひぬし」 <123号 令和4年10月>

          アマテルが基を築いた徳治の原則には、両羽の臣による分権輔弼の仕組みがありました。鏡の臣と剣の臣によってバランスをとる、という近代の三権分立にもつながる治政の要諦でした。けれども、神武の大和朝以降は、両羽制が形骸化されていきます。その代替えに生まれたのが「食国臣/けくにとみ」と「斎主/いわひぬし」です。 「けくにとみ」は、先ず「みけなへまつりもうすをみ/神饌供え祭り申す臣」として、コヤネの孫であるアメタネコと鰐彦クシミカタマが、神武の大嘗祭の折にふたりで任命されました。ユキ・

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊴「けくにとみ」と「いわひぬし」 <123号 令和4年10月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊳「やまさかみ」と「うをまさ」 <123号 令和4年10月>

          ウツロヰの神は、捉えどころの難しい神さまです。 ホツマに登場する神々は、そのほとんどが「人格神」であり、生前は「○△守」「○△主」という意味の「カミ」として地方や役職を司る方々でした。つまり、元は生身の人間です。逝去した後も、偉大なる貢献をした「○△神」として祀られるという存在です。 しかし、「自然神」として天地の威力を象徴する神々や、一種の「霊格神」として時間や空間、あるいは健康や幸福を象徴する神々も認識されていました。 「やまさかみ/八将神」は、人間生活において主要

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊳「やまさかみ」と「うをまさ」 <123号 令和4年10月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊲「みもすそ」 <122号 令和4年8月>

          ホツマ辞解⑰で「かも」「あも」「みたらし」を取り上げました(104号令和元年8月)。「上下」をへだてなく慈しむ心がけが、「斗の教ヱ」の根幹にあるのですが、それを表現する重要語句が「(み)もすそ」です。 天縫(ぬ)うなる 御衣(みは)の所縁(ゆかり)は 清御師使(サヲシカ)の 裳裾(もすそ)に満つる 恵み縫うなり 【フトマニ5番筮歌 大吉の卦】 というフトマニ歌や、 『裳裾の 民を撫でつつ サオシカの 清きに尊は ありと言えき』28文 『神裳裾の サコクシロ内 改めて 

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊲「みもすそ」 <122号 令和4年8月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊱「よそや」と「としめぐりひ」 <121号 令和4年6月>

           今の世の日本人は「四十九日」や「祥月命日」を仏教がもたらした習俗と考えている人が多いですが、もちろんこれらは縄文ほつま時代からの習いです。  「よそや」は、故人が神上がりした日の夜から毎晩「もがり」のために専用に設けた一室(原型は洞窟)に籠もって初夜から四十八番目の夜まで祈り続ける弔いの儀式です。  フトマニ図「瓊璽(たまヲシテ)」の如く鎮座する天空の神々は四十八座いらっしゃるので、その一つ一つに毎晩祈りを捧げるのです。そして、それが明けた四十九日目が「忌明け」となるの

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊱「よそや」と「としめぐりひ」 <121号 令和4年6月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉟「ひ」「ふ」「み」 <120号 令和4年4月>

          ヲシテ文献にみる数詞は、「ひ」「ふ」「み」「よ」「ゐ」「む」「な」「や」「こ」「と」が基本です。大和言葉の一、二、三、、、十として今日も「なんとなく」当たり前に数えられているとお考えの方、大間違いです。 実は、日本古来のこの数の数え方と云うのは、もはやヲシテ文献以外なくしては、もはや追究できない幻の言葉となっているのです。試しに手元の国語辞典や古語辞典をお調べ下さい。「ひ」「ふ」「み」どれひとつも(一部例外はあるものの)見出し語として取り上げられていません。特に古語辞典はひ

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉟「ひ」「ふ」「み」 <120号 令和4年4月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉞「もち」と「かとまつ」 <120号 令和4年4月>

          お正月に「鏡餅」をお供えします。ホツマ伝に「カガミモチ」の用例はありませんが、1アヤに「はつひもち あわのうやまひ」があり、この解釈には「元旦に餅をお供えして」という解釈と「朔日と望日(十五日)に」という解釈があります。ですが、ミカサのなめことのアヤには「はつひより(略)わかめみつくみ しとぎもち」とありますので、元旦に「若水を汲み、餅を捧げた」ことは確かです。「あわのうやまひ」天地の神々に祈ることを日本人は大昔から続けてきました。 うまやどさんは、正式な鏡餅にある「橙・干

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉞「もち」と「かとまつ」 <120号 令和4年4月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉝「からす」「しき」「う」 <119号 令和4年2月>

          神武東征「カンタケのヤマトウチ」29アヤでは、「烏と鴫と鵜」が登場します。「ヤタノカラス」と「兄シギ」「弟シギ」と「黄金ウノトリ」です。 記紀神話とホツマ伝では、異伝を伝えるので注意が必要です。 1.記紀では「ウノトリ」は登場せず、瑞兆となるのは鵄(トビ)=金鵄(キンシ/金色のトビ)です。 2.ホツマではカンタケの弓に舞い降りて神威を放つのは「黄金ウノトリ」ですが、書紀では、カンタケ(神武)のもとに「ヤタノカラス」が舞い降ります。古事記では金鵄は登場せず、八咫烏との混同

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉝「からす」「しき」「う」 <119号 令和4年2月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉜「しめなわ」 <119号 令和4年2月>

          ヲシテ文献により大和言葉の語源が解明する事例は多いのですが『ふとまに』も解明の鍵を数多く秘める書です。平野新吉氏による『フトマニを読む』の全解釈が本号で完了しますが、フトマニ最後の卦歌は、「しめなわ」を解きます。  神社や神棚で見かける「しめなわ」は、通常「注連縄」とか「七五三縄」と漢字表記されます。ですが、「注連(ちゅうれん)とは、中国において死者が出た家の門に張る縄のことで、故人の霊が再び帰ってこないようにした風習」(ウィキペディア)とあり、禁忌の意味合いが主であり、「

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉜「しめなわ」 <119号 令和4年2月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉛「やまさかみ」 <118号 令和3年12月>

          ヤマサ神は「八つ」の「将神」即ち「八将神」と通常漢字表記します。理解が難しい神格です。何故難しいかというと、①「ヤモト神/八元神=天元神(アモト神)」と混同されやすい。②現代の旧暦占いの「八将神」の元になるものだけれども、大きく解釈が違う。③年神や、金神や、八王子や、様々の神格と現在は混合されていてこんがらがってしまっている、からです。 ホツマに伝わる神々は、アマテルやソサノヲはじめほぼ総てが人格神であり、地上に「生物体としてのヒト」として足跡を残した神々であるわけですが、

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉛「やまさかみ」 <118号 令和3年12月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉚「ほこ」と「つるぎ」 <118号 令和3年12月>

          三種神器(ミクサタカラ)はアマテル大御神が定めたものであり、イサナギ・イサナミの両神時代には、「トとホコ」で治めていました。 『あめつちの 拓らけし時に ふたかみの トホコにをさむ』ホ序 「ト(斗)」とは「トの教ヱ」のことであり、ヲシテによって文書化され伝授された治世の要諦です。「ホコ」とは、「天のホコ」「逆ホコ」とも記され、 『ツルギのもとは あめのホコ クニトコタチの 世には未だ』ホ23 『トはヲシテ ホコはサカホコ 両神は これお用ひて』ホ23  「トの教ヱ」

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉚「ほこ」と「つるぎ」 <118号 令和3年12月>

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉙「つくも」と「ここ」 <117号 令和3年10月>

          フトマニ歌の「四行分かち書き(9.10.9.3/九十九三)」を古代には何と呼んでいたのでしょうか。古今伝授や皇室においては、「つくもさん」と呼び習わしていたと本誌掲載論文で宮崎氏は指摘していますが、「つくも」はあり得ても、「さん」は漢音読みなので、古代では違ったでしょう。 さて、「つくも」は、「はたち」や「さつめ」等とともに「ツヅ歌」の作法に由来する特殊な数字呼称です。 ホツマが伝えるツヅ歌の作法では、作歌を機織りに喩えて数え上げます。本歌を交えて十六句を詠い足す毎にまと

          【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉙「つくも」と「ここ」 <117号 令和3年10月>