とらさん原田峰虎

縄文叙事詩『ほつまつたゑ』の研究同人誌編集長。『はじめてのホツマツタヱ』(三部作)出版…

とらさん原田峰虎

縄文叙事詩『ほつまつたゑ』の研究同人誌編集長。『はじめてのホツマツタヱ』(三部作)出版プロデューサー。かざひの文庫より『フトマニ歌占い』『縄文の神々の言葉88(仮題)』を上梓。毎月お茶の水で、ホツマツタヱお話会を開催。 うまい日本酒と山岳信仰のある山歩が大好き♡ 滝行のご指南も!

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【ホツマの論点】 アマテル大神の性自認 <127号 令和5年6月>

神代文字で記された古代文献は我が国に複数ありますが、ヲシテ文献がその他の雑多な古文書と一線を画するひとつの特徴は、「アマテル大神が男性神」であることです。ウリフ姫を含むと十三妃を局に入れたアマテルは、歴然とした男性神ですが、記紀もその「性」を女性に改竄して今に伝えます。天界の大神は、この錯誤をどうお感じになっていることでしょう。 GW明けの自民党総務会は「LGBT理解増進法案」の修正案を強引に推進し、G7サミット開催に合わせて「性差別のない国造り」をPRしようとしました。野

    • 【巻頭言】 本誌八十号刊行に思う 今村聰夫 <80号 平成27年8月>

       ヲシテ三書を発見し研究の道を拓いた松本先生は、晩年に各地の講座を閉じて赤坂例会一本に絞られました。先生が平成6年に引退された後も、会場を提供されていた宮永さんのご厚意で会は存続しました。  そのホツマ赤坂研究会で、私のホツマ研究に鞭が入れられたと感じています。 広く全国のホツマ研究者に発表の場を提供しようと、同人誌の刊行を提案推進されたのは倉田さんでした。  宮永さんが発行人、倉田さんが編集人をお引き受け下さり、赤坂の全員が一致協力して、平成14年6月に本誌は隔月刊誌と

      • 【ホツマの論点】 今村聰夫『はじめてのホツマツタヱ』上梓を祝う <81号 平成27年10月>

         本誌創刊から45号まで連載された「ホツマツタヱ」現代訳を、読み易く物語風に仕立て直した三分冊の第一冊目が、かざひの文庫という新進気鋭の出版社から刊行されました。「八十続五十橿八桑枝の如く」と祝詞でも永続の聖数とされる80号を刊行した本誌。その暁に生まれ落ちた希望の嬰児と言えましょう。  本書が画期的である所以は、斯界の第一級研究者である今村氏がその蓄積された解釈能力を駆使して、しかもそれを「専門書」としてではなく「読み物」として構成したところにあると思います。  簡潔ゆ

        • 表紙画像説明 奥駿河湾の「あわ島」 <82号 平成27年12月>

           奥駿河湾の三津浜に淡島という神南備型の秀麗な小島があります。淡島(あわしま)。古くから漁師や廻船業者に崇敬されていた淡島神社が山頂に鎮座しています。ご祭神は弁財天さま。  霊峰富士を仰ぎみる絶景の地にあり、アマテル大御神にそっと眼差しを向ける瀬織津姫大神のお姿を彷彿とさせます。  実は、この周辺の海は、沼津市にかつてあった海軍研究所の実験場であり、特殊攻撃艇「回天」「海竜」「蛟竜」などがつくられ実験配備されていた歴史があります。戦後すぐ取り壊されましたが、この淡島には、

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        【ホツマの論点】 アマテル大神の性自認 <127号 令和5年6月>

          【ホツマの論点】 本庄家文書は解読の鍵か、はたまた迷宮の入り口か <83号 平成28年2月>

           古神道の研究者でアワ歌普及にご活躍の宮崎貞行さんは、平成二十四年十一月二十六日に、山梨県河口湖町の由緒ある富士講御師の家、梅谷本庄家を訪ね、その屋根裏部屋に秘蔵されていた多数の古文書を実見しました。その中のひとつが『秘書 神代和字 全』と題された写本です。氏は早速、池田満さんと千葉富三さんに原文調査を依頼し、その結果、既に発見されていた残簡文との照合からミカサフミの未発見部分であると判明。原文はデジタル撮影画像データとして拡散され、関心を寄せる多くの研究者の努力により解読が

          【ホツマの論点】 本庄家文書は解読の鍵か、はたまた迷宮の入り口か <83号 平成28年2月>

          【ホツマの論点】 ホツマツタヱ写本再発見50周年 <84号 平成28年4月>

           本年は、ホツマツタヱの写本が再発見されて半世紀の節目の年である。当時、『現代用語の基礎知識』の初代編集長であった松本善之助翁が、趣味の古書探索で神田古本屋街に渉猟していたときに、その奇跡的な出会いがあったときく。  以来、「ザルで水を汲む」如しと翁が振り返る苦節の日々を経て、残簡の発掘、手探りの解釈作業、全国に仲間を広げる研究会活動が進展し、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』という縄文の至宝文献が、徐々に解明され、今日、私たちの前にその姿を甦らせつつあるのである。

          【ホツマの論点】 ホツマツタヱ写本再発見50周年 <84号 平成28年4月>

          【ホツマの論点】 陰陽世界観とホツマツタヱ <85号 平成28年6月>

           夢枕獏さんの小説(をもとにした漫画)が映画化された「陰陽師」がヒットして安倍晴明ブームが起きた頃から十五年。「恵方巻き」はその頃から商品化されましたが、近頃は珍品氾濫で大量の売れ残りを生じ、どうも「純和風」でない光景が印象に残ります。  明治五年に廃された「陰陽道」は、既に江戸期において変容され、室町期以前の姿ではありませんでしたが、そのルーツは何処にあったのでしょう。現代人の印象では、やはり陰陽道なんぞ、そもそもが「純和風」でなく、せいぜい『古代中国大陸からの道教や密教

          【ホツマの論点】 陰陽世界観とホツマツタヱ <85号 平成28年6月>

          【ホツマの論点】 ホツマツタヱが大倉精神文化研究所刊『神典』に収録される日 <86号 平成28年8月>

           大倉精神文化研究所という公益財団法人があります。「東西両洋における精神文化及び地域における歴史・文化に関する科学的研究及び普及活動を行い、国民の知性及び道義の高揚を図ることにより、心豊かな国民生活の実現に資し、もって日本文化の振興及び世界の文化の進展に寄与する」 ことを目的に、昭和七年に設立。今日に至るまで数々の良書、論文を世に送り出してきました。その代表が設立当初から今日まで版を重ねるロングセラー、『神典』です。  『神典』は、わが国の主な古典を読みやすく編集した本で、

          【ホツマの論点】 ホツマツタヱが大倉精神文化研究所刊『神典』に収録される日 <86号 平成28年8月>

          【ホツマの論点】 ホツマツタヱ最古写本を伝えた井保家は何処から、そして何処へ <87号 平成28年10月>

           現存する最古写本を残した和仁古安聡は俗名を「井保勇之進」と名乗っていました。池田満氏の解説によれば、井保家は伝教大師最澄の頃に遡る旧家とされますが、果たして、井保の名前はどこから来たものなのでしょう。  そもそも後の比叡山建立の根本仏(秘仏)に縁がある(788年、最澄は薬師如来を本尊とする草庵、一乗止観院を比叡山に建立)という万木の薬師堂が子守大明神社とともに護持されるようになったときから、井保坊の名前が世に顕れたとのことですが、その時には既に長らく当地の名家として、井保

          【ホツマの論点】 ホツマツタヱ最古写本を伝えた井保家は何処から、そして何処へ <87号 平成28年10月>

          【ホツマの論点】 ホツマツタヱ再発見50年記念プロジェクト完了 <88号 平成28年12月>

           松本善之助翁による『奇跡の昭和再発見』から五十年。本誌編集部では、その節目となる本年を「ホツマツタヱ研究と普及の飛躍年」にすべく企画準備に邁進してきました。  本誌創刊号からの連載である今村聰夫氏の現代訳をさらに初心者向けに書き下ろしていただき三部作で刊行する出版事業、平成28年10月11日に日比谷で開催した日本記者クラブにおける「記念フォーラム」、そして11月19日20日にホツマの聖地・近江高島で開催した「縄文ロマンの集い」は、まさにその三本柱でした。それぞれ多くの外部

          【ホツマの論点】 ホツマツタヱ再発見50年記念プロジェクト完了 <88号 平成28年12月>

          【ホツマの論点】 「常識」は移り変わり、秀真は伝え残る <89号 平成29年2月>

           アメリカでトランプ大統領が誕生しました。就任演説をつらつら読むと、平易な言葉遣いで祖国第一、庶民第一を宣言しています。真っ当な主張に思えました。歴史上「強権主義者」は、たいがい「偉大な」「神聖な」という飾り文句で「虐げられた者たち」を奮い立てる手法を採るものゆえ、今後を注視ですが、動きは素早いです。  欧州でも呼応して民族主義的保護主義的言説が活気を帯びてきていますので、世界は大きく変わっていくことになるかも知れません。  圧倒的な時代風潮は、「常識」として動かすことの

          【ホツマの論点】 「常識」は移り変わり、秀真は伝え残る <89号 平成29年2月>

          【ホツマの論点】 ウタに命、コトハに息吹を <90号 平成29年4月>

           いときょう氏を団長に結団された「ホツマツタヱを学ぶ会皇居勤労奉仕団」が、皇居と赤坂御用地の清掃奉仕に参上致しました。如月の第二週、まだ厚手の外套を着込んでいた頃です。  赤坂御用地ではみぞれまじりの雨に見舞われましたが、皇居奉仕の三日間は空に青空が拡がり、宮城の木々も新芽の気配を感じさせる清々しい日々でした。お庭番の職員の方々に懇ろなご案内をいただきつつ、聖上のお手植えになる「神田」周辺や皇后陛下がお育てあそばす蚕の餌となる桑畠の手入れに勤しみ、宮殿至近のお庭を掃き清め奉

          【ホツマの論点】 ウタに命、コトハに息吹を <90号 平成29年4月>

          【ホツマの論点】 イサ イセ イサワ 或る日の編集会議にて <91号 平成29年6月>

           当誌の編集会議は毎月、明治記念館「金鶏の間」で開催していますが、議論百出、汲めども尽きぬホツマの魅力を語り明かします。前回の話題は本号で焦点を当てた大御神とイセ、イサワの謎解きでした。  イサワの「辞解」は那辺に、との問いにS氏は、「イは【風】の象、サは【南】、故に南より神風吹く聖地を意味しよう」と持論を開陳。応えてK氏も、「イサ川は、神山筑波を南に眺める現在の桜川。両神のイサ宮もその近辺であろう」と同意。我が意を得たりとS氏は、「石和温泉の湧き出た石和(イサワ)も霊峰富

          【ホツマの論点】 イサ イセ イサワ 或る日の編集会議にて <91号 平成29年6月>

          【ホツマの論点】 富士山と日月の神々 <92号 平成29年8月>

           霊峰冨士の登拝シーズンもまもなく終わります。金剛杖を手に日本一の山頂を目指す登山者たちは、「信仰」として山を登っているわけではないのですが、大多数の方々が目的とするひとつは「ご来光」。(不思議なことに)ご来光に自然と手を合わせるのです。山頂には浅間神社の奥宮がふたつ鎮座していて、そこに到達した登山者たちは、やはり「せっかくだから」と順番を待って参拝し、神妙に手を合わせます。  日本人は往々にして頭を垂れる対象の神仏に対して、その「正体」を頓着することがないのですが、「冨士

          【ホツマの論点】 富士山と日月の神々 <92号 平成29年8月>

          【ホツマの論点】 幸福の起源と「おひとり様」 <93号 平成29年10月>

           ホツマツタヱには獲物や恵みを意味する「サチ」という語句はありますが、「しあわせ」という語句がありません。「あわ」を結ぶという意味ともとれる「幸せ」は、極めてホツマ的な表現とも筆者には思えるのですが、文献では見いだせません。代わりに、「さひあひ/さいわい」という言葉があります。  幸福のホツマ的表現である「さひあひ」は、駒形一登さんの解釈では「添ふ」「合ふ」の名詞表現ということですが、男女が寄り添って出会い結ばれることを意味します。ちなみに「さいあい」を変換すると「最愛」と

          【ホツマの論点】 幸福の起源と「おひとり様」 <93号 平成29年10月>

          【ホツマの論点】 ミチ(シ)カウタは相聞歌の意味か <132号 令和6年4月>

           ホツマツタヱにおける「ミチ(シ)カウタ」の用語は、二例しかありませんが、現代の「短か歌」すなわち五七五七七の三十一文字短歌とは違う意味づけであったようです。このことについての考察は、この「ホツマの論点」106号で多少触れていました。ミチとミシのヲシテ表記の揺れもあり、なかなか悩ましいところです。 ですが、二例に共通するのは、(甲)長めのウタであること、(乙)男女の掛け合いのウタであることと云う共通点があります。一〇アヤのシタテル姫とアチスキ高彦根の掛け合いの五十五音歌と、四

          【ホツマの論点】 ミチ(シ)カウタは相聞歌の意味か <132号 令和6年4月>