【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉜「しめなわ」 <119号 令和4年2月>
ヲシテ文献により大和言葉の語源が解明する事例は多いのですが『ふとまに』も解明の鍵を数多く秘める書です。平野新吉氏による『フトマニを読む』の全解釈が本号で完了しますが、フトマニ最後の卦歌は、「しめなわ」を解きます。
神社や神棚で見かける「しめなわ」は、通常「注連縄」とか「七五三縄」と漢字表記されます。ですが、「注連(ちゅうれん)とは、中国において死者が出た家の門に張る縄のことで、故人の霊が再び帰ってこないようにした風習」(ウィキペディア)とあり、禁忌の意味合いが主であり、「聖域」も結界する我が国の「しめなわ」にはそぐいません。
「七五三縄」表記に関しては、特殊な形状の「しめなわ」において、3本5本7本の「枝」を垂らすことから斯様に表記されるとか、合計数15の魔方陣において「753」が横に並ぶから、とかの解説がありますが、ホツマ伝にはそのように読み取れる記述はありません。
結界を表現して、
『タチカラヲ 御手 取り出し 奉る ツハモノヌシが しめなわに "な返りましそ"』7文(岩戸開き)
『煎り豆打ちて 鬼遣らい 柊鰯は モノの垣 ほなが譲葉 しめかさり』ミ9
などの用例が見られます。封じ込めて護持する結界です。ですが、一方的に忌み遠ざけて棄却することが、「しめ」では無いようです。
『シナワ(シ・ナワ歌/しめなわ)なる 万の疑ひ 明(か)になして 願ひも満つる 神のしめなわ』フ128
『表の縄(しめなわ)の 結うはサルタの つつまやか 鳥居に程を 掛くるかさ縄』フ096
平野氏は、右歌の解釈に「シ」=「幸・稔り」、「メ」=「恵・潤い」、「ナワ」=「導き」という解釈を与えています。
フトマニ図の配列から読み取れる「シメ」=「幸せや恵み」と云う理解によって、「しめなわ」とは、「神恩神威によって災いや混迷を封じ込め、民を幸せや恵みへと導く教えや力のモノザネとしての神聖な縄」として解釈するわけです。封じ込めるのは災厄であり、結界は善方向への導きであると観るのです。
「3=天地人」を「57=五音七道のあわの響き」で結び合わせる導きとすれば、ホツマ的な「しめなわ」の意に適うので「三五七縄」と表記すれば良いのに、などと筆者は密かに思っています。
(駒形「解読ガイド」平野「フトマニを読む」参照)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
〆縄は、神社で(そして寺院でも)ごく一般的に目にするシンボルです。陰陽師ブームで「結界」という言葉が一般的になり、私たちも「〆縄=結界」と理解しがちですが、ホツマツタヱでの表現をよく読むと、「ケガレを寄せつけない、守るための境界線」という意味だけではないことがわかります。
逆に、「善きところへ導く」という役割が、〆縄のより本質的な意味であるようです。御神木や磐座に〆縄がはられて美しい紙のシデが垂れていたりすると、私たちは、おのずと敬虔な気持ちになります。私たちの寿命をはるかに超えて、そこへ存在し続ける大いなるものに、こうべを垂れる気持ちになるのです。それは、人生のはかなさとは違います。先祖も同じようにこうべを垂れ、子孫もまた手を合わせるであろうと思いを致す時に、「在り続ける存在」が見守って下さることのありがたさを感じるのです。
「在り続ける存在」の彼方に、日本人は天御祖の恩恵を感じるのです。
ううむ、何とも美しい ↑
こんなやり方があったとは! ↑
大きな〆縄と云えば、こちらですね ↑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?