【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊱「よそや」と「としめぐりひ」 <121号 令和4年6月>
今の世の日本人は「四十九日」や「祥月命日」を仏教がもたらした習俗と考えている人が多いですが、もちろんこれらは縄文ほつま時代からの習いです。
「よそや」は、故人が神上がりした日の夜から毎晩「もがり」のために専用に設けた一室(原型は洞窟)に籠もって初夜から四十八番目の夜まで祈り続ける弔いの儀式です。
フトマニ図「瓊璽(たまヲシテ)」の如く鎮座する天空の神々は四十八座いらっしゃるので、その一つ一つに毎晩祈りを捧げるのです。そして、それが明けた四十九日目が「忌明け」となるので今でいう「四十九日」がありがたいわけです。
『キ・ミの喪祭 四十八済み 御言に任せ 骸を イササワケ宮 "契の神"』ホ27 『御子 喪を務め 四十八済む 三十二集まり 上ぐる名は "ツクシ皇"』ホ27 『オシクモは 四十八喪に入り 山背の オシホに納む 東向き』ホ28
などなど、残された御子が「よそや」の祀りを真心込めて捧げる姿はホツマに何度も記述されますが、その原型を定めたのは、アマテル神です。
『大御神 神言宣は "あわの数 経て喪を脱ぎて 政聞く 歳巡る日は 喪に一日 その身柱に 祭るべし"』ホ26
つまり、大御神が「あわの数」つまり四十八夜=「よそや」の祀りを終えてはじめて「喪」を脱ぐ、明けると定め、また「歳巡る日」=「祥月命日」祀りを定めたのです。
「よそや」祀りを捧げる一室は「もや/喪屋」と呼ばれ、ここで「もがり/殯」の祈りを捧げるのです。「もがり」とは「行ったり来たり」迷う「たま」を潔く「ほどけ」させて天空/アモトへと還してあげる祈りであると考えられます。四十八夜の間は「よもつひらさか/黄泉別境」に漂っているので、戻って来ないように送り出す、見送る祈りです。
そして、毎年「としめぐるひ」に天界に還った故人の「たま」を呼び寄せて、親しくご接待するのが「祥月命日」のお祀りです。もはや「なきみ/亡骸/ご遺体」は形がないので、「身柱」つまり故人の身長に合わせた柱を依り代として飾って、そちらに降臨するよう誘っておもてなしをするのです。日本仏教の卒塔婆や御位牌は、その変形なのです。
つまり四十九日のお祀りや命日のご法事は、アマテル大御神の教えに寄り添っているわけです。
(駒形一登「解読ガイド」参照)
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もうすぐお盆となります。お盆は、先祖祀りをして、子孫が元気に暮らす姿を観ていただく行事(おこない)です。盆踊りでは、かならず両手を空に向かってあげて「輪をつくる」所作を行うのは、天空にますご先祖の魂にその姿を良く見せて、また、ご先祖さまの恩恵をありがたく戴こうとする祈りの所作であるからです。
お盆が、そもそも仏教の教えに基づくものではなく、縄文の教えであるように、四十九日の法要も、命日のお祀りも、その根っこは仏教にはありません。ホツマツタヱを読むと、四十八夜のお籠もりと祥月命日のご供養は、アマテル神が厳格に明確化した行事(おこない)であることを知ります。教えの親であることを実感いたします。
まったく、今回のテーマと関わりがない(ように見える) ↑
森永卓郎はメディアで活躍していた頃から、大嫌いだが、この番組は、味わい深かった。生きる意味、教えと学びの意味、幸せとは何かを考えさせられる。
ウィキでみると御年67歳か。ライザップに挑戦してた頃に、今の境地に達していたら、とも思うが、まあ人生いろいろだ。
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