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20010613 三十五日四十九日

 仏教ではこの世で亡くなった人があの世でどのような状態になるかが決定されるまでに七七日、四十九日掛かるとされているらしい。死んだのだけれどもあの世でどうなるか判らない中間的な状態なので、この四十九日間を「中陰$${^{*1}}$$」または「中有$${^{*2}}$$」と呼ぶ。

 その間、現世に残された家族は故人が少しでもあの世で良い方向に導かれるように念仏を唱えるのだが、残された家族には俗世界で生きていく必要があるので毎日、一日中49日間念仏を唱え続ける訳にはいかない。そこで7日毎に法要することになっている。

 初七日から始まり、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日に法要を行う。この間あの世ではいろいろな行事が行われている$${^{*3}}$$らしく、これによって故人のあの世での行く末が決められていくようだ。

 最近は中間の二七日、三七日、四七日、六七日は殆ど行われずに初七日と三十五日もしくは四十九日の法要だけを行う。三十五日は故人が今後どうなるかを決定づける重要な日$${^{*5}}$$とされているので、中間であるにもかかわらず三十五日を特別扱いして、この日をもって忌明けとする場合が多い。更に初七日を、葬儀の後、荼毘に伏した後$${^{*5}}$$、その日のうちに行ってしまうことも多くなってきた。

 浄土真宗$${^{*6}}$$ではどんな人でも極楽で往生できる$${^{*7}}$$とされているのでこのような法要は必要ないような気がするが、それでは残された家族の気も済まないだろうし、寺院の方も困るだろう。

 そもそもあの世で故人を審判するという閻魔大王は古代インド神話か道教の神であるし、浄土真宗では誰でも往生できるという最も重要な教義があるにもかかわらず、それに基づかない四十九日とか三十五日のような法要を行っている。更に即日の初七日のように民衆の要望に応えた形の省略された儀式まで行われている。宗教であろうと何であろうと常に権力や多数派に阿(おもね)るのは国民性なのだろうか。

*1 仏事の豆知識
*2 法要
*3 十仏王
*4 法事編
*5 平成10年度厚生科学研究「火葬場からのダイオキシン類排出抑制対策の検討」の結果報告について
*6 20000911 お経CD
*7 浄土真宗の教え

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