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【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉚「ほこ」と「つるぎ」 <118号 令和3年12月>

三種神器(ミクサタカラ)はアマテル大御神が定めたものであり、イサナギ・イサナミの両神時代には、「トとホコ」で治めていました。

『あめつちの 拓らけし時に ふたかみの トホコにをさむ』ホ序

「ト(斗)」とは「トの教ヱ」のことであり、ヲシテによって文書化され伝授された治世の要諦です。「ホコ」とは、「天のホコ」「逆ホコ」とも記され、

『ツルギのもとは あめのホコ クニトコタチの 世には未だ』ホ23

『トはヲシテ ホコはサカホコ 両神は これお用ひて』ホ23

 「トの教ヱ」に逆らうものを「綻(ホコ)ろばす」ための「刑罰」を意味します。つまり「トホコに治む」とは、「徳教と法刑」の政治という意味です。

 両神から治世を継いだアマテルは、これにカガミ(神鏡)を加えました。自省自重という作法を加えたのです。公明正大という要素と云っても良いかもしれません。施政者が厳しく自己を律することを求め、またそれに倣って臣民も「自らを慎む」と云う姿勢につとめることを求めました。

 さらにアマテルは、「ホコ」に替えて「ツルギ」をミクサタカラのひとつとして据えました。

 「ホコ」には、まだ「攻撃性」が残ります。自分自身を「絶対善」と捉え、相手側に「すべての非がある」という見方につながりやすい危険性があります。つまり、「ホコ」にある「上から目線」をアマテルは問題視したのです。

 ツルギは「ヤヱガキのツルギ」を正式名とします。「ヤヱガキ」とは「八重垣」と「汚穢垣」の意味を重ねており、穢れたものの考え、邪な意思と力を幾重にも防ぎきる「自衛」を意味します。

 「ツルギ」とは「神剣」です。ホコと同様に「法刑」を意味しますが、さらに「汚霊=穢れた(キ)を根絶=尽きる/つる」という語義が秘められています。根絶する威力を誤って無実の者に向けないように、アマテルはその制作に念には念を入れます。

『左の眼お入れて練る剣 活き身に近く枯れ疎し』『右の眼お入れて練る剣 枯れ身に近く活き疎し』ホ23

『右の剣 枯れ身お好み 活き畏る これそ治むる たからもの』ホ23

 穢れを峻別する霊力を剣に託したのです。

(駒形「ほつまつたゑ解読ガイド」参照)

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 混乱した世の中を修理固成したナギ・ナミ両神から治世を引き継いだアマテル大御神は、両神が治政の要諦とした「斗矛(トホコ)」を「三種神器(ミクサタカラ)」に替えました。この進化は、とても大切です。
 「カガミ」を加えたことは、「ハタレの大乱」で治政の脆弱点を見極めたアマテルの英断でした。
 その重要性と共に、「矛」と「剣」の違いにも、アマテルの透徹した「政治観」があることをよく押さえておくことが必要です。「ホコ」も「ツルギ」も武器の一種なのですが、アマテルは「ホコ」を「ツルギ」に置き換えました。
 あらゆる「ケガレ」には偶発的なものはなく、客体が独立していることもない。「ケガレ」は本質的に誘発されるものであり、客体は主体に反映されている。諸刃の剣で己の心を「斬る」覚悟をもたなければ本当の「自衛/厄除け」は成り立たないと、アマテルはお考えになったのでしょう。
 不動明王の「心」もアマテルのこの「心」を写しているのです。


縄文の教え88 より

奉納刀を公開することにあえて異議はないが、「刀」ばかりの収蔵館に「剣の宝庫」と名づけるのはいかがなものか、、、 ↑

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