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【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉝「からす」「しき」「う」 <119号 令和4年2月>

神武東征「カンタケのヤマトウチ」29アヤでは、「烏と鴫と鵜」が登場します。「ヤタノカラス」と「兄シギ」「弟シギ」と「黄金ウノトリ」です。

記紀神話とホツマ伝では、異伝を伝えるので注意が必要です。

1.記紀では「ウノトリ」は登場せず、瑞兆となるのは鵄(トビ)=金鵄(キンシ/金色のトビ)です。

2.ホツマではカンタケの弓に舞い降りて神威を放つのは「黄金ウノトリ」ですが、書紀では、カンタケ(神武)のもとに「ヤタノカラス」が舞い降ります。古事記では金鵄は登場せず、八咫烏との混同があります。

3.ホツマ伝では、「ヤタノカラス」は鳥ではなく人物であり、山中の道案内と敵側への潜入工作を行います。

4.シキは、磯城と通例表記します。書紀でも兄磯城と弟磯城が登場しますが、カンタケに反逆する兄磯城を磯城邑の「八十梟師」(ヤソタケル)というホツマ伝には無い呼称で紹介しています。弟磯城は、ホツマ伝ではその後皇室に連なる有力氏族となります。

 さて、「カラス」は、ホツマでは「枯らす」という暗い死を意味する属性と、「光(カ)らす」という光輝ある属性を兼ね備えます。

『鷦鷯みそ 鵄ゆふまつり 烏つか 八日八四悼み 喪おつとむ』ホ10

 とあるように葬祭では「トビ役は供物を担当しますが、烏役は墓掘り担当です。

 烏は実際は夜行性ではないけれど、夕暮れ時に群れるので夜の鳥とされ、また高い知能と識別能力を持ちます。スパイや間諜的なイメージは日本に限りません。

 鴫(シキ)は、田の鳥であり、シキ村とは豊かな田園地帯をイメージさせます。敷島(シキシマ)という美称は「曲がりのない直い国/田園に潤う国」という意味合いがあり、ヤマトの中心ともいえます。

 鵜(ウ)が黄金色に輝いて登場するのは、ホツマ伝では、この神武東征時に限られ、異色です。鵜は真っ黒の鳥であり、ぬゑ(鵺)・からす(鴉)と近似する鳥(縁起が良いとはいえない)だからです。

『シマツ鳥の鵜 おきつとり カモと船なり』ホ5

『シマツヒコ 朽ち木にのれる 鵜の鳥の』ホ27

『シマツヒコ 流れ木にほす 鵜の食みて 木お編み連ね 筏のり』ミ10

 等と「鵜」は船魂神系(カナサキ系)伝承でのみ登場するので、もしかすると船魂神系の人物の暗喩なのかも知れません。

(駒形一登「ほつまつたえ解読ガイド」参照)

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 神武東征を成功へ導いた「謎の霊鳥」は、『日本書紀』では金鵄とされ「鵄(とび)」と伝わります。古事記では八咫烏は登場しますが、霊鳥は出てきません。ホツマでは、「黄金ウノトリ」です。道案内の八咫烏と違って、カンタケ(後の神武天皇)の正統性を輝かせるかのように煌めいたこの霊鳥は、まさに「鳳凰」のような鳥だったのでしょう。
 しかし、では何故、素直に「アマテル誕生」や「ヤマトタケ逝去」の場面のように「イトリ=鳳凰」と記述しなかったのでしょうか。「ウノトリ」を「大いなる鳥」と解釈することも説得力がありますが、「ウ」を「鵜」と解釈すると、また別の深読みも可能です。
 ホツマでは、最高位の動物は「鳥類」です。(ウシでも、ヒツジでも、ヘビでもありません。念のために。)
 メヲ女男のまぐわいを天に代わって教示した「鶺鴒」もそうですが、鳥はたくさんの種類が登場します。葬礼法にも「鳥役」が登場し、興味深いものがあります。

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筆者の住まいの産土社は「川匂神社」だが、「カワウ」ではなく「カワワ」と読む。どうでもいいけど。

えー! カワウとウミウが居るって、初めて知った! しかも、鵜飼い漁をするのはウミウだって!
 でも、羽を乾かす姿が日常的だったとすると「大きな鳥」にも視えますね。
 
 しかし、神武軍の弓弭にとまって羽を乾かしていたとしたら、「お前、びしょびしょやんけ、しかもこっちはイクサ中なのに、飯食ってきたんかい!」とツッコミを入れたくなるかも、、、

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