加賀谷卓史
仏教に関わることをまとめています。
詩をまとめたものになります
日々の気づきを綴りたいと思います。
仏様のご守護 まずは人様、先祖のお陰様、 自己犠牲 全て自分自身、報恩感謝、 世界平和、人を救い世を立て直す 素晴らしい言葉です。 この言葉通りの心で日々生活していけば 必ずや世界平和になると思います。 ですが そんな事を人には言いながら亡くなった人を 嘲笑する宗教団体の会長がいる。 そしてその笑った姿を見て一斉に 笑う信者がいる。 それも自殺をしその悲しみを何十年も抱え今でも苦しみ、目の前で涙してる遺族のいる前でだ。 本当に血も涙もありません こん
誰もが誰かを見て誰かから学び 成長していきます。 学ぶというのはまねぶというのが語源ですが 調べると 赤ちゃんは親の言葉をオウム返しで繰り返して 覚えていく様子が「まねぶ」に相当すると 書かれています。 また習うという字はこのように書かれてあります 習という漢字の語源は慣れるだそうですが 羽と日(太陽)を組み合わせた会意文字で、 ひな鳥が日の当たる方に向かって はばたいて飛ぶ練習をする様子を表しています。 学や習というのは親の姿を見て真似ながら 繰り
許すって心がほぐれて 広がっていくんだね 許すってやさしくなれるんだね でも 許すって難しいね
罪を知り 人の思いを知る 人の思いを知り 人の痛みを知る 人の痛みを知り 慈悲の心を知る 慈悲の心を知り 仏の住所を知る 仏の住所を知り 本来の自己を知る 知るは難く行うは易し
貴方はこの世でたった一人の尊い存在 誰が何と言おうと変わりの利かない人 他の人より何かが劣っていても そんな小さい事は気にしなくていいの 貴方にしか出来ないことがある それをする為に貴方は生まれたの 貴方はこの世でたった一人の尊い存在
貴方が頑張っているのを ちゃんとわかってくれる人が必ずいる 今、不幸に見えてもその時間が 本当の幸せに導かれている事もある 今日は辛かったのに悲しかったのに 頑張ったね いつでも見守っているよ
自分の思い通りにしようとするから苦しくなる 人を変えようとするから怒りが湧く 執着するから悲しくなる 人間なんてのは身勝手ないい加減な生き物だ 自分で自分の首を絞めて苦しい苦しいと言って 人のせいにしているのだから でもそれは本当の貴方ではない 本当の貴方は人の思いを汲んで悲しみに寄り添い 人の幸せを願える貴方であるはずだ そんな自分を忘れているだけなんだよ それが本当の貴方なんじゃないかな?
「カメラは生きている」と思う時がある 使っていくうちに生き生きしていくのが 伝わってくる。 使われていない中古のカメラや 大切に扱われていないカメラは 人を拒絶している。 だから「大切に使うね」と優しくしていくうちに カメラが心を開いてくれるんだ。 そんな時 「カメラは生きているなぁ」と 思う。 カメラも人の心も同じだ。
様々な人に出会うと思いますが 好きな人や嫌いな人、仲の良い人、悪い人 優しくしてくれる人 意地悪する人 こうして様々な人に出会い 信じたり裏切られたり、その度に愛憎が 心の中で蠢くのが人間です。 仏教にはこんな言葉があります。 人に依らず法に依る 人と言うのは完全な生き物ではありませんから 争ったり暴力をふるったり物を貪り粗末にしたり 嘘をついたり悪口を言ったり 自分のために平気で嘘をついたり 裏切ったり出来ます。 ですので人間という生き物を 絶対
芸術や作品を作っていくには ある程度の収入が必要です。 ですので中々 裕福にとはいきません。 仏教には因縁果報という教えがあります。 因というのは原因即ち自分自身のことです そして縁とは周りの生きとし生けるもの 全てを指します。 その因と縁の出会いによって結果を生み その結果が報いとなって様々に影響を及ぼし また新たなものを生み出します。 以前にも書きましたが 道元禅師の御言葉の中に 同心の中に衣食あり とあります。 本当の生きる軌道に乗ったならば
ルールのためのルール、会社や病院や宗教団体 そういった組織は必ずルールや規則で 相手を黙らせ泣き寝入りさせたり 人を支配しだし 人を悲しませたり 苦しい人がまたさらに苦しみを 抱えなければならないような事が 各方面で表面化しているように思います。 人はルールに従わせようと支配して 相手は従っているように思えますが、 仕方なく従っているだけであって 実際は本当には納得はしていません。 「社会はそういうもの」、大体の人は そう言うでしょうが そういった思
先日パリオリンピックが開催されていましたが 皆さんはご覧になりましたか? 私は毎日テレビの前で興奮と感動をしていました。 スポーツは勝ち負けの世界ですが 勝ったほうが凄くて負けたほうが劣っている そんな風に私達は思いがちです。 ですがそれはいち人間が勝手に良し悪しを 決めているに過ぎません。 岡本太郎さんは 当時 野球の日本シリーズでどちらが勝つか 聞かれた所 「勝ったほうがが勝つに決まっている こちらが負けて勝たせてやったんだから 負けた
此岸から彼岸へ 愚道から求道へ 不幸から幸福へ 幸せなる橋を渡ろう
センスを磨くとありますがこれは一般的に その世界のやっている定石や常套句 上手いものをなぞっていく事をセンスを磨くとか センスがあると言われている大半であります。 ですがそれは本当のセンスではなく センスとは感覚という意味だから 心そのものを磨かないとセンスがあるとは 言えないのです。 美術家の篠田桃紅さんはこう言います。 アレンジとはその世界でやってきた 定石、常套句を覚え 覚えたものを混ぜ合わせて 形にするけども クリエイトとはそういったものから
これからも終戦である事を願う その一人一人の祈りが必ず形となる それが平和の姿であると思うのです。
見えるものの奥を 見えぬものを観ていく 本当に実在するものは 見えないものなんだよ 見えぬものとの調和こそ 本当の一体感なんだ