オースターをはじめて読む。 きのうの訃報で、以前古本屋で買った“幽霊たち”がそのままになっていたのを思い出して。 オースターには申し訳ないが、単に面白いとばかり聞いていたせいで、軽くて上手くて空っぽな作家ではないかという疑いが私にはある。 果たしてどうだろう。
『ムーン・パレス』ボールオースター 「芸術の真の目的は美しい事物を作り出すことではない、そう彼は悟った。芸術とは理解するための手立てなのだ。世界に入り込み、そのなかに自分の場を見出す道なのだ。」人生のピースが少しずつはまっていくような小説でした。
ポール・オースター「鍵のかかった部屋」読了。 ニューヨーク三部作の大傑作。妻と幼子を残して失踪した小説家を負う「僕」が理性を失っていく展開に興奮。 現在作成中のマイ本棚の記事でもオースター作品について触れたいと思う。
雨の日に良いブックカバーってないかなと、朝少しだけ余裕の時間に、一つ物語を読み。これは、👌OK っていう兆しは、結構誰でもありそうつで、気づいていない事もある。それは、大きなモノではないかもしれないしね、などと考える。これはラジオのストーリーの中の、ラジオのお話📻
なぜか頭に言葉が浮かぶ。この感覚、すごく良くわかる。 ふと、さっきのてんとう虫、星がない黒って珍しいねと話していたのを、思い返しながら。
このように共感している人、してくれる人のメッセージは喜んで受け取りたいけれど、うるさくて、失礼なメッセージ(のようなもの)は受け取りたくも無い。七夕の夜、ぷつんと、全く聞こえなくなった「静寂」が一生続いてくれればと、この物語を読み、改めて願う。
先入観はだいぶなくなっているとは感じても、あなたの気持ちが本当にあるのかどうか。何度も確かめたくて、足を向けた。会話がなくても「わかる」なんて事は、このような物語だからであって現実に会話も無いのでは、伝わらない行動も起こさない。それではもう伝えようとしていないと同じなんだよ?
昨日読んだ、「花粉症」の続きは似たような名前フェイとレイ。2人とも「同じ」にしている。昨日は、似ている2人を随分見たけど...と、1話飛ばしているのだった。次の話しは、リー・アンとホリー・アン。戻って、また似ている2人を見るようだ。 https://note.com/yuenall1904/n/n7df205559925
「幻影の書はもう読み終わったんですか?」と、聞かれたので、本の読み方が変わって来たようでと返して。アートの話しも、とても興味深かったし、TL に見た「とても良かった」朗読もとても良かった。 昨日 5冊目のオースターから見つけたのは、当意即妙。 今日は、黄色の花からの桜梅桃李。
オースターの2冊目をよみながら、4の章は印象的。 フリギュア語がもう死語である事。エサや水を自動で与えられると、ネコは鳴かなくなるという話しにも通じる気がする。
ムーン•パレスを読み進めながら、ムーン•パレスとは?と考えていたら、すぐに出てきて。これはまた、ところどころに出てくるのだろうな。そして、届いた「読書会」のメールには、オースターの「幽霊たち」うーん。読書会なら「ガラスの街」がいいな。あの物語を読んだ人の見解を聴いてみたいから。
「ガラスの街」「ムーン・パレス」の後には?と勧めてもらったこの本は、本当にしっくりくる。特にこの2ページには、納得感がすごくて、この満たされるような気持ちは何かに似ていると考えていたら、スナック・ミーのおやつを食べた時の美味しさなんだと気づく。次の定期便が届くのが更に、楽しみに
思考の糧 food for thought. それは私にとってはオースター作品だと、「ガラスの街」を読んでから特にそう思える。もう一つは、スナックミーのおやつ。一口食べて、全て食べた後の余韻が身体と脳のひと息の呼吸となるような。もう、これは food for sort なんだ。
久しぶりに上京し、仕事、家族サービス、こちらでしかできない経験(飲食、芸術鑑賞など)してたら、あっという間に時間が過ぎていた。でも、物語世界のことは心のどこかにはある。今日は持参していたこの本を読んで、こちらにくる直前の感覚を思い出していた。小川洋子さんが勧めていただけある。
ポール・オースター と 村上春樹 の 共通点を述べよ