Hajime Yamazaki(山崎元)
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「癌」になって、考えたこと、感じたこと(4)
今回は、癌に罹り、進行することで見えて来た、物、仕事、人間関係などの必要・不必要について書く。論理の筋立ては見えていて、一つには時間的な制約、もう一つには体調・体力的な制約によって、主にそれまで抱え込んでいたものの中で不要になったものがどんどん見えて来たということだ。
ところで、この原稿を書くにあって、こちらの事情で遠ざけた仕事や人間関係の当人や関係者が読者の中に混じっている可能性について考え
「癌」になって、考えたこと、感じたこと(0)
〜我が癌の記、その0、「序章」〜
私は、2022年の夏に食道癌が見つかった。その後、治療を受け、現在に至っている。診断が確定してから一年が経過した。
癌は人がよく罹るありふれた病気だし、私の癌が特別なものだったわけではない。また、私は医師や医療ジャーナリストのような医療の専門家ではないし、特別な治療によって癌がすっきり治ったというような体験を持っているわけでもない。
だが、癌についてネットに
インデックス投資ナイトのスピーチ原稿
インデックス投資家が年に一度集まる「インデックス投資ナイト」というイベントがある。今年は7月8日に渋谷のカルチャー・カルチャーで行われた。毎年人気を博していて、チケットは売り出し後数分で完売になる。
私は、ありがたいことに毎年登壇者として声を掛けて貰っているが、今年は体調の問題を考慮して、いつものパネルディスカッションではなく、10分プラスαの予定で単独スピーチの時間を貰った。
今回は、その
幸福の決定要素は、実は一つだけだった
たいていの人間は幸せでありたいと願う。では、幸せを感じる「要素」あるいは「尺度」は何なのか。既に、多くの人がこの問題を考えている。
私は、このほどこの問題に暫定的な結論を得た。人の幸福感は殆ど100%が「自分が承認されている感覚」(「自己承認感」としておこう)で出来ている。そう考えざるを得ない。
現実には、例えば衣食住のコスト・ゼロという訳には行かないから「豊かさ・お金」のようなものが必要か
山崎元の母の教えをご紹介します
息子は母親の影響を強く受ける。息子と母親の関係は難しい。私の場合もそうだった。
母・山崎明美は昭和10年生まれで、私は昭和33年に生まれた長男だ。母は、旭川西高等学校を卒業して、ほんの少しだけ働き、ほどなく結婚した。地元の国立大学に進学できる学力が十分にあったと思われるのだが、学歴嫌いの父親に忖度した。時代とはいえ、惜しいことだった。
父親は家具商や証券会社などを作った商売人で、母方は豊かだ
山師と株屋の孫として。「私の履歴書風」の我がルーツ
日本経済新聞の名物に「私の履歴書」がある。功成り名を遂げた人物が一ヶ月にわたり自伝を連載する(注1)。多くは記者が取材して書いた文章に本人が手を入れたものだろうが、登場者はおしなべて上機嫌だ。
功も名もない私が登場できる場所ではない。「日(を)経(た)新聞」と言うぐらいだから、古い話がよく似合うね、と嫌味の一つも言ってやりたいところなのだが、あの種の自分語りはいい気分のものではないかと想像され