山崎元の母の教えをご紹介します

 息子は母親の影響を強く受ける。息子と母親の関係は難しい。私の場合もそうだった。
 母・山崎明美は昭和10年生まれで、私は昭和33年に生まれた長男だ。母は、旭川西高等学校を卒業して、ほんの少しだけ働き、ほどなく結婚した。地元の国立大学に進学できる学力が十分にあったと思われるのだが、学歴嫌いの父親に忖度した。時代とはいえ、惜しいことだった。
 父親は家具商や証券会社などを作った商売人で、母方は豊かだったとはいえ農家の出なので、良家の子女ではない。だが、性格的な質は間違いなく「お嬢さん」だったと思う。ナチュラルに自己中心的なのだが、明るくて、社交的な印象のいい人だった。父は母のおかげで対人関係上ずいぶん得をしたと思う。

 息子は、顔立ちも性格も母親似だと言われていた。よく、息子というものは女性の原型を母親に見て、母親と似た女性を好きになるものだと言われるが、母のような女性を恋人や、まして妻にしたいと思ったことは、少なくとも思春期以降に一度もない。

 愛情が深くて、そして、存在として「強い」母だった。
 特に子供を守る時の、集中力と言葉の力が抜群だった。
 なぜ息子を「守る」必要があったのか。私は扱いにくい子供で、特に小中学校の教師と相性が悪かったからだ。例外的にヤマザキ少年を認めてくれた教師が2、3人いたが、それ以外の教師との関係が極めて悪かった。いたずらや反抗の中身が異質で時に深刻だった。しかし、成績は悪くない。教師よりも口は立つ。好かれるはずがなかった。しばしば親が学校に呼ばれた。
 中学校のクラス替えの際には、全4クラスの担任の何れもがヤマザキ少年を引き取ることを嫌った。「仕方がなく私がヤマザキ君を引き受けました」と卒業直前に担任は母に明かした。
 テルアビブの空港で乱射事件があった時には、「ヤマザキは将来あの犯人のような人間になるのではないか」、と母は教師に言われたという。しかし、母は常に息子の方を信じた。
 どんな場合にも、母は一歩も引かなかった。息子のいたずらその他の不始末は丁寧に謝るとしても、教師の非や無能を即座に見つけて、一撃の下に教師の自尊心を破壊して学校から戻ってきた。
 ライオンのような女だった。

 さて、この愛情深きライオンには、一つ悪い癖があった。子供を脅すのだ。
 子供の躾は厳しかった。刃のような言葉と、鉄拳が飛んできた。ライオンなのだから当然だろう。これはいい。だが、子供を脅すのは良くない。
 まだ学齢に至らない頃だ。街に買い物に行くと、迷子の恐ろしさを滔々と語った後に、息子と手を繋ごうとしないで反応を見るのが彼女のゲームだった。
 また、「実は、あなたは拾った子供なのであって実子ではない」という念入りな作り話を聞かせることがよくあった。息子が悲しい顔になるまで話は続いた。
 息子が大きくなってからも、「油断すると、大変なことになる」という話を頻発して、息子を決して安心させまいとする。模擬試験の結果がいい時などもそうだ。「満ちれば、欠ける」というフレーズが彼女の座右の銘だった。
 今にして思うと、彼女自身が強い不安を抱えていたのだろう。しばしば悪夢にうなされる人でもあった。時代と合わなかった自分の人生への不満もあったかも知れない。子供といえども、他人をぬくぬくと安心させておくわけには行かなかったのだろう。

 ある文章で私は、母と暮らした少年時代を「愛と脅しの日々」と形容したら、妹が「その通りだ」と同意した。性格を他人のせいにするのは良くないが、自分にも他人にも厳しい、私の少々嫌な性格には母親の影響があると思う。
 少年の私は、総体として、母親のことが好きだったし、感謝もしていた。また、母は、反応がいい張り合いのある話し相手だった。だが、何はともあれ、「母とは、距離を取る方がいい」と息子は思った。札幌の高校生だった私が、東大を選んだ理由の一つだ。
 一般論としても、息子はなるべく早い時期に母親から離れて暮らすのがいいのではないかと思っている。母親のものの見方・感じ方の世界の外に出る必要がある。その方が早く大人になる。「そうでない息子」の残念な例を、これまでにたくさん見てきた。

 物理的な距離を取って付き合うようになって以降、母と私の関係は何十年も良好だ。会うたびに懐かしい。母の最大の理解者は私だという自負がある。
 今回は、「明るい山崎明美さん」が表れている母からの手紙の文章をご紹介したい。母は、長年、息子の誕生日に手紙と金一封を贈るのが習慣だった。以下の文章は、私が42歳になった時に、母が書き送った5箇条の訓示である。この時、母親は65歳だ。現在の私とほぼ同年齢である。

(母の手紙から引用)
今年も風薫る五月が巡って参りました。
42回目のお誕生日おめでとう。
仕事が変わったり厄年だったりするのでせめて不運に見舞われないための5箇条を認めます。元においてはすでに生まれながらに実行している事もあるかもしれませんが、先ずはご覧あれ。
・背筋を伸ばして大股で歩く
・言語意味共に明瞭に話す
・おかしい時は高らかに笑う
・美味しそうに食べる
・正しく怒る
 如何にも清々しい人間像が浮かび上がるではありませんか。
(引用終わり)
 わが母の書いたものながら、いい文章だと思う。心得も具体的で悪くない。息子は長年心に留めていた。

 母は、現在、札幌市内の高齢者用施設にいる。新型コロナに伴う施設の面会制限のせいで、もう3年以上会っていない。身体は思いのほか弱ったものの、頭はクリアだ。
 訓示を垂れるのが好きなのも変わらない。先日、彼女は電話で以下のように述べた。
「元、あんたねえ、不機嫌にしていたらダメだよ。ツキが落ちて、良くないことが起こるから。機嫌良くしていなさいね。確か、ゲーテもそう言っているから」
 ゲーテがそう言ったかは怪しいと息子は思ったのだが、ネットを検索してみると「人間の最大の罪は不機嫌である」という言葉が見つかった。
 はい。母上、仰るとおりです! でも、やっぱり子供は脅して育てない方がいいと思います。
 母には、いつまでも元気で長生きして欲しい。

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