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強制されるより自ら気付くことに価値がある

子供の育児や学校教育や部下や後輩の指導など何か人に教える経験やもしくは教えてもらうという経験を誰しもしたことがあると思うんですけど、私自身学生時代は教えるってめちゃくちゃ簡単なことだと思っていました。

ただ大人になってから考え方が真逆になりまして、教えるってめちゃくちゃ難しいことだと思っているんですよね。

なぜかって言うと人ってわざわざ教えてもらわなくても自分から勝手に学ぶこととか勉強することとか何かを感じとることはできるし、教える側の思想や価値観が必ず正しいわけではなく、間違っていることもあるんですね。

本屋さんや図書館に行っても学校では学べないことを学べたり、学校の教科書を自ら自習などをして学ぶことができたり、もしくは教科書とかのマニュアルからではなくて、体験や経験からも何かを感じて学ぶことはできるんですよね。

最近ではSNSやYouTubeからも嘘も混じっていますが、学べることも多いと思います。

で、何が言いたいかっていうと教える側や教育する時に意識した方が良いと思うことは、教える側の人が世の中に正しいというということがないということをまずは理解し認識していることが大事だと思っていて。
なぜかと言うと、教える側の人が全て自分の意見が正しいと思っちゃうと教わる側の成長の限界値は教える側の人を超えることができないと思っています。

教える側の人達は今まで生きてきた中での経験したことや学んだことをもとに伝えようと思っていることが多いと思うのですが、結構正しさを押し付ける人の方がほとんどだと思っていて。

価値観や考え方はというものは時代と共に変化していくことがこの世の原理原則だと思っていて、自分の親世代と自分達の世代では流行や価値観も違ったように自分達の子供や後輩や部下の世代の流行も価値観も違うんですよね。

だからこそ、自分の経験や学んだことが全て正しいと思うのではなくて、自分の経験や体験はあくまで数ある意見や考え方の一つと思いながら固定概念に囚われずに指導するということが指導する時には大切なことであると思っています。

そうすると何が起きるかというと、教えてもらう側の思考力が強制されるよりも身に付くと思っていて。
強制されている時は教える側が「あれやれ、これやれ、こうするべき」と指導するのでお互いの脳みその中でそれ以上の思考は生まれないと思うんですよ。

日々のやるべきことに忙殺されている状態で常識を疑ったり、本当にこれって合っているのかなと振り返りや見直しをすることができなかったり。

一方で、固定概念に囚われずに指導している方はある程度はレールは敷かれながらも「もっとこうやったら効率的になるんじゃないかな」とか「もっとこうやったら早くレベルアップするんじゃないかな」とか無意識に思考する余白が生まれ、かつそれを指導する側に発言するハードルも下がると思っています。

このパターンの指導は指導する側も指導されている側の意見を聞く、とか感じていること、思っていることを聞くって言う姿勢になっている可能性が高いので。

そうすると脳がクリエイティブになり、元々思考していた範囲外のことからの発想や物事の捉え方ができるようになり変化を恐れない耐性がつきやすいと思うんですよ。

生物の掟としていつの時代も変化できないものは沙汰され、時代の中で適切に変化したものだけ生き残ることができました。

怠惰な人間には強制することが適切なのかもしれませんが、能動的に自ら率先して行動できる人間にとっては敢えて言わない、敢えて放置するとかの方が実力を発揮できるんじゃないかと思ったりもします。

これだけ変化のスピードが速い現代だからこそ、指導する側、される側お互いに常識を疑ってみるということが組織やチームがより良くなる秘訣ではないかと今は思うようになりました。

教育や指導のことで悩んでいる誰かに届きますように。

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