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#旅行記
【1989年100日旅】17日目。モスクワ
17日目。小学校は授業参観日。1時間だけで学校を終え、父の住むモスクワ大学の寮に戻った。ロシア人らしき男の子が二人いたので、言葉は通じなかったけれど一緒に遊んだ。言葉が全く通じなくても意外とコミュニケーションはとれるもので、この旅ではいろんな国の子供と遊んだ。
午後はアルバート通りへ。歩行者天国の通りで、おみやげ屋、骨董品屋、カフェ、レストラン、帽子屋などのお店がたくさんあった。道端で似顔絵を描
【1989年100日旅】15日目。モスクワ
1989年の今日は旅の15日目。この日は、モスクワ大学の寮の探検をした。モスクワ大学の寮には当時の書記長、ミハイル・ゴルバチョフがかつて住んでいた部屋もあって、それを探しに行った。特に他の部屋と変わることもない、ザ・ソ連な感じの外観だったけれど、プレートがかかっていた。テレビでゴルバチョフを見て、知っているような気になっていたから、寮の部屋を見たときはうれしかった。
ゴルバチョフは妻とモスクワ大
第2の故郷 仙台・松島を巡る2泊3日 #おうち旅行
緊急事態宣言が出されて1週間近く経ちますが、いかがお過ごしですか?
私は介護職なので、変わらず出勤しています。
景気に左右されないこの仕事はありがたくもある。
けれど、ワイドショーの「おうち時間を楽しく過ごそう♪」みたいな特集を見るたび、「ワイドショーがこの世からなくなりますように」と願わずにはいられないくらいには、気持ちがささくれ立っています。
そんな殺伐とした気持ちを少しでも癒すべく、こちら
【1989年100日旅】7日目。モスクワ
1989年4月12日。この日はビザ申請をしに東ドイツ大使館に行った。東ドイツ大使館は、相手が日本語ではなくロシア語を話すという点が違うだけで、日本のソ連大使館とあまり違わないと感じた。つまり無愛想。あまりに長い時間待たされ、退屈して妹弟と騒ぎすぎて、大使館の人から激しく怒られた。ビザをもらえないのでは、と親が心配するほどだったらしい。
その日、初めて自動販売機でジュースを買ってもらって飲んだ。ソ
短い夏の長い夜 〜ストックホルム編〜 #おうち旅行
えみさんの素敵な企画に参加します。
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母はヨーロッパの旅番組が好きで、いつかは行ってみたいとよくこぼしていた。でも、うちはそれほど余裕があるわけじゃなかったから、家族で海外旅行なんてイベントはない。私が働くようになって、たまたまいいタイミングでお金の用意ができたので親娘2人旅を決行することにした。父はヨーロッパにそれほど興味がないため留守番。
さて、行き先はどうしよう。母が特に好きなの
【1989年100日旅】4日目。モスクワ
1989年4月9日。ゴーリキイ公園に行き、シャシリク(串焼き肉)を食べた。当時のソ連には橋や建物等、防衛上撮影禁止の場所がたくさんあり、警官に見つかるとカメラやフィルムを没収されるらしかった。ゴーリキイ公園も本来は撮影禁止。「でも、こっそり撮った」と日記にある。子供を立たせてピースかなんかさせておき、写真を撮るのがコツだったらしい。
ハードロックバンド、スコーピオンズは『ウィンド・オブ・チェンジ
もう少し先まで行ってみたくなったあの日、兵庫県竹野町
青春18切符を使うとどうしても1、2日分と余ってしまう。
関東で一人暮らしをはじめてから、ときどき実家に帰省するのだけれど、新幹線は高いので長期休暇中は青春18切符を使って帰省することが多い。
そうすると、関東から関西に往復するだけだと2日分しかその切符を消費しないので、残り3日分余ってしまうこと多々ある。
真夏のある日、余った残りの青春18切符をみて、なんだか小旅行に出かけてみたくなった。