miyako

詩のようなエッセイのような、ここは、わたしの種。難病発症と弁膜症の手術を経てメメントモ…

miyako

詩のようなエッセイのような、ここは、わたしの種。難病発症と弁膜症の手術を経てメメントモリを大切にあれこれを。絵本セラピストとしても活動。本と旅、心身に優しい食が好き。イタリアを旅するのが夢です。

マガジン

  • caffè corretto

    コアントローかコニャックで。ホイップクリームかマシュマロ添えて。シナモンパウダーはお好みで。私の痛みは私のもの。すべてを花束にして。

  • potluck

    私の詰め合わせ。つまりはエッセイ。

  • お気に入り

    知る 学ぶ 考える 気になる 惹かれる もの こと あれこれ 🤭✨ 皆さま ありがとうございます😌

  • 闘病記

    わたしのかけら。 高安動脈炎( #難病 ) 人工弁・人工血管 寛解完治を目指しています。

  • 旅ドロップ

    旅の数だけ色がある味がある。 ほんとうは黒飴がスキ。

最近の記事

  • 固定された記事

人生は、みずたまり。自分を知るということについて。

自分を知るとは? 自分を生きるとは? 小春日和に雨を想う昼下がり。 晴れているときには平らに見える踊り場には雨が降ると大きな水溜まりができる。私はそのことを知っていて、私はそれが嬉しい。「自分を知る」とは、つまりそういうことなのかもしれない。水溜まりの場所の把握。いままでの気持ちこれからの気持ち、それらすべてが水溜まりであり、それを抱えて歩くことが私を生きることだとおもう。雨は降る、それは自然なこと。抗えないのならば、それを知り、こわがりすぎずに。日々を大切にしたりときに

    • ときに川は橋となる〜わたしは生まれなおしていた〜

      新しい年、はじまってます 年女を駆け抜ける一年です カメラを向けられると悩んだあげくVサイン!昭和がレトロの仲間入りをしていて遠い目をしてしまう辰女でございます。 今年はフィルムカメラを引っ張り出してパシャパシャやりたい。今更ながら?コダックのフィルムが気になっております。 フィルムカメラとデジタルカメラ... デジカメは金銭的なことを気にしすぎることなく気軽に連写しまくれて多数あるなかから最高の一枚を選ぶことができるところがよき 一方でフィルムカメラは「ほんとう

      • ことばと出会うためなら泥水だってカクテルなのよ

        やっぱり 話すより 書く方が好きみたい。何度も注意深く納得するまで考えることができるから安心する。ことばをおくことは すごくすごく勇気がいるんだ。たまに自分の書いたものを読み返しては 幼すぎて 赤面することもあるのだけれど 過去の自分から溢れた言葉の束に驚いたり感心してしまうこともあって。人生の意味なんて そんな大袈裟なことは 言えないんだけど わたしにとって 「体験して ことばを発見して 文字にすること」は わたしを生きよう!と、なんとか自分の人生を全肯定してやりたい理由の

        • 意識しなければ忘れてしまうような日々を重ねていけることは、意識しなくても忘れない日々を重ねていくことと同じくらい幸福なことなのかもしれない

        • 固定された記事

        人生は、みずたまり。自分を知るということについて。

        • ときに川は橋となる〜わたしは生まれなおしていた〜

        • ことばと出会うためなら泥水だってカクテルなのよ

        • 意識しなければ忘れてしまうような日々を重ねていけることは、意識しなくても忘れない日々を重ねていくことと同じくらい幸福なことなのかもしれない

        マガジン

        • caffè corretto
          5本
        • potluck
          2本
        • お気に入り
          40本
        • 闘病記
          3本
        • 旅ドロップ
          2本

        記事

          写真を撮るのも好きなんです🦭🤍 https://instagram.com/utatobira

          写真を撮るのも好きなんです🦭🤍 https://instagram.com/utatobira

          それは、前進か後退か

          祈らずにはいられなかった今日と 祈ることを知らなかった昨日と 一体どちらが幸福なんだろうか? わたしのなかのなにかが腐敗していくのがわかる。すさまじい悪臭を放ち最終的には去る。消滅は完全なる無ではなく生まれたものは感覚を養う目を持つ。とどまることや叫び続けることに違和感を感じたなら砂嵐から抜け出たのかも。自分でも、知らないあいだに。乗り越えるというよりは通り過ぎる通り抜けるというようような。 そう、砂嵐... 砂嵐には逆らえない 困難には静かに挑むしかない たったひとり

          それは、前進か後退か

          生きるとは?前進だけが正解ではないということ。

          昨夜、「生きるについて」わたしが想うあれこれをお話しました。自分と仲良くしたいけれどできなくて、自分に裏切られたり自分に失望したりしてしまう。そんな人たちへのラブレターとして語りました。わたしはあなたの辛さをわかったようなふりはできない。それは違うとおもうから。わたしの日記に綴られ続けた言葉たちが、少しでもなにかのきっかけとなれたなら、わたしはそれで幸せです。 🎧 『人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事のこと。 』 わたしは私自身の痛みをところ構わずぶち

          生きるとは?前進だけが正解ではないということ。

          長い散歩のように。近況や本のことなど。

          優しく甘美な絶望は ドーナツの穴に似ている 夏の経過をペディキュアにみて、夜風が頬を撫でる。漸く新しい仕事にも馴染みはじめ、最近はマルゲリータピザなどをピザ窯で焼いてみたりフルーツサンドを黙々と作ったりしています。そう、パン屋さんで働きはじめたのでありました。 パンとパン屋さんと私を結ぶ記憶はいくつもあるけれど、いちばん古いものを、今宵は。 あれは私が6歳頃だったろうか、一緒に暮らす祖母が早朝に家を空けるようになった。冬などまだ外は暗く冷えた空に夜明け前の星が美しく瞬く

          長い散歩のように。近況や本のことなど。

          なぜ大人に絵本を読むのか?活動のこれまでとこれから。

          大人に絵本を読む人 絵本で語らいの場を創る人 なぜ大人に絵本? 私はこれまでの経験からずっと人間の心の仕組みに関心を抱いていたので大学では心理学を専攻しました。そこで絵本が子どもの心に与える影響を知り、絵本と心の関係について興味を持ちました。 卒業後、就職しましたが、病を機に退職。術後、リハビリを経て、図書館で勤め始めました。図書館では目の不自由な人たちに本を届ける障がい者サービスを担当。そこでは、簡単な点字を打ったり読んだり、点字図書や録音図書の手配などをしていました

          なぜ大人に絵本を読むのか?活動のこれまでとこれから。

          il mare 海の秘密

          わたしの il mare には 祖父も愛犬も生きている どこまでも続く一本道に エンドロールみたいに イタリア語が流れる 早すぎて聞き取れず読みきれず 勉強不足に唇を噛みながら なんとか集中しようとする 祖父の声で朗読されるそれにはきっと 大切なメッセージがあるはずなんだ ずっと伝えたかったとその声はいう 伝えていたけど周波数が合わなかったと いまはクリアになっているからと 周波数が合うのは どちらかがこの世界から いなくなるときだけ わたしはそれを知っていて だ

          il mare 海の秘密

          プラスチックの水溜まり

          アイスコーヒーを注文する。氷ばかり多いそれに費用対効果を考えながら公園のベンチで飲む。あっという間にコーヒーは飲み終わり、呆れるほどの氷の山だけが残るカップを眺めながら首を横に振る。カップを脇に置いて本を広げる。貯金生活のすすめと題されたその本のやめるべきことという項目にはカフェとコンビニとある。やれやれだぜ。最近気に入りの一言を口にしてから右手で脇に置いたカップを持ち上げる。溶けた氷をストローで吸い上げながら、文中の「身の丈に合った生活」について考える。身の丈とは、一体誰が

          プラスチックの水溜まり

          私の夢 〜ことばをみつけることは生きること〜

          ことばをはしごする 天井の木目をみあげて どこまでも旅をしたように 私は本のある場所が大好き。週末は必ず図書館を訪ね、暇さえあれば書店を散歩する。最近は近所に新しく書店ができ、ほぉ〜はぁ〜と心のなかで呟きながら知らない世界や知っていたつもりの世界を游ぐ。 本棚はその人の脳みそ。もしくはこうみられたいと願うかたち。わたしが好きな本や手にする本について大っぴらに語らないのは語ることでわたしというものが色濃く立ち現れてしまうような気がするから。それは裸体をさらすより恥ずかしい

          私の夢 〜ことばをみつけることは生きること〜

          好きなファッションについて

          身の回りにあるものから自分を導き出すヒントが貰えたりする。私はどうしてこれが好きなのか?突き詰めると意外な発見があったり。自分の好きを知り自分の嫌いも同じだけ知る。 例えば私はタイトなロングスカートに男性もののシャツやニットを合わせるのが大好き。これが私の定番スタイル。 以前は女性が男性ものを着るなんてどうなの?と、周りの目を気にすることもあったけれど、今はどうってことない。 もちろん男女で服の作りは異なる。身体のつくりで異なることもあれば、例えばシャツのようにストーリ

          好きなファッションについて

          どこにもない赤〜失われつつある言葉のなかで〜

          【どこにもない赤】 熾火のような深い赤が 赤褐色の大地を染め上げる それは ことばのない色 ここは ことばのない場所 東の空に祈りながら 地球の音に耳を澄ませる 風が吹きぬけて 過去の音楽を聴く そのなかには 数年前にこの地に置いた わたしの音もある ここは 過去と現在 そして未来の交差地点 私だけの秘密の場所 * 書物に踊る文字たちと 馬の蹄や織り機のリズムが わたしのなかでひとつになり 内側にメロディが生まれた ときにそれは 記号の体系となり 遠い場

          どこにもない赤〜失われつつある言葉のなかで〜

          黄金の靴を履いて

          東の窓から、金色のきらきら 黄金に染まる、体育座りの指先 窓の外 はためくワイシャツに守られて 眩しすぎることもなく丁度いい塩梅 遠くには水辺 手前にはクリーム色の建物 嗚呼!サントリーニ島! 行ったことはないけれど いつか行くのです だから 目を細めたり 寄り目をしたりして 予習をしているのです 観光客と、おもわれないように 街に、溶け込めるように。 踊り続けた赤い靴 森に消えていつまでも 粉々に砕けたガラスの靴 土に埋めたら地球の裏で 星屑になったとききまし

          黄金の靴を履いて

          ほんとうのいま

          点と点が交わる 明日から一歩離れて 意味を重ねない場所 どこにでも行けて どこにも行けない いつまでもいつまでも 水車がまわりつづける場所 時間や言葉について想像しているとほんとうに愉しい。難しいことはわからないとしても。 過去と未来の概念の発見は、私を置き去りにして、言葉が常に先をいく。言葉をなくすことでしか「ほんとうのいま」には生きられないような。 ほんとうのいまは、現在とは違う。ほんとうのいまは、それがそれとしてだけ存在する場所。コーヒーカップがコーヒーカップ

          ほんとうのいま