ときに川は橋となる〜わたしは生まれなおしていた〜
新しい年、はじまってます
年女を駆け抜ける一年です
カメラを向けられると悩んだあげくVサイン!昭和がレトロの仲間入りをしていて遠い目をしてしまう辰女でございます。
今年はフィルムカメラを引っ張り出してパシャパシャやりたい。今更ながら?コダックのフィルムが気になっております。
フィルムカメラとデジタルカメラ...
デジカメは金銭的なことを気にしすぎることなく気軽に連写しまくれて多数あるなかから最高の一枚を選ぶことができるところがよき
一方でフィルムカメラは「ほんとうの一瞬」を撮る。それは作品としての写真というよりもとても個人的で自分にだけにしかわかりようのない想い匂い音や景色を圧縮して閉じ込めた時間そのもの
例えばデジタルカメラで撮影されたものが世に発表を前提とした小説ならばフィルムカメラで撮影されたものは誰かに読ませるつもりはなかった日記のよう
そしてわたしは日記を撮りたいのだとおもう
日記を、必要としているのかもしれない。
十年一昔
最近よく浮かぶ言葉
あのときのあれやそれ
あの痛みやあの恐怖..
でもそれは
いまはむかし
10年前に心臓弁の手術をしたとき「生まれ変わるような感覚がするよ」と言われた。「生まれ変わるとは人生がきれいさっぱり白紙にもどるような感覚なのかな?」そんなことないだろうにそのときのわたしは何故かそう信じた、信じたくなった、信じ込んでみたかった。そうでなければ手術台にあがれなかったのかもしれない。
でも、私は生まれ変わらなかった
私の人生は白紙にはならなかった
人工弁なしのわたしも
人工弁ありのわたしも
地続きだった
それは、結構きつい
だから わたしはそこに川を作った
人工弁なしのわたしと
人工弁ありのわたしとの間に
川を作った
少し遠くから
向こう岸を眺める必要があったから
そうしなければ
生きることが難しすぎたのかもしれない
だってわたしはそんなに強くない
でも、そんなに弱くもないはずで
いつかそこに
橋をかけることを願いながら
わたしは生きることを決めた
生まれ変わるのではなくて
生まれなおしているという感覚だった
さて、十年一昔、です、ヨ
↑これ、シンプルだけど好きな言葉です。
ときに川は橋となる
スキ、フォロー、コメント、全部うれしいです。読んでいただきありがとうございます!