ほんとうのいま
点と点が交わる
明日から一歩離れて
意味を重ねない場所
どこにでも行けて
どこにも行けない
いつまでもいつまでも
水車がまわりつづける場所
時間や言葉について想像しているとほんとうに愉しい。難しいことはわからないとしても。
過去と未来の概念の発見は、私を置き去りにして、言葉が常に先をいく。言葉をなくすことでしか「ほんとうのいま」には生きられないような。
ほんとうのいまは、現在とは違う。ほんとうのいまは、それがそれとしてだけ存在する場所。コーヒーカップがコーヒーカップとしてだけ目の前に在るところ。
それを飲んだら大人になれると、うっとりしていた女の子や、煙草と珈琲をなにより愛したあなたの居ない場所。
それが、ほんとうのいま。
だから、生き続けるだけ、ほんとうのいまには生きられないのだとおもう。
生き続けるとは、コーヒーカップがいくつもの物語りを持つこと。そこに無いものをみる目を持つこと。わたしにとっては。
そんなことを考えながら散歩していたら詩のようなものが頭を巡り、急いで書き留めたのでした。それが冒頭のことばたち。
生きるということが、それがそれとしてだけ存在することをやわらかに否定することなのだとしても、わたしはそれを肯定していたいのです。いつでも。
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