FelixSayaka

元出版社勤務のライター&翻訳者(英日・日英)。南フランス・モンペリエ在住。ギフト経済、…

FelixSayaka

元出版社勤務のライター&翻訳者(英日・日英)。南フランス・モンペリエ在住。ギフト経済、文学&児童文学、旅が好き。既婚子なし。長く寝ないとダメなタイプ。最近はtheLetterで書いたものを、ときどきここに投稿しています。https://uraniwa.theletter.jp/

マガジン

  • 暮らすを遊ぶ

    暮らしを喜びに変える、自分で作ってみることで自分の「生きる」をつくっていく、そんなことをまとめます。下手でもいいし、失敗してもいいの、実験だから。

  • うたかたの日々

    記録ではなく、記憶のための。

  • 書評講座 Vol. 4

    • 8本

    課題書:1)インヴェンション・オブ・サウンド(チャック・パラニューク著、池田真紀子訳、早川書房)、2)自由課題

  • 書評講座 Vol. 1

    • 11本

    課題書: 1)『エルサレム』- ポルトガル、ゴンサロ・M・タヴァレス著、木下真穂訳、河出書房新社、2)『キャビネット』- 韓国、キム・オンス著、加来順子訳、論創社、3)『クィーンズ・ギャンビット』- アメリカ、W・テヴィス著、小澤身和子訳、新潮文庫

  • 往復書簡

    • 32本

    TOKYO ⇄ Montpellier。 放送作家でお手紙好きなのんちゃんと、ライターで読んだり書いたりが好きなさやかっすの往復書簡です。

最近の記事

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サハラの風とアルジェリア人のおじいさん

南フランスのモンペリエには移民が多い。多いのは地中海を挟んで向かい合うアルジェリアやモロッコ出身の人。風が強い街で、アルプスからはトラモンタン、プロヴァンスからミストラル、そしてサハラ砂漠からはシロッコと呼ばれる風が吹いてくる。そのシロッコがサハラの砂を舞わせながら吹き荒れた3月の初旬のこと。 風で目に埃が入り、涙を流しながらモンペリエのアラビア人が多く住む地区を歩いていたら、知らないおじいさんに話しかけられた。 「わしゃ、目を見開いて歩くぞ。お前さん、泣いてるのか。

    • お洋服を作ってもらったら人生が明るくなった話(3/3) AIを使って布選び

      AI(人工知能)がどんどん賢くなっています。お洋服を作ってもらう時に、布地選びにはがっつりChatGPTを使いました。なぜなら、布地を見に行ってもよくわからなかったから。コットン100%の布と、麻100%がいいなとは思っていたけれど、コットンといっても様々な織り方があります。麻といってもリネン、ヘンプ、ラミーといろんな麻があるし。さらに、素材と織り方をこれと決めても、布は厚さによって機能も印象も変わります。さらに私の場合は、それぞれの布地をフランス語で知る必要もあります。

      • お洋服を作ってもらったら人生が明るくなった話(2/3) お洋服作りの頼み方

        既製服を探すのではなく、クチュリエさんに作ってもらったら、いろんな悩みが解決されて、洋服を着るのが娯楽になった話を書きました。今日はその続き。実際の作ってもらい方です。 1.クチュリエさんを探す 自分で縫う場合は別ですが、クチュリエさんを探すところから始めると良いと思います。私も、実は大学生の時にチャイナドレスを自分で縫って、サークルのパーティに着て行ったら、ベストドレッサー賞をもらった…という輝かしい過去はあるのですが(笑)、私の技術だと気分が上がるものは作れないので、ク

        • お洋服を作ってもらったら人生が明るくなった話(1/3) 服を着るのが娯楽になった

          今年から、服はできるだけクチュリエ(お針子)さんに作ってもらうことにしました。きっかけは、去年買ったオールインワン。あまりにも快適で、2、3着ほしかったのだけれど、お店にはもう在庫がなく、ブランドに問い合わせてもお返事すらこなかったのです(フランスあるある、かもしれない)。 そのオールインワンは劇的に似合っていました。よく行くモンペリエのセレクトショップで珍しく「これは!」と思って試着したら、いつも無愛想な店員さんが「すごい!」と息を飲み、私の試着姿を見て他のお客さんが2人

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        サハラの風とアルジェリア人のおじいさん

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        • 1989年100日間世界旅行記
          101本

        記事

          暮すを遊ぶ

          ランチにミートソースを作った。私のミートソースは毎回味が違うけれど、毎回おいしい。野菜がたくさん入っているからだ。家にある野菜をあらかた入れる。今日入れたのは、にんじん・玉ねぎ・茄子・いんげん・コーン・グリーンピース・マッシュルーム・生姜・ニンニク・トマト・カリフラワー・パプリカ。スパイスは黒胡椒・パプリカパウダー・クミン・オレガノ・ターメリック・コリアンダー。これに豚ひき肉を加える。万能食。これを一回食べれば、その日は他がどんなにひどい食事でも大丈夫だと信じている。3回分ぐ

          暮すを遊ぶ

          松の木と夾竹桃と合歓木

          このところ毎朝、起きてすぐに1杯の水を飲んだ後、老犬と短い散歩をする。 老犬は16歳。ちょっと前までは、私が外に出る雰囲気を察するや否や、「行くの!?」と走ってくるような子だった。耳が大きいのでよく聞こえるから、散歩好きの彼に気づかれずに家から出ることは難しかった。でも今は、耳はほとんど聞こえないようだ。猛烈に怖がっていた花火や雷も、もうまったく気にしない。毎朝、外に出すために抱き抱えても「まだ眠いんですけどね」とぼんやりしている。 この辺の朝は、いい匂いがする。今は松の

          松の木と夾竹桃と合歓木

          陰謀論について語りたい──【書評】チャック・パラニューク著『インヴェンション・オブ・サウンド』

          SNS台頭後、ハリウッド映画は作品に「語る仕掛け」を織り込んでいる。そのために、一見普通に楽しめる映画に敢えて違和感のあるものや雑なものを投げ込んで、人々に「あれは変だろ」と指摘させ、その議論まで計算してメッセージを伝えることまである。……そういった手法を小説界に持ち込んでいるのが、映画「ファイトクラブ」原作者のパラニュークだ。 パラニュークの18年ぶりの邦訳作『インヴェンション・オブ・サウンド』は、ハリウッド映画の音響技師ミッツィと、誘拐された娘が児童性犯罪者の餌食になっ

          陰謀論について語りたい──【書評】チャック・パラニューク著『インヴェンション・オブ・サウンド』

          エロ記事と堕胎願望に夢幻泡影を見る──【書評】市川沙央『ハンチバック』

          どうも、ライターのミキオです。今回は、ハプニングバーの超有名店「×××××」に潜入取材してまいりました。ではさっそくレッツゴー。 ペアーズでマッチングしたワセジョのSちゃんと肩を並べて入店。(待ち合わせ場所に先に着いていたSちゃん、ニコッと笑った顔が在京キー局の最初から完成された新人美人アナみたいで可愛い。黒いタートルネックニットに包まれた胸はEカップ!) (中略)スモークガラスに手を突かせて立ちバックでSちゃんを何度もイかせている商社マンを横目に見ながら、踊り狂うサンバには

          エロ記事と堕胎願望に夢幻泡影を見る──【書評】市川沙央『ハンチバック』

          私たちの生きる社会はエルサレムに似ている──【書評】ゴンサロ・M・タヴァレス『エルサレム』

           タイトルは、「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい」という旧約聖書の言葉からの引用である。この文脈で、エルサレムは神と同義であり、エルサレム=神を忘れてしまうならば自分はもう何もできないという、その「エルサレム」がタイトルになっている。  物語の舞台は、一昔前の、ドイツ語圏を思わせる都市である。五月二十九日の夜明け前、病に犯されたミリアは体の痛みを感じながら、教会を目指す。しかし、教会は開いていない。病の痛み、つまり自分を殺す「悪い

          私たちの生きる社会はエルサレムに似ている──【書評】ゴンサロ・M・タヴァレス『エルサレム』

          【往復書簡】「言葉」は通じるはずなのに「ことば」が通じない人に、どう接しますか?

          のんちゃんへ。 お誕生日おめでとうございます! 2020年はいろんな変化が多くの人に起こっているけれど、いつも頑張っているのんちゃんだから、楽しい変化がたくさん起こるに違いないよ! お返事が大変遅くなってしまいました。ごめんなさい。のんちゃん前のお手紙では、「歯の食いしばりが強くなったから、寝る前にマウスピースをすることになった」と書いてありました。その後、いかがですか? のんちゃんも歯を食いしばる人なのかとびっくりしました。前職の先輩で今もお世話になっている方も、食いし

          【往復書簡】「言葉」は通じるはずなのに「ことば」が通じない人に、どう接しますか?

          【1989年100日旅】100日目。サンフランシスコ、そして帰国。

          1989年7月14日はこの旅の観光最終日。100日目。からりとした夏日。サンフランシスコを父抜きで観光するのは不安だったのか、日本人向けのガイド付き観光バスに乗り、片側5車線の高速道路をひた走る。青空も、沿道の建物も並走する車も、何もかも横幅が大きく、おおらかでゆったりとした雰囲気。行き先はモントレー。 モントレーは19世紀の低い建物が並ぶ小さな港町。かつてイワシ漁で賑わったこの街をスタインベックが「缶詰工場」に描いている。アメリカの古き良き時代を思わせる、映画のセットのよ

          【1989年100日旅】100日目。サンフランシスコ、そして帰国。

          【1989年100日旅】99日目。サンフランシスコ

          1989年7月13日は旅の99日目。快晴。サンフランシスコといえば坂の街。ケーブルカーに乗る。外側を向いた木製の椅子に腰掛け、潮風に髪の毛を流されながら、海に向かって急な坂道を下る。運転手の話に乗客が笑い、父の訳で私たちも遅れて笑う。賑やかな車内の雰囲気がこの街のイメージになった。 ケーブルカーに並走して猛烈に自転車を飛ばす眼鏡の少年がいて、何をしているのかと思ったら、立ち乗りの女性のスカートを下からおおっぴらに覗き込んでいた。坂の先の海には脱出不可能と言われたかつての牢獄

          【1989年100日旅】99日目。サンフランシスコ

          【1989年100日旅】98日目。ボストンーサンフランシスコ

          1989年7月12日は旅の98日目。晴れ。ハーバード大学に行く。青葉の隙間から太陽と青空がのぞき、木の間をリスが走り回る。世界一の大学というイメージがあったため、構内はさぞ広いのだろうと思いきや、モスクワ大学と比べるとこじんまり。ベンチで読書をしている人が多く、本が恋しかった。 アジア系のグループがたくさんいて、英語で話していた。勝手に中国人留学生だと思い込み(実際にはアジア系アメリカ人だったかもしれない)、モスクワ大の日本人留学生同士は日本語で話していたのを思い出して、「

          【1989年100日旅】98日目。ボストンーサンフランシスコ

          【1989年100日旅】97日目。ボストン

          1989年7月11日は旅の97日目。太陽がぴかぴか光る暑い日。大きな体を揺すって笑う、気取りのないアメリカ人に囲まれ、ボストン観光バスに乗る。港で降ろされ、潮風を感じながら散策。カモメが多く、ロンドンで買ってもらったばかりの赤いカチューシャに急に糞を落とされて、悲鳴をあげた。 船の中でティーパーティという劇をやるというので見にいく。すると劇をやるのは自分たちで、ネイティブアメリカンの衣装を着て、発泡スチロールで作られた「お茶のつまった箱」を海に投げ落とすことになってしまった

          【1989年100日旅】97日目。ボストン

          【1989年100日旅】96日目。インヴァネスーロンドンーボストン

          1989年7月10日は旅の96日目。朝、夜行列車でロンドンに到着。アエロフロートがようやく航空券を再発行してくれることになり、その日のうちに発つことに。航空券を再購入する必要がなくなったので、気が大きくなった父が靴を買えと言う。初めてシューフィッターのいる靴屋へ。足にぴったり合う白い革製サンダルを買ってもらった。 夕方、ヒースロー空港からブリティッシュエアウェイズでボストンへ。なぜこんな距離の移動をこの1日でできたのかというと、時差があるからだ。飛行時間は7時間だけれど、時

          【1989年100日旅】96日目。インヴァネスーロンドンーボストン

          【1989年100日旅】95日目。インヴァネス

          1989年7月9日は旅の95日目。ハイランズの首都インヴァネスに到着。きりっとした空気に目が覚めるが、曇天で街は眠ったようにひっそりとしている。赤いレンガ造りの2階建てや、出窓のあるかわいい家が並び、人々の静かな生活を感じる。歩いていると、筋肉の盛り上がった黒い犬が近づいてきた。 黒犬は何かやったわけもないのについて来て、時折前に立ち「こっちだ」と言わんばかりに尻尾を振る。ついていくとネス川沿いの石畳の遊歩道に出た。聖アンドリュー大聖堂、ネスバンク教会、インヴァネス城の、赤

          【1989年100日旅】95日目。インヴァネス