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暮すを遊ぶ

ランチにミートソースを作った。私のミートソースは毎回味が違うけれど、毎回おいしい。野菜がたくさん入っているからだ。家にある野菜をあらかた入れる。今日入れたのは、にんじん・玉ねぎ・茄子・いんげん・コーン・グリーンピース・マッシュルーム・生姜・ニンニク・トマト・カリフラワー・パプリカ。スパイスは黒胡椒・パプリカパウダー・クミン・オレガノ・ターメリック・コリアンダー。これに豚ひき肉を加える。万能食。これを一回食べれば、その日は他がどんなにひどい食事でも大丈夫だと信じている。3回分ぐらい作ってタッパーに入れ、にんまりと冷凍庫に片付けながらふと思い出す。祖母の台所の保存室のことを。

母方の祖父母は山に住んでいた。家の裏には井戸の神様と呼ぶ細い管が地面に刺さっていて、祖母は毎朝、そこに水を杓にいっぱい注ぐ。

私が小さな頃は、お風呂は薪で焚いていた。祖母は紙を丸めてから伸ばして焚き口に入れ、その上に小枝をのせて火をつける。枝を少しずつ大きなものに変え、最終的には薪を入れ、火力が安定してきたら私たち子どもに担当させてくれた。オレンジの火に魅せられてじっと見、途中で変化をつけたくなって小枝を少し入れる。やたらなものは入れてはいけない。火の神様が怒ってしまうから。

神様と言えば、お風呂にも神様がいて、おしっこをしてはいけないと言われた。おしっこはトイレに。トイレにもまた別の神様がいて、用を足す以外のことをすれば神様に叱られるのだった。

祖父母の家には蛇が出た。神様は、なんとなく蛇に似た、静かですっとしていて、ちょっと湿った感じで、怒らせると怖いけれど、失礼をしなければ問題ない、そんなイメージがある。

祖父母の家の神棚と仏壇はほぼ同じ場所にあって、上が神棚、下が仏壇といった設置になっていた。遊びに行くと、まずそこに行って手を合わせる。家には囲炉裏もあって、そこには囲炉裏の神様もいた。家のすぐ近くには道祖神があったし、祖父母の上から山に入ったところにあるお墓の入り口には馬頭観音があった。村のあちこちに庚申塔と彫られた石碑があって、もちろん川には川の神様がいた。虫も魚も蟹も熊も猿もきのこも山菜も木も草も多くて、そういったものも大事にすべきものたちだった。もう、神様的な存在で大混雑。

こういう、神様のような存在に溢れていたのは、暮らしが大変だったからだろう。その山は、決して農業に適しているとは言えないところで、祖父の家は昔、冬の間はマタギのような暮らしをしていたらしい。それからちょっと人が少なくて寂しいという理由もあったのかもしれない。神様がたくさんいれば寂しくない。

そういう場所で、祖父は教育の仕事をし、郷土史家でもあったので原稿仕事が忙しかったのだけれど、合間に家具を作ったり、私たちに裏の竹藪から切ってきた竹で水鉄砲や竹馬を作ってくれたりした。

祖母は裏の畑で野菜を作ったり、味噌を仕込んだり、蕨やぜんまいや蕗や筍をとったり、梅干しをつけたり、かりん酒、梅酒、桑の実酒をつくったりしていた。そして作ったものは甕や瓶に入れて、台所の隣の保存室にしまうのだ。保存室には飲み物や食べ物がたくさんあった。

「毎日忙しくて忙しくて、遊ぶ暇がない」と祖母は言っていた。たしかにやることは毎日たくさんあったと思うのだけれど、遊ばないから楽しみがなかったかと言えば、そうではないのだろうと思う。

フランスに来て、私は麹菌から米麹を作って、それを使って味噌や日本酒や玉ねぎ麹を作ったり、植物についている納豆菌を使って納豆を作ったり、干し葡萄から酵母を起こしてパンを作ってみたり、乳酸発酵の野菜を作ったりしている。お店で買うのとは違って毎回状態が違うから、不出来でもうまくできても楽しい。味噌を食べるのが、楽しみ。暮らしが遊びになる感じ。祖父も、自分の作った椅子に座って、楽しかったはずだと思う。

こういう「暮らしが遊び」「生活が楽しみ」っていう感覚を大切にしたいなと思いながら、できたミートソースを食べた。今回のものも、おいしい。


うちからすぐのガリーグ(南仏特有の荒野)

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