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「親」という言葉の本当の意味
親というのは、身体の親だけが親ではありません。確かにそれも「親」のうちのひとりではあるかもしれません。
「親」というのは、
「木」の上に「立」ち、「見」守っている、巣立ちを見守る親鳥のような存在という意味。
そして親というのは複数形だと私は思っています。
人生は、自分を育ててくれる親(達)に、如何にどんどん出会っていくか。
本当の親(達)にまだ出会っていない人たちが核家族社会の現代日本、多す
ヒトは、おしまい、本当に自分に必要と感じなければやらないものである
もし、本当に何かやりたいことがあるのなら、それを決めて、「予定」して、それに向けて何かしらなりふり構わず動いてごらん。
というより、決めて予定したら、なりふり構わず何かいつの間にか動き出す自分がある。
もしそれがない、何も動かない(自分で気付いていない場合もあるが)ならば、それは実はそこまでご自身、必要としていない、実はそこまではやりたくないこと。
人生に必要だと感じていない、まあそれはそれで
今のあなたは未来のあなたのためにいる、と考えることもできます
今この瞬間 あなたの人生の中のこの瞬間 まさに今この瞬間をどう使うか 何に使うか どうしたいかは 他人でも周りでも物でもなく その責任は 5年後10年後のあなた自身がどう感じるかに任されている
あなた自身が 5年後10年後の自分の姿が自分自身でありたいために 今この瞬間を その自分のために
使う
投資する
プレゼントすることができるのである
もし「今」の自分が嫌であったり 他人に預けてしまいた
理論を表面で捉えるものと、真髄まで繋げるところの違い
子どもの発達理論などは確かに心理学系の講座で教えることはできるが、頭の表面でだけ知識としてだけ学んだところで結局のところ役に立たない。
まったく関係のないところの生物(別人=別の生物)が知ったかぶりをしているかの状態にしかならないからだ。
本当の意味で身体でいちいち納得していないと、結局のところ臨床現場でクライアントさんに、「この人はわかってなんかくれないな」という感覚を与えてしまい、双方ラポー
精神的問題と思われていない心理療法領域の問題
人の姿や事情を勝手に決めつけて 人のことを羨んだり 妬んだりすることももちろん 本人の自由
しかし 同時にそれはその瞬間 その瞬間に自分が本当にどうしたいかを自分自身 見ない(で人生の時間を過ぎ去らせ 終わらせようとする)ための作戦
主観だけでそれにとらわれるのではなく 自分自身の その状態に自分自身で気づけば
その本人は自分で勝手に本当に自分のやりたい動きに その瞬間を その心身を 使うだろう
心理(対人支援)と医療と福祉の谷間
海外では カウンセリングや 心理療法は定期的なマッサージくらいに気軽に使われます
そして日本ではなぜだか こんな問題は問題ではないし 精神科領域でもないし 心理療法に通うほどではない
という思われ方をするが 逆です
先ほど私が申し上げたようなことの方が
「精神科領域でも扱うことができない」実は複雑な問題なのです
精神科や カウンセリングに行くほどではない ではない
という(あなたに思わせる)のは
あなたも、止まっている瞬間は一瞬間とてないのだよ どう頑張って止まろうとしたって、あなたも常に動いている
万物 物事は必ず全て 流動している 動いている 動いていないものなどない 自分自身が動いていないつもりになること自体は本人の好き勝手なのだが だからと言って自分が止まった(つもりになってみた)からと言って 自分自身が動いているということも 周囲の動きも 止まらないし 止めたに気になったところで 止めることもできない
この瞬間 この瞬間 自分が本当に何をしたいのかは 自分の人生の中で自分の人生とし
日常の一瞬一瞬をこそ大事にする
日常生活の一挙手一投足をまず大事にする。一瞬一瞬をでき得る限りを尽くして生ききること。これこそが、初めて自分の人生を形作っていきます。 ですので、例えば、噛むこと「も」ではなく、噛むこと「を」大事に満喫すると、それだけで人生の質はいつの間にか向上します。騙されたと思いやってみてね
ちなみに、「噛む」ということの効力を別の角度からお話することもできるのだが、「立つ」「歩く」「噛む」・・・・こんな当
「都合が良い」とはどういう意味?
「都合が良い」って、都合の良い言葉
そもそも、良い・悪いという言葉は、その場、シチュエーションによって、常に意味が変わる
確かに、ヒトという生き物は、何事も全部全部、自分の都合の良いところだけ都合の良いように受け取り都合の良いように解釈する
しかし、その「都合の良い」とはどういう意味かな
その「都合の”良い”」は、
実は、あなた(その本人)の人生にとっては、都合のよろしくないものであること
背骨を真っ直ぐに立てて生きるということ
この世界は、何者になるか、である。
素敵な言葉を聞いた。
そう…これは、気付かぬうちに
「(社会や環境や周囲によって)何者かであるべき」に当て嵌まるように生きる、と間違える人が非常に多い表現でもあるかもしれない。
あくまで「何者になるか」という意味ではなく、
自分自身が自分自身の背骨をしっかりと感じて生き、
そして「人事を尽くす」
…つまり自分自身に今この瞬間今この瞬間という人生のすべての瞬
古武術と、教育や潜在意識から扱う心理療法の共通点(のひとつ)
相手の反応を引き出し、相手の力(エネルギー)やその流れをただそのまま利用して相手が勝手に転がっていくように立ち回るのが古武道。
(固まってどこにどうも出なくなっている、もしくは適切なところに適切な形で出て来なくなっているところをうまくして)相手の反応を引き出し、相手の力やその流れをただそのまま利用して、相手が勝手に自分の道を突っ走っていくように立ち回るのが教育・カウンセリング・心理療法。
カウ
「視覚障碍」「見える・見えない」「見ることができない」とは、どういうことか
「見る」に対して「見えない」という対比的に言葉を浮かべてしまうのだろうと思う。
視覚障害者は、「見えているのか」「見えていないのか」というような白黒はっきりしろというような目で見られることが非常に多いようだ。
つい、「見える」という言葉で表現されるから、対比して「見えない」が出て来て、頭がどうしてもどちらかにわけたがるのだろう。
これは、顕在意識の特徴というものでもある。
「これ見える」「あれ
催眠療法基礎講座 個別・グループ講座 7月生募集のお知らせ
私はヒトの心や身体のしくみ、心理療法などを受講生さんたちと共有し、私のもとで学びたいと言ってくださるかたや研究者仲間たちも交えて勉強会や研究会をしています。
顕在意識・潜在意識・五感などなどという言われるものを含む、ヒトの「意識」のしくみや、それらがあなたの日常すべてに影響しているからこそ日常を「生きやすくする」しくみを知りたいかたに向けて、
基礎講座の7月生を募集いたします。
形としては「
白杖使用者の冒険―もうちょっと聞いてもいいかな
都バスにて。ありがたかったことなのですが…あとほんのちょっとしたもう一歩が、という出来事。
バスに乗ったとき、運転手さんに私は良く、「空いた席がありますか」と聞くようになりました。
すると、多くの運転手さんは今まで、「ああ、真っ直ぐ行って右側の優先席、その2番目の席が空いていますよ。…はい、あ、もうちょっとです。はい、そこ、そこが空いています」
などと、良く、「何番目の席」と言ってくれた上、私が
歩くことへの危機―歩ける靴がない?!
今回の記事、「歩くことへの危機―歩ける靴がない?!」の内容に入るにあたって、まず私自身の現状をなるべく短く軽く説明させてください。
私の現状と経緯
私は、生活視力、ほぼゼロの状態で生活をしています。
かといって、国の認定基準では視覚障害と認められることができず(昔作られてそこから文章を変えないという決まりがある法律の中で、まだメカニズムが複雑で知られておらなかったために枠組みがない)、身体障碍