背骨を真っ直ぐに立てて生きるということ

この世界は、何者になるか、である。
素敵な言葉を聞いた。

そう…これは、気付かぬうちに
「(社会や環境や周囲によって)何者かであるべき」に当て嵌まるように生きる、と間違える人が非常に多い表現でもあるかもしれない。

あくまで「何者になるか」という意味ではなく、
自分自身が自分自身の背骨をしっかりと感じて生き、
そして「人事を尽くす」

…つまり自分自身に今この瞬間今この瞬間という人生のすべての瞬間を、自分の成すべきこと自分にでき得ることのでき得る限りを尽くし続けることで天命が拓かれ、いつの間にか「何者かになっている(社会では確かに言語の枠があるため、あらゆる者として扱われるが、それすら越えた天命)」という意味だ。

背骨をまっすぐ立てる、というのは、ただ姿勢だけの問題にとどまらない。
まっすぐに自分自身の背骨を感じて生きると、人生の背骨もしっかりと立ってくる。いつの間にか感じることができるようになってくる。

また、歪みのない背骨で生きるならば、逆に、非常に流動的である。
どんなに姿勢を柔らかく背を曲げた姿勢をとっても横に曲げてもひねっても、ちゃんと「まっすぐの歪みのない背骨」のまま、あらゆる姿勢をとることもできるのである。



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