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自分の「人としての土台」をまず育ててくれる環境にはしっかりと向き合い繋がっておくということ
芸事や音楽家でちょいちょい色んなかたも仰ることだが(そしてどの領域の世界にも通ずることだが)、
人生である時、
「この先生を信じてついていこう(というより=この先生のもとで自分は殻を破ろう成長しよう・なりたい自分になろう・まず最後までしっかり筋を通して人間として大成しよう」と決める、ということは、人生の中で非常に重要。
ちゃんと自分で決めておかないと、成長途中の者(生徒側、内側の土俵の中の世界に
「対症療法」も適切な場面で適確に用いることは必要
前回のコミュニティや私のセラピスト育成・セラピーに対する理念の記事などで、「対症療法的」と何度か書いていますが、念のため補足記事です。
私は、対症療法が悪いとは一言も言っていません。
私は前回の記事の中でも「(その場にそぐわぬ)対症療法」と何度か書いています。
つまり『(敢えてこういう言葉にするなら)その場にそぐう=適切な』対症療法もあります。
対症療法が必要な時もありますし、しかしそういう場
コミュニティ&合同会社の大きな理念のひとつ―まずは自分がまっすぐになり真実の「眼」で生きることで、そこから初めてすべてが始まる
私の主宰するコミュニティの監事であり、今、医療・心理・身体・福祉あらゆる対人支援を連携させるための合同会社を共に立ち上げようとしている仲間(Xのスペースにてはあんにゅい博士と親しまれている)と、講演を行い、ヒトの人生における不調・問題の根本についてお話しました。
これは、明らかに「病気・不調」というような専門家の手を借りる必要のあるものだけに限らず、日常的な生きづらさもすべて同じ。
表面だけ何
矛盾を放りっぱなし自分を誤魔化して「気付かない」を選ぶほうがマシ、今更そのほうがせめて人生幸せだと思い込んでしまっている9割の現代人たち
(この記事の趣旨はあくまで政治的内容ではありません。ぜひ最後までご覧ください…笑)
日本の医療従事者たち宛なのかな?
「必ず自民党を応援するように」という指示的内容の書かれた書類が届いているようです。
また、私の地区でも、恐らく固定電話のある家庭に軒並みと思われますが、
「自民党を応援するように」という泣き落としのようなオートマティック音声電話がかかっているようです。
特定の政党を応援しろだ
本物の「自由」と、不自由への反発から自ら飛び込んだ「自由という呪縛」
いろんな殻で自分を覆って生きてきた。
その「殻」、実は自分を守るつもりでまとってきた(自分の周りを多い自分自身を隠してきた)もののつもりで、実はこれからのあなたの人生をとんでもなく傷つけ行き詰らせ苦しめるもの…ということにすら、気付くことができる人がどれほどいるか。
その殻(呪縛)から目移りして、また他の殻に代えることで「殻から脱した!」「依存パターンから抜けた!」などと思ったり、
はたまた今度
あなたの”身体”が泣いている―条件付きの人生…それでいいの? 自分自身の当たり前のことも「外側の利益」「世のため人のため」と大義名分、別の理由でえらいと思い込ませてもらわねば(ても)できなくなっている現代人
ね、本当に、
あなた、食事するとき、
「いただきます」しましょう
あなたなりでいいんですよ、あなたの魂から、祈り(儀式とかお願いとかそういう話ではなくてね)の時間をちゃんと持ちましょう
あ、作ってくれた人や農家さんや動物さんたちにってことね!
あ、感謝や挨拶ちゃんとすれば、いいことが返ってくる、幸せになるってことよね
感謝しなさい感謝しなさい、か…みんな良くキレイゴト言うよね
は?
いい加減
自分の役割のときに緊張してしまうひと
自分の出番でなぜか楽しめずに緊張してしまうひと、
どうして緊張してしまうか、ご存じですか?
理由はこれきりではありませんが(シチュエーションにもより「別の緊張」の場合、つまり同じ言葉でも緊張違いの場合がありますので)、今回はその中でも一番多い理由(自動パターン)についてお話を。
これ、「楽しめない」「緊張する」ではないのです。
すみません。しかし言葉を選ばずに書くと、前回か前々回の記事で紹
大成長のチャンスを知らず知らずに逃しまくっているひと―人智(準備)を尽くして天命を待つ
そう
「準備」を怠ったら、結局「自分」が後悔するのですよね
何が与えられる・任されるにせよ、
大自然と言う至高の先生は当然のことながら、
人間の上司や先輩や先生などからのものであっても(自分本位の自我だけでできているのではなく後進を育てる自律と整いがついている人は)、
必ず、「準備」ができるだけの期間を与えています。
しかも、その子(ヒト)が本当にやろうと向き合えば、時にはぎりぎりのレベルかもし
経験を貴重な跳ね台とし変化・向上を遂げる人と遂げない人の僅かだが致命的な違い
どんなジャンルでもそうなのですが。
例えば、芸事でも、職場などで役割を任されたときなどでも、という例えとしてみましょうか。
(表現的に「誰かから任命された」体だとわかりやすいからこう書きますが、日常のどんな体験・経験でも実は同じです。しかし、これを日常の人生の体験経験に照らし合わせて考えるのは、原理原則がわかっていないと、ちょっと難しいですので、少し狭義の例になりますがこういうシチュエーション例で
いろいろなことに興味を持ち手広い…けれども―器用貧乏も器用繁盛も、実はセンスや能力の違いではない②
本当に興味のあることがたくさんあっていろいろなことをやっている、と、
いろいろなことをやっているのだけれど実は全部に興味がない(もしくは先日記事にした、「当人は気付いていないけれど別の目的」のためだけにやっている)、は、まったく違う。
自分で気付いておらずに後者で人生の時間を潰している人がこれまたあまりに多すぎる。
前者は、真にどれも本気で興味があるのですべてに無我夢中で打ち込む(=それをやっ
いろいろなことに興味があるけれど、なぜか続かない、なぜか実らない―実はセンスや能力の問題ではない①
色々なことに興味があってそれをやりたいはずなのになぜだか続かない
という人は、実は
「〇〇のためにそれをやっている」手段としている。
「やっていること」が目的なのではなく、「やっていること」自体が実は(何かのための・水面下の自動発動プログラムの)手段となっている、ということ。
その「〇〇」がなんであるかに気付かない限り、自分の人生、一生涯、そのパターンを続けることになる。
同時に、そのあなたのプ
晴眼者相手の「点字体験」の意義(のひとつ)
とあるイベントの出展で、晴眼者相手の「点字体験」を出したのは2回目。
今回、私は体調不良もあり時短の顔出しにとどまらせていただいたが、何名か体験希望者がおられたもよう。
私がその場にいるときも、少しだけ参戦させていただいたのだが、
私が体験者とコミュニケーションを開始したとき、
(こちら側の)仲間内に、「これ(点字体験やるとき)、本当活き活きするよね」と声があがっていた。
どうして「活き活き
何かを伝えたいのに、自分自身の能力を高くしたいのに、あなたは実は自分で積極的にどんどん自らの能力を潰している?!―どこまでも驚くべき電子機器の害悪
歌の歌詞とか、司会進行や、プレゼンテーションなどのしゃべる内容、ましてや台本や台詞などを読むとき…
現代の人たちは、携帯電話の画面にそれを表示させながら読むような場合も増えてきています。
が…
携帯電話の画面を見ているときと、紙に書いてあるものを読むときと、
明らかに、その声も、内容の伝わり方も、まったく違います。
本当にもうどんなシチュエーションでも自分の状態や技術を奥のほうまでちゃんと