理論を表面で捉えるものと、真髄まで繋げるところの違い

子どもの発達理論などは確かに心理学系の講座で教えることはできるが、頭の表面でだけ知識としてだけ学んだところで結局のところ役に立たない。
まったく関係のないところの生物(別人=別の生物)が知ったかぶりをしているかの状態にしかならないからだ。
本当の意味で身体でいちいち納得していないと、結局のところ臨床現場でクライアントさんに、「この人はわかってなんかくれないな」という感覚を与えてしまい、双方ラポールもとれず話も問題もそれ以上出て来なくなる。

しかしながら、例えば子供の読み聞かせや童話の童話らしさ(子どもの心の発育に役立ち子供自体も楽しく喜ぶ形など)などもそのうちのひとつだが、心理学の授業などでは到底学びたい人たち、対人支援家の卵たちに共有しきれない。
催眠・子供の発達と読書や読み聞かせの関係性など最たるものだが、本当に頭だけで理屈がわかっても何一つその人は理解できていないままである上、理屈を共有できるような授業も実質あまりに時間がなくて不可能だ。

しかしながら、とてつもなく核心的真髄的な対人支援家(人の心とからだを深く理解し寄り添うことが可能な者)として重大な問題でもある。
いろいろな心理学者がいろいろな角度から打ち立てている発達理論や、潜在意識的な意味で(学びや成長とはすべてこの意味でなければ語れないのだが)の人の発達に効率を発揮する方法…というより例えば親や周囲の大人たちとのコミュニケーションや読書やもっと幼い時の読み聞かせなどなどによって得られるものが教科書文章上の表面だけではなくて身体でわかることができるのは、やはり本人の潜在意識が多かれ少なかれそれを身をもって感じることができるからであろうと思う。
たった発達理論だけでも本当に何人もの心理学者がいろいろな角度からいろいろな発達理論を打ち立てているが、表面的に見ればそれぞれバラバラ、同じ人の発達のはずなのに全然違うじゃないか、どれが間違いなのだというように思ってしまうしたくさんあるがゆえに発達理論があまり臨床に役立たない、と学ばない者も多いかもしれない印象を受けるが、これは潜在意識で起こっていることを無理やり顕在意識の狭い「言語」というもので辛うじていろいろな角度から何とか表現しているからであって、すべて同じであることは、「自分が発達」して潜在意識で体感してきたならわかる。

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