西谷 渉
二度のパリ生活や、留学、家族旅行などでフランスを訪れては、第二の故郷のように感じてきた筆者の目にうつる「フランス」を言葉にしていくエッセイ集。家族とのゆかいな思い出や、フランスの友人たちに教わった楽しく生きるヒントなど。
2021年に鎌倉の海の近くに、注文住宅の家を建てた家族の記録です。土地との出会い、工務店選びから、家の完成、実際に住み始めてみての感想も。
こんにちは。 神奈川・鎌倉在住で、 フリーランスでライターをしている 西谷 渉(にしたに・あゆみ)です。 私は早稲田大学の仏文科を卒業後(2010年)、 Web制作会社な…
先週末、フランス語の資格試験 DELF B2の筆記試験を受けてきました。 DELF・DALFとは、読む・聞く・書く・話すの総合力が問われる、フランス語版のTOEICやTOFELのようなも…
念願のフランス留学生活がはじまり、運良くフランス人学生のコミュニティに混ぜてもらえたものの、思っていた以上にフランス語がちんぷんかんぷんだった私。毎日半べそをか…
大学3年生だった頃、パリの16区にあるINALCO フランス国立東洋言語文化大学(通称ラングゾー)に一年間の交換留学をした。 本当は第一志望は、文学部が有名なソルボンヌ大…
「ライター仲間がほしい」と切実に感じるようになったのは、とくにここ数年、子どもが生まれてからでした。 自分にしっくりくる暮らしや働き方を求めて、失敗を繰り返して…
自分の人生に、大きな影響を与えてくれた3人との出会いをあげるとしたら・・ 家族をのぞいて、最初のふたりはパッと思いつく。 この人との出会いがあったから、今の自分…
夏の盛りになると、甘酸っぱい香りとともに、蘇ってくる光景がある。 フランスに留学していた大学3年の夏、帰国する前の最後の一週間を、南フランスのマルセイユの郊外に…
中学一年の冬休みに、家族でパリに行ったときのことをよく覚えている。 パリのレアール(かつて大きなパリの中央市場があった場所で、今では東京でいう渋谷のような繁華街…
子どもの頃から好きな、フランスの思い出の味といえば、ヌテラ(Nutella)とオランジーナ(Orangina)は欠かせない。 「ma vie de nutella(わたしのヌテラ人生)」という…
10歳の夏休みに、久しぶりに飛行機に乗ることになった。行き先は、フランスではなくて、アフリカのチュニジア。両親の友人のフェティ一家が毎年夏のバカンスを、フェティの…
わたしがフランスに惹かれる理由のひとつが、何歳になっても人生を謳歌しようとするフランス人の心持ちだ。もちろんフランス人にもいろんな人がいるわけだけど、これまでに…
90年代にパリに住んでいた当時の話をするとき、家族で必ず話題にあがる「十八番」のエピソードがある。 家族で夏の休暇に南フランスを旅行していたときのこと。ピレネー山…
パリに行くたびに訪れていた家がある。 チュニジア人のお父さんのフェティと、フランス人のお母さんフレデリック、それに、ふたりの姉弟の子どもたち(ジアンヌとエリエス…
小さな頃から、母にくっついてお買い物をするのが大好きだった。 初めて暮らしたパリの町では、当時からスーパーの野菜や果物がすべて量り売りだった。好きなものを好きな…
パリの小学校の授業では、なんといっても、美術の授業がいちばん楽しかった。 パリ市内のあちこちの美術館に行っては、好きな絵の前に座って、自由に模写をするという時間…
たしか最寄のビュットショーモン駅だったと思うのだけど、毎朝メトロの入口に立ってるホームレスのおじさんがいて、5歳のわたしは母からフランをもらってあげていた。(当…
2021年1月13日 21:11
こんにちは。神奈川・鎌倉在住で、フリーランスでライターをしている西谷 渉(にしたに・あゆみ)です。私は早稲田大学の仏文科を卒業後(2010年)、Web制作会社などで、Webのライティングやディレクションなどのコンテンツ制作に携わっていましたが、2016年よりフリーランスになり、今はWebや雑誌で、インタビューやコラム、商品の魅力を届ける記事などを執筆しています。主なテーマは、暮
2023年11月7日 15:35
先週末、フランス語の資格試験 DELF B2の筆記試験を受けてきました。DELF・DALFとは、読む・聞く・書く・話すの総合力が問われる、フランス語版のTOEICやTOFELのようなもので、フランスの大学入学やフランスの企業への就職に役立ったりするものです。DELF・DALFは、A1~C2のレベルがあり、私の受けたDELF B2はだいたい仏検準1級くらいのレベルといわれています。とくに
2023年9月25日 10:17
念願のフランス留学生活がはじまり、運良くフランス人学生のコミュニティに混ぜてもらえたものの、思っていた以上にフランス語がちんぷんかんぷんだった私。毎日半べそをかきながら、ノートを持ち歩いては、分からない単語をメモするようにしていた。フランス語の語学力以外にも、日本とは違う考え方や、フランス人のコミュニケーションに馴れないところもあって、いわゆるカルチャーショックの連続だった。初めてのフラン
2023年9月23日 19:23
大学3年生だった頃、パリの16区にあるINALCO フランス国立東洋言語文化大学(通称ラングゾー)に一年間の交換留学をした。本当は第一志望は、文学部が有名なソルボンヌ大学だったんだけど、当時は地方ではなくてパリに留学したいと思っていたので、募集人数が2人だったラングゾーを第二希望にしたら、案の定そっちに決まったのだ。名前のとおり、アジアの言語や文化を学べる、いわゆる外国語大学なのだけど、フ
2023年8月17日 10:58
「ライター仲間がほしい」と切実に感じるようになったのは、とくにここ数年、子どもが生まれてからでした。自分にしっくりくる暮らしや働き方を求めて、失敗を繰り返しているうちに、20代の終わりに、たどり着いたようにフリーランスのライターになった私。雑誌やWEBなど様々な書き仕事をとおして、初めて仕事に心からのやりがいを感じられたし、取材で相手の話を聞く時間や、自分の書いた文章が、だれかの心を癒した
2023年8月16日 09:31
自分の人生に、大きな影響を与えてくれた3人との出会いをあげるとしたら・・家族をのぞいて、最初のふたりはパッと思いつく。この人との出会いがあったから、今の自分がある。出会ってなかったら、きっと今、全然ちがう趣味とか、暮らしとか、働き方をしているかもしれない。おおげさではなくて、そんな風に思う人がいる。わたしにとって、それは、一人目は中学の友人だ。映画日記を何冊も持っているほど大の映画好き
2023年8月8日 23:43
夏の盛りになると、甘酸っぱい香りとともに、蘇ってくる光景がある。フランスに留学していた大学3年の夏、帰国する前の最後の一週間を、南フランスのマルセイユの郊外にある、友人の実家で過ごした。マルセイユのあるプロヴァンス地方といえば、オリーブ畑やラベンダー畑がたくさんあって、地中海に面したおだやかな気候がきもちいい観光でも人気のエリアだ。アヴィニョンやアルルなど、印象派の画家たちも親しんだ素敵な
2023年7月20日 12:27
中学一年の冬休みに、家族でパリに行ったときのことをよく覚えている。パリのレアール(かつて大きなパリの中央市場があった場所で、今では東京でいう渋谷のような繁華街)のすぐ近くにある、父の友人家族の家に食事に招待されて行った。昔ながらのパリらしい古い建物なのだけど、アパルトマンというにはずいぶんと天井が高くて立派な、お屋敷のような家だった。そして、その家に住んでいるのがまた、とても上品で育ち
2023年7月13日 16:55
子どもの頃から好きな、フランスの思い出の味といえば、ヌテラ(Nutella)とオランジーナ(Orangina)は欠かせない。「ma vie de nutella(わたしのヌテラ人生)」というメールアドレスにしていたことがあるくらい、ヨーロッパの家庭でおなじみの、ヘーゼルナッツのチョコレートペースト「Nutella」が大好きだった。パリの町のあちこちには、小さなクレープ屋さんがたくさんあって
2023年7月7日 16:21
10歳の夏休みに、久しぶりに飛行機に乗ることになった。行き先は、フランスではなくて、アフリカのチュニジア。両親の友人のフェティ一家が毎年夏のバカンスを、フェティの故郷であるチュニジアの別荘で過ごしているというので、いつか一緒に行かせてほしいと話していたのだ。ヨーロッパ大陸の次に行ったのが、アジアでもアメリカでもなく、アフリカだったことは、わたしの小さな自慢である。ちょうど小学校の夏休みにあわせ
2023年7月6日 08:30
わたしがフランスに惹かれる理由のひとつが、何歳になっても人生を謳歌しようとするフランス人の心持ちだ。もちろんフランス人にもいろんな人がいるわけだけど、これまでにさまざまなシーンで、「年齢にとらわれない人たちなんだな」と感じてきた。大学3年の秋から4年の夏にかけて、パリの大学に一年間の交換留学をしたとき、留学先の大学でたまたま親しくなったのは、学部の一年生の子たちだったのだが、クラスメイトには1
2023年7月4日 09:29
90年代にパリに住んでいた当時の話をするとき、家族で必ず話題にあがる「十八番」のエピソードがある。家族で夏の休暇に南フランスを旅行していたときのこと。ピレネー山脈を車で旅していたのだが、ある日、山道の下り坂を走っていたとき、突然車のブレーキが効かなくなったのだ。「ブレーキが効かない」「えっ……!」そのとき車には、わたしたち家族4人と母の親しい友人のおばさんと5人で乗っていた。ざわざわしだ
2023年6月28日 07:58
パリに行くたびに訪れていた家がある。チュニジア人のお父さんのフェティと、フランス人のお母さんフレデリック、それに、ふたりの姉弟の子どもたち(ジアンヌとエリエス)が暮らす家だ。もともとは両親の友人で、わたしも5歳の頃からの付き合いだから、パリの親戚のような感じだ。サンドニというパリの郊外の町にあるフェティの家には、わたしたち家族は本当によくお世話になった。とくに、わたしと父は、渡仏するた
2023年6月27日 08:55
小さな頃から、母にくっついてお買い物をするのが大好きだった。初めて暮らしたパリの町では、当時からスーパーの野菜や果物がすべて量り売りだった。好きなものを好きな量だけ測りにのせて、野菜や果物のイラストが描かれたボタンをピッと押せば、バーコードのシールがでてくる。この機械にすっかり夢中になって、スーパーに行っては、このピッ、ピッ、とボタンを押してバーコードを貼る作業はわたしの担当だった。レ
2023年6月21日 09:27
パリの小学校の授業では、なんといっても、美術の授業がいちばん楽しかった。パリ市内のあちこちの美術館に行っては、好きな絵の前に座って、自由に模写をするという時間があった。絵を選ぶのも子どもたち、ひとりひとりの自由。たくさんの色を使って、絵を描いた。日本だと、美術館に子どもと一緒に行くと、わたしはどうしても周りの目を気にしてしまうし、鉛筆を出しただけで注意されてしまいそうだけど、フランスでは(
2023年6月19日 09:46
たしか最寄のビュットショーモン駅だったと思うのだけど、毎朝メトロの入口に立ってるホームレスのおじさんがいて、5歳のわたしは母からフランをもらってあげていた。(当時はまだユーロじゃなくてフランだった)小さなコップのようなものをもっているので、「ボンジュール!」と声をかけて、お金をいれるのがわたしの係だった。あの頃は、お家がないってどういうことなのか、よく分からなかったけれど、いつもおなじ場所