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チュニジアで過ごした10歳の夏

10歳の夏休みに、久しぶりに飛行機に乗ることになった。行き先は、フランスではなくて、アフリカのチュニジア。両親の友人のフェティ一家が毎年夏のバカンスを、フェティの故郷であるチュニジアの別荘で過ごしているというので、いつか一緒に行かせてほしいと話していたのだ。

ヨーロッパ大陸の次に行ったのが、アジアでもアメリカでもなく、アフリカだったことは、わたしの小さな自慢である。ちょうど小学校の夏休みにあわせて、3週間ほど、チュニジア旅行にいった。(チュニジアもフランス語圏なので、わたしのなかではフランスの思い出とセットになっている)

旅行といっても、有名な観光名所を巡るわけでも、現地のグルメを楽しむわけでもなく、フェティたちの別荘に合流して、ひと夏を一緒に過ごすという、暮らすような旅だった。思い返すと、うちの家族旅行といえば、だいたい両親の友人を訪ねる旅がほとんどだった。

われながら本当に変なことばかり覚えているなと思うのだけど、フランス乗り継ぎで、パリのシャルルドゴール空港から乗ったチュニジア行きのチャーター機が、ずいぶんガタガタと揺れながら飛んでいた。よっぽど乗客を不安にさせたのだろう、無事に着陸したとき、飛行機中からいっせいに拍手が湧いたのだ。

なんとかチュニジアに着くと、フェティが空港まで迎えにきてくれて、車で案内してもらったのは、地中海に面したサラクタという小さな町の、海からほど近くにある白い家だった。

子どもの頃は「別荘」と聞くと、とんでもないお金持ちの世界の話で、ものすごく快適な豪邸を想像していたのだけど、たどり着いだのは、家族がバカンスを過ごすためのシンプルな家だった。そして、そこでの生活が、東京からやってきたわたしにとって、なかなかカルチャーショックの連続だった。

そこには、わたしたち家族4人と、フェティ一家4人、それにフェティの弟家族も来ていて、住み込みの若いのお手伝いのお姉さんも一緒だった(フランスやアフリカでは、特別に裕福な家でなくても、お手伝いさんを雇うことがよくあるみたいだ)。

フェティの親戚に町を案内してもらって、にぎやかな市場を歩いたり、モスクを見たり、カフェでミントティーを飲んだり、ちょっとした観光もしたけれど、なにしろ夏のチュニジアは暑くて、ほとんど毎日のように海でのんびり過ごしていた気がする。

市場では、手の形をしたアクセサリーのお土産がたくさん売っていて、“ファティマの手”といわれるお守りなのだと、わたしもひとつ買ってもらった。

フェティの別荘は、石造りの開放的な家で、テラスというのか、屋外にダイニングテーブルがあったので、食事はいつも外だった。市場で買ってきた野菜や果物が、いつもテーブルにどっさり置かれていたのだけど、チュニジアの野菜はパプリカもトマトも、ひとつひとつが見たことないほどに大きかったのが印象的だった(そのせいか分からないけれど、家族みんな順々にお腹をくだした)。

シャワーは屋外についていて、水しかでない。家のなかには、ふつうに巨大なアリやハエがうろちょろしていて、地べたに薄いマットレスを敷いて寝泊まりしていたので、足の上をアリが歩いたり、寝ていてもハエの音で目が覚める。でも毎年この家で夏を過ごしているフェティたちにとっては、いつもどおりのことで、だれも気にしたりさわいでいない。

慣れない環境に子どものわたしはぶつぶつ不満を言っていた気がするけれど、そんなこともあったチュニジアの夏。わたしの心に何より残っているのが、海辺でみた満点の星空だ。

東京で生まれ育って、星空をみる機会もたいしてなかったわたしが、初めてきれいな星空に感動したのがチュニジアだった。それまで食べものにしか興味がなくて、自然の景色に感動したことなんてなかったけれど、サラクタの海でみた星空は、本当にきれいで、迫力があった。

そんなわけで、お腹をくだして寝込んだり、うだるような暑さと海ばかりで退屈したり、ハエだらけで泣きそうになった日々も、あの美しい星空とともに旅のいい思い出になっている。


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