本当に難産だった、宝物のようなエッセイが書けるまで。【『しくじり見本帖 〜16人の失敗談〜』編集後記】
今年の3月。書き仕事をはじめてから、今まででいちばん、苦しみながら書きあげた一本の原稿がありました。大変だったぶんだけ、自分のなかで特別な、忘れられない体験になりました。
原稿には書けなかった、ちょっとした裏話をここに書き残しておきます。後半いい話なので、よかったらお付き合いください。
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去年の春からゆるゆると参加している、
京都在住ライターの江角悠子さん主宰の書くことが好きな人たちが集まるオンラインサロン「京都くらしの編集室」で、5/19(日)の文学フリマ東京に向けて、オムニバスZINEをつくることになったのです。
「『失敗談』のテーマで、エッセイを書きませんか?」
というサロン内での募集をみて、直感で「あ。おもしろそう」と思った私。
だって、とても器用とは言えない性格で、
うっかり、ドッキリ、ひやひや、ぼけぼけ、なんて常。「サザエさん」に例えられることも多く(サザエさんに失礼!)、いまや4歳の娘からもきびしくつっこまれる日々。それはそれは、子ども時代から、大人になっても、色々とやらかしてきた記憶があるからです。
オムニバスのZINEということで、
・みんなでひとつのものを作るのがおもしろそう
・ひとりでZINEをつくるのはむずかしいけど、オムニバスの原稿ボリュームなら書けそう
・昔からエッセイを読むのが好きなので、書くのも楽しそう、という淡い(甘い)期待
・なにより、「失敗談」というテーマが気になる
そんな軽いきもちで参加表明をしてしまった私ですが、そこからが大変…!
いろんなサロンメンバーさんを思い浮かべながら
「あの人が失敗談書いたら、おもしろいだろうな。読みたいな~」なんて、人のことばかり考えていた、どこまでものんきな私よ。
いざ、失敗談。何を、どう書くのか。
この軸が固まれば、書けそうだけれど、まずこれがむすかしいのです。
これまでに大小の失敗を山ほどしてきたはずなのに、いざ、人に読ませるものとして書ける、分かりやすい失敗が思いつかない。
おめでたく忘れてしまったことも正直多いし、そもそも「『失敗』とは何だ?」と思いはじめるとぐるぐるぐるぐる。
どう書くのかについても、世の中のコミカルな失敗談エッセイのような、人を笑わせるような絶妙な文章を書くのも得意ではないし、
かといって、失敗から得た学びを教訓のように語るのも、ちょっと違和感がある。
だって私自身が、失敗を乗り越えて成功しているというよりも、時間が経ったり、環境の変化もあったりして、自然の流れの中で少しずつ、過去のいくつかの失敗を受けいれられるようになった、という感じだから。
そんなわけで、行き当たりばったりで、最初に書きはじめたのは、自分の中の人生最大のハプニングを5個くらいつめこんだ、ショートストーリーの寄せ集めみたいなものでした。
あれも、これも、もう時効よね。さらっと読んで、くすっと笑ってもらえたら、と思いながら遊び心いっぱいで書いてみたものの、参加者同士の読み合わせの会で読んでもらったら、思いの外、神妙な反応…。
だ、だれも、笑ってない…!(心の声)
「全部をチラ見せされている気持ちになるから、ひとつのテーマをじっくり読みたい」「さらっと読ませるには、内容が重くて笑えない」「これじゃエッセイとはいえないかも」などなど、辛口コメントもいただき、しまいには、「あと一週間あるから、テーマをしぼって書き直してみては?」と言われてしまいました。
これはもちろん、みなさんのやさしさであって、世に出す前に、お互い言いにくいことも言い合ってブラッシュアップしていくための大事な作業なのです。(あのままの方向性でしあげなくて本当によかった、と今は心から思っています。)
が!!!
ちょうど仕事でも大きな案件が動きはじめていた頃で、朝晩は2歳差のわんぱくキッズのおそるべき体力につきあう日々。子どもといっしょに布団に倒れ込むような毎日なので、
「一週間と言われても…どこに時間と体力が…」というのが正直な気持ち。
そう。何が難しいって、エッセイは心の動きを書くものなので(それも知らなかった!)、過去のあれこれを思い出しながら、どうしてそういうことになったんだっけ?と、自分の心の記憶に問いかけていく。「失敗談」というテーマゆえ、当然いやな感情も思い出さざるを得ないので、これが、想像以上に心を使う作業なのでした。
さらに、この情報はいらないかも、という取捨選択もしなくてはいけないから、エッセイを書くのは、ライターとインタビュイーと編集者を一人三役やるような感じなのです。
この時はじめて、私は「エッセイを書く」という作業をなめていた自分と、自分の心の内側をさらけだしてエッセイを書くような覚悟がそもそもなかったこと、執筆時間もずいぶん甘く見積もっていたことに気がつきました。猛省。
エッセイの神様、本当にごめんなさい……。
そして、読み合わせの会でいただいた感想から、みなさんが読みたいであろう内容と方向性がなんとなく想像できたものの、自分にはあまりしっくりこず、数日間もやもやを抱えた後に、きっぱり辞めようと決めました。
ふだんの書き仕事でも、インタビューが思うようにいかなかったり、取材はとても良い時間だったのに、原稿で書き始めたとたんに気持ちが乗らなくなってしまったり。着地点に悩みながらも、どうにか書きあげたこともあります。
それでも、「これはもうお手上げだ。私には書けない」とはっきりと思ったのは、初めての経験でした。
*
そんな時に、救世主があらわれたのです。
サロン主宰者の江角さんとコミュニティマネージャーの松田洋平さんに、私が色々と事情を説明して、辞退希望と謝りのご連絡をしたところ、週末にもかかわらず、松田さんから「もったいないから、ちょっと待っててください!」とすぐに連絡がありました。
引き止めるどころか、お手上げ状態だった原稿を読み込み、「めちゃくちゃエピソード面白いですね!もしまだご辞退の意思が固くなければ、こんな感じの構成にしてみたらいかがですか?」と、なんと記事構成の修正提案を送ってくださったのです。
週末の真っ昼間に。
たったひとりの参加者のために。
頼まれごとでも、お金がもらえる仕事でもないのに。
思いがけなすぎる激励の言葉と、もう書く気がないと言ってきた人に対して、ここまで行動してくれる人がいるんだということに、ただただ驚きと感動で胸いっぱいでした。
しかも実際に松田さんが提案してくださった内容は、私の書きたいことと書きにくいことをうまくバランスよく汲み取ってくださっていたのです。なにより、数々の人生の小ネタを笑い飛ばしてくれたことがうれしくて。
もう一度、エッセイを書いてみようと心が決まりました。
松田さんの編集者のような客観的な視点が加わったことで、自分自身の人生のあれこれをインタビューされながら、自分で原稿を書くという、ちょっと新しい執筆体験ができたのも、今回の素敵なおまけでした。
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こうして、書きあげた私の失敗談エッセイのタイトルは、
「“ふつう”になりたかっただけ」
ちょっと変わった家族がコンプレックスだった子ども時代や、世間とのズレを感じた就職活動。自分にしっくりくる暮らしと仕事を探しつづけて、フリーランスライターになるまでの、転職失敗談を書きました。
「失敗したくないあなたへ。」と帯に書かれていますが、失敗を恐れている人だけでなく、過去の失敗を乗り越えたい、失敗から立ち直れずにくよくよしている、昔の私のような人にも、読んでもらえると嬉しいです。
どこかのだれかの、ちいさな笑顔につながったら、こんなに嬉しいことはありません。
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5月19日(日)の文学フリマ東京@東京流通センターは、第一展示場のR-31・32ブースでお待ちしています^^
▼ オムニバスZINE『しくじり見本帖 ~16人の失敗談~』の内容はこちら
https://writerezumi.stores.jp/items/661f6b8a41100f003931f623
▼ オンラインサロン「京都くらしの編集室」
https://community.camp-fire.jp/projects/view/443096
最後に。
私が自分の原稿だけであっぷあっぷ状態の中・・・
素晴らしいデザインを手がけてくださった石田さん、一人ひとりの変顔写真をこんなにもおしゃれなイラストに描いてくださった北さん、最後まで辛抱強く伴走してくださった松田さん、素敵なテーマを提案して、オムニバスの企画をたちあげてくださった江角さんをはじめ、どんどん率先してすすめてくださったみなさんの仕事ぶりと器の大きさに、励まされながら、引っ張っていただいました。
「京都くらしの編集室」の多彩な仲間たち、心から尊敬しています。
ほかの15名の方のエッセイも最高なので、またご紹介させてください。
辞退取り消しの連絡をした時の、江角さんがくださった言葉。
「忘れられないZINEになると思います」
本当に、そのとおりになりました。
諦めなくて、よかった!
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