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【長編小説】 チュニジアより愛をこめて 3

 ――夜更けになっても、彼から返信はなかった。私は少し不安になって、スマートフォンを何度もチェックした。
 ……既読にもなっていないということは、希望のある証拠だ。多分、たまたま何かしていて、画面のポップアップや着信音に気づかなかったのだろう。――既読になりさえすれば、彼は必ず連絡をよこすはず――私にはなぜか確信があった。
 ……けれどもにわかに湧き上がる不安の雲に、もろい自信は崩れそうにもなるのだった。もし、メッセージに気づかないままだったら――? もし、私のメッセージを読んでも、彼が会おうという気を起こさなかったら――? 私はこのチュニジアまでやって来て、何も成し遂げられないまま、帰ることになるのだろうか? そんなの駄目だ――。
 そんなことになったら、何もかも変わらないまま、また一からやり直さなければならなくなる。気持ちを整理して。忘れようと努めて。
 それでもどうしても忘れられないから、この国まで来たというのに……。
 不意に、絶望的な気持ちに体を覆われる気がした。私は飲みさしのワインに手を伸ばして、グラスの半分ぐらいまで注いだ。

 あれから眠ってしまったせいで、夕食をっていなかった。少し空腹も覚えたけれど、ボーイが運んで来た小皿の上には、チーズとなつめやしがまだ残っていた。私はそれらを少しずつ口に運びながら、ワインを飲んだ。飲みながら、今こうしている自分を見たなら、彼は何と言うだろう、と思った。
 ――アルコールは絶対に駄目、と、彼は言った。――若い頃はずいぶん飲んだって言ってたくせに……。
 ああ、クラブにも行ってたし、ビールとかもガンガン飲んだよ、と彼は言った。でもある時、とても虚しくなって全部辞めた。ああいうのは、全部クソ、、だ。俺は自分を恥じている。
 ――ソフィアン。モントリオールのホテルで話した、彼の幼なじみで同僚だったソフィアンの言葉が甦ってくる。……彼はとてもナイーヴなんだ。ナイーヴゆえに、そういうことをしてみたかったんだろう。若い頃は、西洋人達に混じってハジけたりしてみたいものなんだよ。そして、少し歳取ってから落ち着いてくる。イスラムの考え方に戻るんだ。……皆だいたい同じ道を辿る。まあ、サイクルのある奴もいるけどね……。
 女の子みたいな名前をして、女の子みたいなふっくらとしたほっぺをピンク色に染めながら、ソフィアンは喋った。
 とっても綺麗な名前ね、と私が言うと、本当? と、とても嬉しそうに彼は笑った。
 チュニジア人は、少しでも褒めると有頂天になるくらい喜ぶ。……初めて出会った時、容姿のことを褒めて、彼が途端に上機嫌になった時も同じだった。これは彼らの民族性なのだろうか。それとも、親が褒めてくれないのだろうか? 人生の内で、あまりにも褒められることが少ないせいで、ある日ふと、行きずりの外国人なんかにお世辞で容姿のことなどを褒められると、天にも昇る気持ちになってしまうのだろうか?
 この考えは、正しくないかもしれない。アラブ人は、親からたっぷりの愛情を受けて育つはずだ。特に母親からは、私達日本人には想像もつかない、甘い砂糖菓子のような愛情を。かのジュリアス・シーザーは母親に溺愛されて育ったがゆえに、いついかなる時でも自分に対する自信を失うことがなかったという。シーザーとは時代も民族も違うけれど、彼の醸し出す、自分には価値があると確信していて、丁重に扱われて当然と思っているような振る舞いは、どうもそこから来ているのではないかと私は思っていた。
 彼は、身長百八十四cmで、美しい顔立ちをしていた。容姿のいい人にありがちな傲慢ごうまんさをにじませ、けれどその気怠けだるそうな身のこなし、アラビア語なまりの独特な発声は、どこか影のある色気を感じさせた。性格が良いとはお世辞にも言えない。男友達とはよく喋るけれど、女――特に自分の女――には、主に仕草で会話する。話をする時はゆっくりと、支配するような低い声で話し、ものごとの決定権はいつも自分にあるべきと主張していた。
 こんなに人当たり、、、、のキツい人に、私はそれまで出会ったことがなかった。私の周りには、常に穏やかで優しいタイプの人達があふれていた。自分自身がそれほど自己主張をしない性格だから、類は友を呼んだのだろうか、それとも無意識にそうでない性格の人達を避けていたのだろうか、わからないけれど、とにかく彼のようなタイプの人間は、私のそれまでの交友関係の歴史には一人もいなかったのだ。
 そして、だからこそ、彼のような人が新鮮に思えたのかもしれない。世間的に、一般的に認められている、女としての〝甘え〟を一切許さない厳しさ……。そして、そんな中に時々散見される、いかにも男らしい〝優しさ〟……。私にとって、基本的に彼は〝猛獣〟のようなイメージだった。……檻の中にいる〝猛獣〟を、そのうなり声や咆哮ほうこうを心底恐ろしく感じていながら、それ、、がおとなしくしている間に声で脅かしたり、棒で突っついたりしてスリル、、、を味わっているような……。そんな感覚が、実を言うといつもあった。
 ――だから私は、本来なら関わり合うべきではない相手と関わってしまったのかもしれない。命を脅かされるほどの恐怖を感じる相手に、なぜかれてしまったのか――。イギリスのことわざに「好奇心は猫を殺す」というものがあるそうだが、その時の私はそのような状態であったのかもしれない。――いまだ見ぬ、自分の予備知識の中にない土地に、文化に、人々に、私は憧れていた。〝知らない〟ということは、もしかするともっとも幸せな状態であるのかもしれないと思う。なぜならそこには、〝これから新たに知る〟という楽しみと、縦横無尽に駆け巡る想像力、、、の活躍できる余地、、があるから。――結局、色んなことを〝知って〟しまった後では、美しくきていた想像力は現実的な枠にはめ込まれ、その弾むようだった輝きも失われてしぼんでしまうのだけれど……。
 〝彼〟という想像力のフル稼働できる格好の対象の化けの皮がはがれてしまった後で、私は好奇心に殺される猫にはならなかった。その猫は一旦引き下がり、安全を確保した上で、もう少ししなやかに立ち回ろうと考えたのだった。

 ――長い年月に渡る煩悶はんもんの末に、ようやく私はここに辿り着いた。そして今、その〝時〟をじっと待っているのだ。……ほんの少し懐かしさの混じる、憎悪の対象が、少しずつ、私の方へ近づいて来るのを。
 彼からの返信がないのは、改めて考えるとむしろ好都合だった。私はその間、ゆっくりと時間を取って、〝計画〟の全ての手順を今一度細部まで確認することができた。そして、おびえて引っ込みそうになる心を奮い立たせ、この計画を必ず実行するのだという決意を固める時間を取ることもできたのだった。

 その夜、チュニジアのワインを口にするたび、私の頭はどんどん冴えていった。ぬぐい去ろうとしてもできなかった彼のイメージが、おぼろげなものから鮮明な象を結ぶようになり、次々と甦ってきた。あの街での出来事、離れてから、海を隔てて交わした言葉の数々……。不機嫌で、絶望したような態度で、私を見やる時のあの彼の表情……。私のせいとは別に、何か非常に個人的な悩みを抱えているように彼は見えた。
 幼児期に虐待の経験を持つ人ほど、自分が大人になった時、我が子に虐待を加えてしまうことがあるという。抑圧された者は、自分が実際に力を持った時に、自分より弱い者を抑圧してしまうという反射作用が働くのだろうか。
 彼に関しても、似たようなことが言えるような気がする。虐待とまではいかないけれど、彼もまた、抑圧されながら育ったらしいことを、接する内に私は感じ取っていた。
 ……彼はまるで、そう、流砂りゅうさの中に鎮座ましている行者か何かのようだった。彼がひとつものを考えるごとに、ず、と一段階砂に埋まる。またひとつ考えごとをするたびに、また一段階埋まる。その思考行程は止まるところを知らない(それは彼が成長期に受けた抑圧の反映なのだろう)が、それを続けている間に、不意に彼の逆鱗げきりんに触れることを言う者が現れる。それをきっかけに、彼は大爆発を起こして流砂から飛び出すのだ。彼の癇癪玉に火を点けた犯人に罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせかけるために、あらかじめ蓄えられていたエネルギーは時機を得たとばかりに炸裂し、鬱積をばねにとてつもない勢いで流砂から彼を発射させる。飛び出したが最後、彼は言葉の暴力でもって相手を傷つけ、打ち負かし、完膚なきまで痛めつけるまで攻撃の手を緩めようとはしなかった。それは病的な条件反射のようなもので、相手が学校の教師だろうが職場の上司だろうが関係なかった。彼は時々、自分の親にさえ反駁はんばくした。子供の頃からのしつけで、というよりは信条的伝統的に両親は敬わなければならないとされているにもかかわらず、である。感情の洪水、と言ってもいいほどの彼の暴走は、時に母親の懸命の説得によってようやくなだめられた。男子の末っ子で母にべったり甘えて育ったので、成人してからも母に優しい声で愛情たっぷりにさとされるとまだまだ弱いらしかった。彼は父親にさえたまに反抗したが、彼という人間をこの世に送り出す端を発し、彼の現在の形状性質その他にほぼ全部の責任を担うと言っていいこの人物からは、彼は決して勝利を勝ち取ることはなかった。彼はあらゆる点で悲しいほど父親にそっくりだったのだ。それゆえ毎回、少しでも彼が反抗的な態度を取ると、父親は家長の権威を行使し、また、彼に遺伝的に受け継がれることになった優れた論理的言語能力を駆使して彼を叱責し、制圧したのだった。
 
 ――けれど、それは他の人間をないがしろにしていいという口実にはならない。私がこうむった実際的、精神的なダメージを、あがなう義務が彼にはある、と私は思っていた。そして、時が経てば経つほど、その想いは強くなっていったのだった。

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