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がんばれない日の魔法の話。
なんか今日は無理だな、そういう日も結構ある。
はっきりとした理由があることもあるし、ただなんとなくの無理もある。低気圧にめっぽう弱いので、そろそろつらい季節がくるなあと構えていたりもする。
あ、今日がんばれない日だ。
そういう悲しい朝とも仲良くなれる、そういう魔法があったらいいのにと、思う。思う。思った。思ったのだ。
思ったから、魔法をつくった。なんか無理な日も、がんばれない日も、いつだっ
将来への不安とどう向き合うかって話。
10年後のキャリアプランとか、どうなりたいかとか、まだ分からないんです。
これまで出会ってきた概算2000人の大学生たちは、多くがこんなことを言っていた。あるいは、「こうなりたい」を言葉にできる学生にしたって、一緒に考えているうちに「あれ、やっぱりそうじゃないような気がするぞ」と足が止まることも多かった。
新卒の学生たちの、いわゆる「ファーストキャリア」を考える仕事をしている。各々がそれぞれに
ら抜き言葉というやさしさの話。
食べれる。寝れる。考えれる。
いわゆる「ら抜き言葉」といわれる言葉たちだ。食べられる、寝られる、考えられる、が正しいと習ったし、SNSには「その日本語おかしいですよ警察」があふれている。
ら抜き言葉は、文法的におかしな表現ではあるし、こうして文字にしてみると、やっぱりどこか違和感がある。だから、テストやオフィシャルな文書に使うのは避けておいたほうがよいのだろうと思う。
思うのだけれど、だから
「選んだ道を正解にする」に逃げていた話。
選んだ道を正解にする。
大学生から社会人1年目くらいにかけて、これが自分の座右の銘だった。就活でもそう話したし、広報誌の取材を受けたときにもそう答えた。
この短い言葉を、本当に大切にしてきた。何度も救われ、支えられてきた。この言葉なくして今の自分はないと思うし、その意味で「自分の人生になくてはならなかった」ものなのだろうとも思う。
でも、なくては「ならなかった」なのだ。あるときから、座右の銘
タコジローだった話、そしてタコジローである話。
子どものころから、文章を書く子だった。
誰かにそうしろと言われたこともないし、そうすることで得をしたことも、そんなにない。でも、書くことが好きだった。
小学校の作文は、いつも原稿用紙15枚くらいは書いていた。「明日までに書いてきましょう」と言われても、それくらいは苦にならなかった。運動会の作文を書く宿題に、組体操のことだけを原稿用紙30枚にして出したこともあった。もちろん誰もそんなこと頼んでい
noteをはじめてみようと思った話。
noteをはじめてみようと思った。
急にそう思ったわけではない。前々からやってみたいと思っていた。書くことが好きで、ふとやってくる書きたい衝動にそのやり場を与えたいと思っていた。
誰に向けて書くわけでもないのだけれど、いつかどこかの誰かの目に入ることもあるのかもしれない。入らなかったらそれでもいい。ひとまず自分のために自分の書きたいことを書くだけになるんだと思う。正しく書こうとかうまく書こうと