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がんばれない日の魔法の話。

なんか今日は無理だな、そういう日も結構ある。

はっきりとした理由があることもあるし、ただなんとなくの無理もある。低気圧にめっぽう弱いので、そろそろつらい季節がくるなあと構えていたりもする。


あ、今日がんばれない日だ。

そういう悲しい朝とも仲良くなれる、そういう魔法があったらいいのにと、思う。思う。思った。思ったのだ。

思ったから、魔法をつくった。なんか無理な日も、がんばれない日も、いつだって自分がご機嫌になれる、そういう魔法。

鏡にむかって、丁寧に髪を整える。爪の形をきれいに整える。クローゼットを全開にして、いちばんテンションが上がる服を選ぶ。要するに、すごく「ちゃんと」身なりを整えること。これが自分だけの、とっておきの魔法。

なんだよ、そんなことかよ。そう思われるだろうけど、騙されたと思ってやってみると、誰にでも効果はあるんじゃないだろうかと思っている。保証はしないけど。やっぱり自分の好きな自分になれば、自然と目線があがって背筋はのびるんじゃないかなあと。そういうのを、「自信」って呼ぶんじゃないかなあと。自信のある人っていうのはきっと、どんな日でもご機嫌に風を切るものなのだ。


ただ、これって「身なりを整える」それそのものが魔法なんだって話じゃないんだとも言える気がする。別にそこは、なんだっていい。

大事なのは、「これをやれば自分の目線はあがってくれるぞ」と知っていること、だと思う。よく言うところの「自分の機嫌は自分でとる」に、おそらくは近い。でもちょっと違う。機嫌をとるためにやろうと思って、自分の機嫌がよくなったことなんてない。


そもそも、「なんか無理な日」「がんばれない日」とはなんなのか。正体はよく分からないままだけれど、なんとなく思うことはある。

そういう日はだいたい、得体のしれない「なにか」に気圧されている気がする。なんかよく分かんないけどやらなきゃいけないことめっちゃあるわあ、とか。Aってタスクがあるのは分かるんだけど、Aってどこから手つけたらいいんだっけ、とか。

だから、身なりを整える。なんだかよく分からない焦燥感と脱力感はあるんだけど、とりあえずこれならできるぞ、という効力感。まず一歩、今日という日をアクティブ状態にするスイッチ。それが、魔法の真髄なんだと思う。

と、いうことは。スイッチが何であろうと、そんなことは別にどうでもいいことなのだ。人によって違っていいし、時と場合によって変わることもあるだろう。「よし、それくらいならやれるぞ」と思えること。それが必須要件。できれば、「今日の自分、なんかいいじゃん」と思わせてくれることだと、なおよい。まあそうじゃなくても、とりあえず一歩目になってくれる何かしらが、人間には必要なのだ。


大人になろうが、いくつになろうが、結局なによりも人を動かすのは「できた!」なのだ。前まわりができたから、後ろまわりもやってみようと思う。たし算ができたから、かけ算に挑戦してみようと思う。もう、あの頃のように褒めてくれる人はいないのかもしれないけれど。もしかしたらそれは、ちょっと寂しいことなのかもしれないけれど。でもやっぱり、あの頃の「できた!」が、あの高揚感が、今でも背中を押してくれると信じたいのだ。

自分は弱い人間だから、毎日おなじようにご機嫌ではいられないから、明日がくるのが怖くならないように、こうやって足場をつくるんだ。

最後まで読んでいただきありがとうございます。またぜひ遊びに来てください^^