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ほんの小さなさみしさの話。

これは自分でも、自分に共感できない感情なのかもしれない。

たった今まで自分だったものが、そうでなくなる瞬間が、無性にさみしく思えることがある。散髪だとか、爪切りだとか。人生で何百回と重ねてきたその行為に特別な意味はないのだけれど、なんかちょっと、せつなかったりする。

苦しかったあの瞬間を、一緒に乗りこえたのになあ。明日からも一緒にがんばる相棒だと思ったのになあ。切ったのは自分なんだけど、そんな気分になる。


物にたとえたら、もう少し共感してもらえるだろうか。

運動部だった学生時代、シューズのくつひもを替えるときにも、似たようなことを思った記憶がある。歴戦の記憶にはいつもこの赤いくつひもがいたんだよなあ。挫けそうな自分を支えてくれたんだよなあ。とかそんなこと。結局そのくつひもは捨てられなかった。

あるいは、炎につつまれるゴーイングメリー号。今までありがとう。まだ一緒に旅をしたかった。泣き崩れる一味に自己投影するのは大袈裟かもしれないけれど、でも、あれと同じ気持ちなのだ。

過去からつながった未来に、あるはずだった存在と、永久に別れること。さよならはいつだってせつなくて、髪だろうが爪だろうが、青春のくつひもだろうが海賊船のひつじさんだろうが、それは変わらない。


あの日捨てられなかったくつひもは、そういえばどこに行ってしまったんだろう。麦わらの一味は、サウザンド・サニー号の帆をふくらませて久しい。

髪だって、爪だって、そこに無惨に落ちているから切ないだけで、美味しいごはんでも食べたらコロっと忘れてしまうんだ。そりゃあそうだ。あの麦わらの一味だって、新しい旅をはじめているんだから。

一瞬あとには覚えていないような、小さなさみしさかもしれない。人に話せば笑われるような、分かりづらいせつなさかもしれない。

でも、多分。それに気付かず、平然と見過ごせる自分のことは、好きになれない。これからも不器用に、不格好に、そんなことにいちいち足を止めながら、生きていくんだ。

最後まで読んでいただきありがとうございます。またぜひ遊びに来てください^^