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「本当」を探している話。

Bombについてどう思う?

中学3年生の夏、留学先のオーストラリアで、見知らぬ青年にそう尋ねられた。ホストマザーとファストフード店に行って、外で待っているときに話しかけられたのだ。

悲しいことだと思う。もう二度と起こってほしくない。でもアメリカにも何かしらの理由があったんだと思う。

そんなことしか言えなかったと、10年近く経った今でも覚えている。恥ずかしかったのでも、悔しかったのでもない。ただ「面食らった」。そのときの感情を、今でも忘れられずにいる。

ほかに言葉が出てこなかったのは、英語が話せなかったからではないような気がしている。もちろん拙い英語ではあったのだけど、そういう問題ではないんじゃないか。

まず、おそらく10代か20代前半であろう青年が、自分を日本人と見るや「原爆」というテーマで切り込んできたことが衝撃だった。こんなに若い人が原爆について考えているんだ、それが感情の8割を占めた。なんとなく、原爆とかそういうことを軽々しく口にしてはいけないんだと思っていた。

残り2割の頭では、何か言わなきゃと必死に言葉を探していた。それまでの15年、原爆についてどう思うかなんて聞かれたことはなかったし、真剣に考えてみたこともなかった。小学校のときに書いた原爆がテーマの読書感想文には、大人が求めているであろう「正解」の言葉を紙いっぱいに並べておいた。


「それで、自分はどう思う?」

自問し考える癖がついたのは、思えばこのときからだったのかもしれない。目に入る、耳に入る、あらゆる物事について、とりあえずなにかしらの答えを出すようになった。

あのとき彼は、どう思ったのだろう。唯一の被爆国から、海を渡ってやってきた日本人。彼はどんな答えを期待していたのだろう。あなたはどう思うの?そう聞きかえす間もなく、彼はどこかへ行ってしまった。もしかすると、いやもしかしなくても、自分の答えは彼を満足させるものではなかったのだろう。


考えること。答えを出すこと。誰かに期待された答えでも、求められた答えでもない、自分だけの「本当」を言葉にすること。

誰に聞かせるわけでもない「本当」を、これからも探していきたいと思う。

最後まで読んでいただきありがとうございます。またぜひ遊びに来てください^^