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不器用な父と、不器用な娘と、その妻であり母である彼女の話。

初任給といえば、家族になにをしてあげようか。

わたしの職場がそんな話題で持ちきりになったのは、ちょうど今から1年前のことだった。銀行のアプリを開くと、たしかに入社してはじめての「給与」が入金されている。新卒の同期が多い職場だったから、みな一様に浮足立って、家族を喜ばせるべく作戦会議がはじまっていた。

わたしはそれを横目に見て、適当な相槌でかわし続ける。パソコンを叩く手は止めない。面と向かって家族になにかしようだなんて、しかも一緒に住んでいる家族にだなんて、照れくさくてそわそわしてしまう。


母の日だとか父の日だとか、あるいは両親の誕生日だとか、我が家には存在しなかった。ひとり娘であるわたしの誕生日だけが祝われ、わたしのためだけのクリスマスパーティーが開かれ、卒業や進級を祝してくれた。20数年ずっとそうやってまわってきた家庭に、急に「お父さんお母さんありがとう」なんてイベントを持ち込むのは、なんだかとても居心地が悪い。


それでも結局、3人の予定を合わせてレストランを予約してしまったのは、伝えられないなりに両親への感謝に自覚があったことと、なにより「今やらなかったらもう2度とできない」という切迫感のせいだろう。せめてもの悪あがきに、わざと現地集合になる日時を指定した。わくわく顔を隠そうともしないであろう母と、必死に抑えてそれでも口角があがってしまうであろう父と、30分の電車ですら一緒にいられないと思った。


水曜日、19時半。雑踏の横浜駅で待ち合わせて、直結するホテルの最上階へ。格式高いホテルのエレベーターがやけに遅く感じて、やっぱり居心地が悪い。はやくはやくと、上目遣いに階数表示をせかしてみる。今朝も顔を合わせたはずの両親と、目を合わせることができなかった。

予約したのは、夜景を一望するレストランのフルコース。事前に3人分のコース料金を調べて、初任給にしてはちょっとがんばった金額を、待ち合わせ前にATMで引き出しておいた。

レセプションで予約名を伝えると、黒服のおじさまがうやうやしく頭を下げ、父を先頭にして席へ向かう。駅からレストランまで迷わないだろうか、予約は間違いなくできているだろうか、そんな不安がようやく解けて、無意識にふっと肩の力が抜けた。あとはおじさまが案内してくれるし、両親との食事など慣れたものだ。

おじさまが両手で広げた分厚いメニューから、両親はワインを、わたしはジュースを、ファーストドリンクに頼んだ。お酒の美味しさというのが、まだわからない。あっという間に用意してくれて、一緒に前菜も運ばれてくる。さすがおすすめに出てきただけのことはある、グルメな両親のお酒もすすんでいるようで、わたしはまたほっとする。

そして、思う。なんだ、家族に喜んでもらうって、そんなに照れくさいことでもないじゃないか。胸のつかえがするっとほどけて、じんわりとあたたかくなるような気がした。


最後に運ばれてきたのは、真っ白なチーズババロアだった。赤いベリーソースが目に飛び込んでくる。これで、フルコースもおしまいだ。おいしかったねえと頬をゆるめる母親に、なんだかとても良いことをした気分になる。

黒服のおじさまが寄ってきて、わたしの近くに黒い縦長のバインダーを置いていった。さすがおじさま、明らかに一家の大黒柱である父ではなく、予約者であるこんな小娘にお会計を持ってきてくれるなんて。最後までこのレストランに満足しながら、バインダーを手に取る。

ふっと、みぞおちのあたりが冷えた。心臓がうるさい。事前に金額を調べて、コースで予約をしておいた。必要な金額もたしかに用意してからここに来た。お金はバインダーに挟んで席に置くのだと、予習もしてきた。

なのになぜ、さっきATMで引き出してきた金額の倍近い額が、ここに書いてあるのだろう。

「いいよ」とひとこと、父が言った。「いいよ、俺が出すよ」。そのとき父がなぜそう言ったのか、本当のところはわからない。バインダーを手に取ったわたしの顔が引きつっていたのかもしれないし、もしかしたらはじめからそのつもりで今日ここに来ていたのかもしれない。

「なに言ってんの、いいって」。笑って返したその勢いで、まだ手をつけていなかったババロアにスプーンを入れる。ぷるん、と揺れたババロアは、あんまり味がしなかった。

なるべくゆっくりババロアを減らしながら、まわらない頭で必死に考える。カードで支払うことにしようか。いやいや、たしかあと使えるカードの額は、ここの会計よりも少なかった。じゃあ、なにか理由をつけてお金をおろしに行こうか。うーん、ここから近いATMまで行って戻ったら20分はかかるぞ。ほかになにか、良い方法はなかっただろうか。考えても考えても、ババロアはどんどん減っていく。

よし、一か八かだ。カードで支払おう。もしカードが使えなかったら、もともとカードで払うつもりだったから現金がないんだと言って、お金をおろしに行こう。そうだそうだ、そうしよう。ババロアの最後のひとくちをほおばって、バインダーにカードを挟む。はじめて銀行で口座をつくったときの、なんの特徴もない青いカード。どうか、どうか、これで支払いできてくれ。

テーブルに置かれたバインダーを取ったのは、父だった。「いいから」とわたしのカードを抜いて、父の財布から真っ黒なカードをバインダーに移した。「いやでも…」と食い下がるふりをしながら、いやいや、もはやこれがいちばん助かるぞと思う自分。

でも、そうじゃない。今日は両親に感謝を伝えたかったんだ。恩返しのつもりで、はじめてもらった労働の対価を、2人のために使いたかったんだ。照れくさくて、気まずくて、それでもここまで連れてきたんだ。なけなしのプライドが、さっきまでの居心地の悪さを連れてかえってくる。

「いいじゃんいいじゃん、おごってもらっちゃおうよ」という楽しそうな母の声。結局それにしぶしぶ同調したような顔をして、おじさまが黒いカードを持っていく背中を、なにも言わずに見送った。ラッキーだったねえ、と笑う母の意図は汲めない。父は相変わらず、いいんだよ、と言う。

どんな顔をしていればいいのだろう。どこを見ていればいいのだろう。さっきまで、どんなリズムで息をしていたっけ。所在ない自分のからだを、なんとかこの場に落ち着ける。ドリンク代の上乗せを想定していなかった無知を、それを恥じる若さを、焦りを、悟られてはならないのだ。


連れてきてくれただけで、予約してくれただけで、気持ちだけでじゅうぶん。帰り道、父はそう言った。こちらを見なかった父は、どんな顔をしていただろう。わたしの素直じゃないところは、多分、きっと、父ゆずりだ。そして、そんな父とわたしの間でふふーんと意味ありげに笑うこの人は、やっぱりわたしの母であり、そして父の妻なのだ。


それから半年後、わたしは実家を出た。そんなに遠くはないのだけれど、わたしたち家族は物理的に距離のある関係になった。顔を見なくなってようやく、我が家に母の日と、父の日と、両親の誕生日が生まれた。ありがとうとか、おめでとうとか、1年前には言えなかったことが、やっと言えるようになった。財布にいくら入れたっけなんて気にせずに、両親の前ですっと財布を出せる余裕もできた。

あまり帰らないわたしに父は、なにかにつけて「猫が会いたがってるぞ」と実家の飼い猫の写真を送ってくる。はいはい、と適当に返すわたしも、自分と似た父がどんな顔で送ってきているのか、もう知っている。

母からは今日も「おはよう」と笑った猫のスタンプが届いていた。実家を出てから毎日恒例だが、最近は忙しくて用がなければわざわざ返信したりもしない。「週末帰るよ」と返信しかけて、手を止める。やっぱりやめよう。たまには父に、たまには電話で、伝えてあげよう。

今夜は早く帰るぞ。冷めたコーヒーをぐっとあおって、パソコンに向き直った。


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