ぐう

本よみ日記。

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残像日記

六月某日 百閒が恐竜博物館に行きたいというので、福井にいく。飛行機でいく。前に乗ったのがいつだったか思いだせない私と、飛行機がはじめての百閒はあきらかに緊張して…

ぐう
8日前
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残像日記

六月某日 となりの市の図書館へ行く。小説やエッセイ以外の文庫も文庫コーナーで分類され、ならんでいるのが新鮮。カードを作り、二冊借りる。穂村弘『図書館の外は嵐』、…

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2週間前
11

掌編 『亡霊たち』

旅先の博物館で彼女を見かける。ふたりの小さな女の子と夫らしきひとと一緒にいる。よく見えるようにと、彼女はいちばん小さい女の子を前に押しだす。女の子の肩に彼女の指…

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2週間前
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残像日記

五月某日 晴 稲垣えみ子『家事か地獄か』を読む。毎日毎日ごはんとみそ汁の生活とはどんなものだろうと、さっそく始めてみた。なかなかいい。誰かの日記で読んだ、たまご…

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1か月前
11

祝日日記(冬子の日記)

五月二日 木曜日 晴 無性に歩きたくなり北鎌倉まで。ふだんは超熟六枚切りで十分だが、ここ数日、おいしいパンのことが頭から離れなくなってきたので買いに行く。カンパ…

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1か月前
7

四十六回分のズレ

保坂和志『季節の記憶』を読む。この物語に入ること自体が長い散歩のようであった。主人公・中野さんは五歳の息子クイちゃんと暮らし、三軒先の松井さんとその妹・美紗ちゃ…

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2か月前
6

春のアラーム

冬から春に変わったのだ、確実に、と冬子は思う。かたい食べものを欲し、無駄に歯を鳴らす。動物のようだった。噛んでも噛んでもなかなか消えない、かたい食べものがないと…

ぐう
2か月前
11

生活者

『PERFECT DAYS』を観に行ったのは音楽につられたからだった。「Pale Blue Eyes」を歌うルー・リードの声が小さな波となって、冬子の遠く渇いた二十歳の記憶を湿らせる。曲…

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3か月前
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掌編小説 『彼女たち』

誰かにお茶を出して話を聞くために生まれてきたならそれでいいわ、と言ったのは誰だったか。先日、波瑠と橙子はケーキ屋に行ったらなにを選ぶか、という話をしていた。波瑠…

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3か月前
7

あっちとこっち

おいしい文藝『こんがり、パン』を読んでいる。先日行った映画館の棚で見かけ、図書館のリサイクルコーナーでもらってきた。まず江國香織の「フレンチトースト」を読み、そ…

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3か月前
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マ・シェリ

鵠沼海岸の駅から少し歩き、シネコヤという小さな映画館へ行く。アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を観た。 二十八年前、友人とはじめて観たときから、カウリスマキはロマン…

ぐう
4か月前
13

三つの洋菓子店

千早茜『西洋菓子店プティ・フール』を読む。ピュイ・ダムールという、パイ生地の器のなかにたっぷりのカスタードクリームをつめて、表面をキャラメリゼしたフランスの伝統…

ぐう
4か月前
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「私」という長い詩

冬子はこの文章を読んだとき、うつわを作るろくろの上の艶やかな土を思った。回転する土に手をあてると内側の土は外側へ、外側の土は内側へ瞬く間に移動し、いれかわり、内…

ぐう
4か月前
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息のつける場所

母の病院の帰り、パンよりも花よりも冬子に必要だったのは本だった。持ってきた本は上滑りするばかりで入りこめず、本屋で文庫を買った。選んだカバーの色が手帳とほぼ同じ…

ぐう
4か月前
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うすいがらす

本とパンと花があれば生きていけるような気がする。それはミモザや江國香織や全粒粉のカンパーニュだった。堀江敏幸のためらいや地面いっぱいに散りおちた桜のはなびらだっ…

ぐう
4か月前
11

かぼちゃクッキー

うどん、まいたけ、役立たず。きのうの自分をふりかえる。多和田葉子『献灯使』を読みはじめた。死ねない身体を授かった老人たちと自分で歩くことさえままならない子どもた…

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5か月前
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残像日記

残像日記

六月某日

百閒が恐竜博物館に行きたいというので、福井にいく。飛行機でいく。前に乗ったのがいつだったか思いだせない私と、飛行機がはじめての百閒はあきらかに緊張していた。ちょっとしたジェットコースターじゃないの、と百閒を見ると、窓際を拒みつつ、下を見なければ大丈夫らしい。もらったりんごジュースは今まででいちばんおいしいという。夏子は雲や田んぼをずっと眺めていた。電車にのりかえ、途中の停車駅でサルと目

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残像日記

残像日記

六月某日

となりの市の図書館へ行く。小説やエッセイ以外の文庫も文庫コーナーで分類され、ならんでいるのが新鮮。カードを作り、二冊借りる。穂村弘『図書館の外は嵐』、小林聡美『ていだん』。どちらも赤い表紙の本だった。抹茶アイスを食べる。

六月某日

三品輝起『雑貨の終わり』を読む。ロンドン郊外のフロイト博物館に置かれている、来館者たちが昨夜見た夢を記すノートに三品さんも書く。

どこかで生きているけ

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掌編 『亡霊たち』

掌編 『亡霊たち』

旅先の博物館で彼女を見かける。ふたりの小さな女の子と夫らしきひとと一緒にいる。よく見えるようにと、彼女はいちばん小さい女の子を前に押しだす。女の子の肩に彼女の指が食いこんでいる。水筒の水をのんだ瞬間、夫らしきひとが平手で強く彼女の頭を叩く。彼女の顔が歪んでゆく。二十五年前、彼女とわたしはおなじひとを好きになった。わたしたちが好きだったひとなら、そんなふうに頭を叩いたりはしないのに。

飛行機から空

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残像日記

残像日記

五月某日 晴

稲垣えみ子『家事か地獄か』を読む。毎日毎日ごはんとみそ汁の生活とはどんなものだろうと、さっそく始めてみた。なかなかいい。誰かの日記で読んだ、たまごの入ったみそ汁がおいしそうだった。近々作ってみたい。

五月某日 曇り

井坂洋子『はじめの穴 終わりの口』を読む。松井啓子「夜」という詩に惹かれた。夜ごはんのあとにまだなにか食べたいと、女のひとと男のひとが竹輪やグリーンアスパラガスを食

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祝日日記(冬子の日記)

祝日日記(冬子の日記)

五月二日 木曜日 晴

無性に歩きたくなり北鎌倉まで。ふだんは超熟六枚切りで十分だが、ここ数日、おいしいパンのことが頭から離れなくなってきたので買いに行く。カンパーニュとクロワッサン。クロワッサンはヒルサイドパントリー代官山の天然酵母のものとDEAN&DELUCAで扱っていたメゾンカイザーのクロワッサンが好きだった。それから二十年は経っていて、ほかの店のものも食べていたと思うがさっぱり思い出せない

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四十六回分のズレ

四十六回分のズレ

保坂和志『季節の記憶』を読む。この物語に入ること自体が長い散歩のようであった。主人公・中野さんは五歳の息子クイちゃんと暮らし、三軒先の松井さんとその妹・美紗ちゃんとは家を行き来する仲だ。彼らにとって答えのない会話は日常的で、グレーのものはグレーで保留される。冬子は彼らの思考の過程を読んでいるとき、自分も一緒にその長い雑談に入っているような、同じ部屋にいて、なんとはなしに話を聞いているように感じた。

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春のアラーム

春のアラーム

冬から春に変わったのだ、確実に、と冬子は思う。かたい食べものを欲し、無駄に歯を鳴らす。動物のようだった。噛んでも噛んでもなかなか消えない、かたい食べものがないとそわそわした。

それなのに、図書館の帰りに寄ったロングトラックフーズでうっかりバナナブレッドを買ってしまう。江國香織『川のある街』で、バナナケーキを食べたがる十九歳の妊婦が出てきたことを思いだした。

彼女とは七歳のハシボソガラスなのだが

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生活者

生活者

『PERFECT DAYS』を観に行ったのは音楽につられたからだった。「Pale Blue Eyes」を歌うルー・リードの声が小さな波となって、冬子の遠く渇いた二十歳の記憶を湿らせる。曲が流れるあいだ感情が押しよせてきて泣きそうになった。

映画が始まってしばらくすると、冬子は小さく笑ってしまう。主役の平山さんの朝、夜、休日のそれぞれのルーティンを観て、おじさんのルーティン動画がこれから流行るかも

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掌編小説 『彼女たち』

掌編小説 『彼女たち』

誰かにお茶を出して話を聞くために生まれてきたならそれでいいわ、と言ったのは誰だったか。先日、波瑠と橙子はケーキ屋に行ったらなにを選ぶか、という話をしていた。波瑠は迷ったらチーズケーキ、橙子はショートケーキ以外で特に決めていない。

食べたケーキの記録があれば、この日はモンブラン、あの日はガトーショコラと、決まってないなりにある種の傾向が見えてきたかもしれない。好きなの選んでいいよ、と初めて親に言わ

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あっちとこっち

あっちとこっち

おいしい文藝『こんがり、パン』を読んでいる。先日行った映画館の棚で見かけ、図書館のリサイクルコーナーでもらってきた。まず江國香織の「フレンチトースト」を読み、その甘さに打ちのめされる。

そこに描かれた振舞いは容赦ない甘さだった。夢中で、愉しく、羽目をはずす恋と甘いフレンチトースト。この本はアンソロジー本だが、さまざまなパンがならぶパン屋だとすると、江國さんのパンは飛びぬけて甘く、それはもうパンで

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マ・シェリ

マ・シェリ

鵠沼海岸の駅から少し歩き、シネコヤという小さな映画館へ行く。アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を観た。

二十八年前、友人とはじめて観たときから、カウリスマキはロマンチストだ。今回の『枯れ葉』も役者にセリフを言わせるより、音楽が雄弁に語る。

平日の昼ということもあり、年配のかたが多い。母ぐらいの年齢の女性ふたりが映画館で待ちあわせ、始まるまで愉しげに話している。華やかなほうの人がなにか映画のタイトル

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三つの洋菓子店

三つの洋菓子店

千早茜『西洋菓子店プティ・フール』を読む。ピュイ・ダムールという、パイ生地の器のなかにたっぷりのカスタードクリームをつめて、表面をキャラメリゼしたフランスの伝統菓子が気になった。いつか食べてみたい。

冬子は今までなにかを食べて、薄ピンクの幕がかかったことはない。ピュイ・ダムールのカスタードクリームの下から真紅の薔薇のジャムがにじみでてきた時、自分はどうなるのだろう。この女性のように流行りに敏感で

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「私」という長い詩

「私」という長い詩

冬子はこの文章を読んだとき、うつわを作るろくろの上の艶やかな土を思った。回転する土に手をあてると内側の土は外側へ、外側の土は内側へ瞬く間に移動し、いれかわり、内も外もなくなってゆく。

その日その日に見たものをかさね、一年、十年と層を成してゆくことが生きていくということなら、人間とは内面と内面と内面が波紋のように広がる形象である、というのはとても納得できた。あてる手は誰の手なのだろう。自分の手か、

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息のつける場所

息のつける場所

母の病院の帰り、パンよりも花よりも冬子に必要だったのは本だった。持ってきた本は上滑りするばかりで入りこめず、本屋で文庫を買った。選んだカバーの色が手帳とほぼ同じ色だったことに帰ってから気づき、ほう、と声が出る。

千早茜『わるい食べもの』を混みあうバスの吊り革にゆられながらぐんぐん読んだ。朝昼晩ベーグルを二個ずつ食べたら顔がベーグルみたいになった編集者や一日に二十個から三十個のケーキを食べる京都の

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うすいがらす

うすいがらす

本とパンと花があれば生きていけるような気がする。それはミモザや江國香織や全粒粉のカンパーニュだった。堀江敏幸のためらいや地面いっぱいに散りおちた桜のはなびらだった。いちばん好きなパン屋の店主の頬についた黄味がかった粉だった。クリスマスローズが下向きに咲く花でほんとうによかったと思う。上向きに咲いていたら好きになっていなかっただろう。

ロングトラックフーズに行ってクグロフ型のフルーツラムチョコケー

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かぼちゃクッキー

かぼちゃクッキー

うどん、まいたけ、役立たず。きのうの自分をふりかえる。多和田葉子『献灯使』を読みはじめた。死ねない身体を授かった老人たちと自分で歩くことさえままならない子どもたちの物語。

物語では迷惑という考えかたが古いものとなり、子どもたち世代には「悲観しない」という能力が備わっていた。冬子は自分も悲観しないほうだと思っていたが、母の病気をはじめ、どうにもならないことというのはやはり悲しく、沈みこむような気持

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