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うすいがらす
本とパンと花があれば生きていけるような気がする。それはミモザや江國香織や全粒粉のカンパーニュだった。堀江敏幸のためらいや地面いっぱいに散りおちた桜のはなびらだった。いちばん好きなパン屋の店主の頬についた黄味がかった粉だった。クリスマスローズが下向きに咲く花でほんとうによかったと思う。上向きに咲いていたら好きになっていなかっただろう。
ロングトラックフーズに行ってクグロフ型のフルーツラムチョコケーキを買った。家に帰って濃いめのコーヒーを淹れ、全部食べた。なにかを取りもどせたような気がした。
若い頃、映画や絵を浴びるように見たのに、うまく思いだせない。アキ・カウリスマキとかウォン・カーウァイとか。ゲルハルト・リヒターとかパリに行ったフジタとか。美術館は学校の授業で毎週行っていた。歩くように思いだせるのは絵より建物自体のほうだった。
記憶に残るものと残らないものを思う。少しずついま好きなものも思いだせなくなるのだろう。残ってほしくない忘れてしまいたいことがいつまでもいつまでも残る。
好きなものが減っていくのは心細いばかりだ。とくに気持ちが沈むときには。
春の空は破れることがない。心に裂け目のできるような出来事があっても、秋の空にならった裂帛の激しさで震えるかわりに、色や匂いをそのまま私たちに差し出す。
春は色や匂いをそのまま受けとることができない。春はグロテスクでエネルギーが孕みあう。春は花の欲望に疲弊する。春はできたての透明な粘液にうっかり触れてしまう。春は苦しい。
白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう 斎藤史
『ある日』の二月の日記にこの歌が引かれていて、雪を見つめる目を思った。自分にもうすいがらすがあることに、冬子はすこし救われる気がした。
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