ぐう

本よみ日記。

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最近の記事

役に立たない魔法

保坂和志『季節の記憶』を読む。この物語に入ること自体が長い散歩のようであった。主人公・中野さんは五歳の息子クイちゃんと暮らし、三軒先の松井さんとその妹・美紗ちゃんとは家を行き来する仲だ。彼らは哲学対話のような答えのないおしゃべりをよくする。冬子は彼らの思考の過程を読んでいるとき、自分も一緒にその長い雑談に入っているような、同じ部屋にいて、なんとはなしに話を聞いているように感じた。まるで高野文子『黄色い本』の実ッコちゃんみたいだ、と冬子は思った。 小さい鞠のような桜がもりもり

    • 春のアラーム

      冬から春に変わったのだ、確実に、と冬子は思う。かたい食べものを欲し、無駄に歯を鳴らす。動物のようだった。噛んでも噛んでもなかなか消えない、かたい食べものがないとそわそわした。 それなのに、図書館の帰りに寄ったロングトラックフーズでうっかりバナナブレッドを買ってしまう。江國香織『川のある街』で、バナナケーキを食べたがる十九歳の妊婦が出てきたことを思いだした。 彼女とは七歳のハシボソガラスなのだが、冬子は若いひとが自分の進む道をみつけた瞬間のように眩しく読んだ。鳥のことなのに

      • 生活者

        『PERFECT DAYS』を観に行ったのは音楽につられたからだった。「Pale Blue Eyes」を歌うルー・リードの声が小さな波となって、冬子の遠く渇いた二十歳の記憶を湿らせる。曲が流れるあいだ感情が押しよせてきて泣きそうになった。 映画が始まってしばらくすると、冬子は小さく笑ってしまう。主役の平山さんの朝、夜、休日のそれぞれのルーティンを観て、おじさんのルーティン動画がこれから流行るかもしれないと想像したのだ。 平山さんの部屋には本とカセットテープと布団、となりの

        • 掌編小説 『彼女たち』

          誰かにお茶を出して話を聞くために生まれてきたならそれでいいわ、と言ったのは誰だったか。先日、波瑠と橙子はケーキ屋に行ったらなにを選ぶか、という話をしていた。波瑠は迷ったらチーズケーキ、橙子はショートケーキ以外で特に決めていない。 食べたケーキの記録があれば、この日はモンブラン、あの日はガトーショコラと、決まってないなりにある種の傾向が見えてきたかもしれない。好きなの選んでいいよ、と初めて親に言われたときから、この五十年近く、こうしてコーヒーしか頼まなくなっても、ケーキ屋でケ

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          あっちとこっち

          おいしい文藝『こんがり、パン』を読んでいる。先日行った映画館の棚で見かけ、図書館のリサイクルコーナーでもらってきた。まず江國香織の「フレンチトースト」を読み、その甘さに打ちのめされる。 そこに描かれた振舞いは容赦ない甘さだった。夢中で、愉しく、羽目をはずす恋と甘いフレンチトースト。この本はアンソロジー本だが、さまざまなパンがならぶパン屋だとすると、江國さんのパンは飛びぬけて甘く、それはもうパンではないものだった。 甘さのことを考えていたら、この短歌が浮かんだ。わかりにくい

          あっちとこっち

          マ・シェリ

          鵠沼海岸の駅から少し歩き、シネコヤという小さな映画館へ行く。アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を観た。 二十八年前、友人とはじめて観たときから、カウリスマキはロマンチストだ。今回の『枯れ葉』も役者にセリフを言わせるより、音楽が雄弁に語る。 平日の昼ということもあり、年配のかたが多い。母ぐらいの年齢の女性ふたりが映画館で待ちあわせ、始まるまで愉しげに話している。華やかなほうの人がなにか映画のタイトルを言って(趣味がいい)とハッとしたのに失念してしまった。 定員二十二席がほぼ埋

          マ・シェリ

          三つの洋菓子店

          千早茜『西洋菓子店プティ・フール』を読む。ピュイ・ダムールという、パイ生地の器のなかにたっぷりのカスタードクリームをつめて、表面をキャラメリゼしたフランスの伝統菓子が気になった。いつか食べてみたい。 冬子は今までなにかを食べて、薄ピンクの幕がかかったことはない。ピュイ・ダムールのカスタードクリームの下から真紅の薔薇のジャムがにじみでてきた時、自分はどうなるのだろう。この女性のように流行りに敏感で、自らを飾りたて続ければ見えてくるのだろうか。感じるのもひとつの才能だと思う。冬

          三つの洋菓子店

          「私」という長い詩

          冬子はこの文章を読んだとき、うつわを作るろくろの上の艶やかな土を思った。回転する土に手をあてると内側の土は外側へ、外側の土は内側へ瞬く間に移動し、いれかわり、内も外もなくなってゆく。 その日その日に見たものをかさね、一年、十年と層を成してゆくことが生きていくということなら、人間とは内面と内面と内面が波紋のように広がる形象である、というのはとても納得できた。あてる手は誰の手なのだろう。自分の手か、もっと大きななにかの手か。 内面の一層一層がきれいでありたいというのはなかなか

          「私」という長い詩

          息のつける場所

          母の病院の帰り、パンよりも花よりも冬子に必要だったのは本だった。持ってきた本は上滑りするばかりで入りこめず、本屋で文庫を買った。選んだカバーの色が手帳とほぼ同じ色だったことに帰ってから気づき、ほう、と声が出る。 千早茜『わるい食べもの』を混みあうバスの吊り革にゆられながらぐんぐん読んだ。朝昼晩ベーグルを二個ずつ食べたら顔がベーグルみたいになった編集者や一日に二十個から三十個のケーキを食べる京都の洋菓子屋さんがでてきて、いろいろな人がいて、それぞれ好きなものを思いっきり食べて

          息のつける場所

          うすいがらす

          本とパンと花があれば生きていけるような気がする。それはミモザや江國香織や全粒粉のカンパーニュだった。堀江敏幸のためらいや地面いっぱいに散りおちた桜のはなびらだった。いちばん好きなパン屋の店主の頬についた黄味がかった粉だった。クリスマスローズが下向きに咲く花でほんとうによかったと思う。上向きに咲いていたら好きになっていなかっただろう。 ロングトラックフーズに行ってクグロフ型のフルーツラムチョコケーキを買った。家に帰って濃いめのコーヒーを淹れ、全部食べた。なにかを取りもどせたよ

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          かぼちゃクッキー

          うどん、まいたけ、役立たず。きのうの自分をふりかえる。多和田葉子『献灯使』を読みはじめた。死ねない身体を授かった老人たちと自分で歩くことさえままならない子どもたちの物語。 物語では迷惑という考えかたが古いものとなり、子どもたち世代には「悲観しない」という能力が備わっていた。冬子は自分も悲観しないほうだと思っていたが、母の病気をはじめ、どうにもならないことというのはやはり悲しく、沈みこむような気持ちになった。でも悲観することが悪いこととは思わない。ひとりの時に吐きだすように悲

          かぼちゃクッキー

          少し先のコーヒー

          小豆粥、イイダコのおでん、カヌレ、炒り玄米茶。小川糸『ライオンのおやつ』で惹かれたものを書きとめる。 余命を告げられた主人公の雫が瀬戸内の島のホスピスですごす物語は、母の気持ちが知りたくて借りた。いまの母の状態は、がんばればまだ治るかもしれなくて、余命という段階ではない。でも、少なくとも冬子には、あらゆる練習が必要だった。 カキフライ、チキンラーメン、ショートケーキ。ひさしぶりだからおいしかったあ、と母はいい表情でいう。食べたいものが食べられることはうれしくて、しあわせな

          少し先のコーヒー

          Zeitverschiebung 時差

          まだコーヒーが飲めるだろうか、と時計をみると14時46分だった。ということは、香港は13時46分、パリは6時46分。冬子はふと、行ったことのある国の時間をおもうときがある。 香港について思い出せることは少ない。ウォン・カーウァイ監督『恋する惑星』の撮影場所に行った。夜、屋台で食べようとスケッチブックにそれらしきものを描くと、エビの素揚げがでてきた。「おやつはカール」に毛が生えたような絵はどこかに消えた。一緒に行った友人は結婚してからずっと韓国で暮らしている。 パリはバイト

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          フランスパンの頃

          ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』を読みおわり、母国語以外でも書く人としてすぐに浮かんだのは多和田葉子だった。家にある『変身のためのオピウム』は手製でつくられた本だ。 目次の前に一枚の絵がはさまれている。岸田劉生の「二人麗子図(童女飾髪図)」。流通している単行本のほうに絵はないが、冬子は岸田劉生のこの絵が物語によくあっていて気に入っていた。 『変身のためのオピウム』を棚に戻し、母の病院に行くため、江國香織『物語のなかとそと』をバッグに入れる。 診察室では手術をする方向で話

          フランスパンの頃

          やさしいせかい

          本の中にでてきたものを食べる、買ってみる。今年のやりたいことが冬子にもひとつできた。 年末年始に読んだ江國香織『ひとりでカラカサさしてゆく』では、バッカスとラミーを買った。話のようにこっちは好きだけど、こっちはダメ、と言いたかったのに、どちらもおいしかった。甲乙つけがたい。 そうして売り場を見わたすと、お酒の入ったチョコレートがいくつもならんでいる。チョコレートの日がもうじきやってくる。冬子はウイスキーボンボンが気になりはじめていた。 今日は山をとおって長谷へいく。クリ

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          願うことは

          去年の手帳をめくる。石田千さんは朝起きてラジオとストーブをつけると、顔も洗わず机にむかう。毎日三枚書くそうだ。 冬子は朝起きてエアコンをつけると、湯をわかし紅茶かコーヒーを淹れる。本を読む。紅茶はなにもいれずに飲み、半分くらいになったら豆乳をいれ温めなおして飲む。思いだしたことを書く。コーヒーを淹れる。また読む。一日のなかでいちばん好きな時間だ。 知佐子さんは飽きてしまったひとだ。生きることに。あらゆる欲がなくなるとはどういうかんじなのだろう。 冬子は欲のひとつ、食欲に

          願うことは