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息のつける場所

母の病院の帰り、パンよりも花よりも冬子に必要だったのは本だった。持ってきた本は上滑りするばかりで入りこめず、本屋で文庫を買った。選んだカバーの色が手帳とほぼ同じ色だったことに帰ってから気づき、ほう、と声が出る。

けれど、どんな食べものも自分で選択して口に運んでいる。
その事実に、ときどき胸が震える。

『わるい食べもの』


千早茜『わるい食べもの』を混みあうバスの吊り革にゆられながらぐんぐん読んだ。朝昼晩ベーグルを二個ずつ食べたら顔がベーグルみたいになった編集者や一日に二十個から三十個のケーキを食べる京都の洋菓子屋さんがでてきて、いろいろな人がいて、それぞれ好きなものを思いっきり食べていた。

母は来週の手術に向け絶食していた。点滴をつけながら歩いていたが、やはり今まででいちばんやせ細っていた。たっぷりあった脂肪が母をぎりぎり守っている。

ケーキを二、三十個食べる京都の洋菓子屋さんは十年前にステージ四のがんになってから、いつどうなっても後悔しないよう好きなものを食べると決めたらしい。母も手術をして回復したらまずなにを食べたいと言うだろうか、冬子はひたすらその日が待ち遠しかった。

みんな同じ外見ではないように、食への姿勢も味覚も人それぞれ違う。胃袋も味覚もその人だけのものだ。食べ過ぎようが、偏食しようが、食べてなにを思おうが、その人の勝手だ。自由という味を堪能する権利が人にはある。

『わるい食べもの』


先日、ロングトラックフーズのフルーツラムチョコケーキをホールで全部食べてしまい、ちょっと食べ過ぎだったか、とふと思うことがあったが『わるい食べもの』に出てくる人々の暴食ぶりにおおいに励まされた。

ベーグルみたいな顔を想像していたら食べたくなり、山を登って下りた先にあるベーグル屋に向かう。いつも濡れている岩のどこに足を置けばいいのか一瞬で判断しながら歩きつづけていると、なるようになるかな、と気持ちが落ちついてきた。

最近、北鎌倉にハード系のパン屋をみつけ、カンパーニュとリュスティックとクロワッサンを買った。空腹なので駆けこみます、と一礼して駆け込み寺といわれる東慶寺でクロワッサンをかじり、静かにうなる。冷えきっているのにこんなにおいしいなんて。

江國香織さんは本を読み、小説を書いて暮らしているので、現実を生きている時間より物語のなかにいる時間のほうが長いという。長さはともかく、冬子も本を読んでいるときと好きなものを食べているときはちょっとちがう場所にいる気がしていて、物語のなかやかたいパンのならぶパン屋はいつでも行っていい、現実ではない、息のつける場所であった。現実というものはそんなにいらないかもしれないと雪を見ながら冬子は思った。





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