こりん

気づき、言葉が腹落ちした瞬間などを書くのが好き。そして疲れたらどうでもよすぎることを書…

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気づき、言葉が腹落ちした瞬間などを書くのが好き。そして疲れたらどうでもよすぎることを書きたい。 つぶやき→ https://twitter.com/rira22504198724 先輩とふたりでラジオやってます→ https://listen.style/p/corin

記事一覧

どうでもいい話 れっきとした○I○I

私は大阪の生まれ育ちだが、大阪の難波に「○I○I」という百貨店がある。 読み方はマルイ。これが全国展開だと知ったのは東京に引っ越してきてからだ。 高校生くらいまで…

こりん
1か月前
5

帰省、妹の結婚、変わるものたち、人とのつながり

23歳の妹が、12歳年上の人と結婚した。 完全オリジナル結婚披露パーティーをやるというので、大阪に帰省した。 なかなか自由で、ナチュラルにクレージーな妹だが、お相手…

こりん
5か月前
72

今年の目標、身体と心の両輪で生きること

身体と心が一致しない。ばらばら。 こうすべきだと頭では分かっているのにできない。 逆に、すべきでないと理解しているのに、どうしてもそこに向かっていってしまう。 そ…

こりん
7か月前
17

新幹線から、1年の振り返り。

帰省の新幹線の中、1年よく生きたなあという確かな実感で満たされていた。 1年の終わりにこんなふうに充足を感じたことは今まであんまりなかったかも。 初めて実家を出て…

こりん
8か月前
7

世界と自分がつながっているような捉え方がすき。人を別個として考えるんじゃなくて、つながって世界を形成している感じ。

あれが得意な人は私の代わりにやってくれている。
辛いときは誰かの辛さを肩代わりしている。

人の能力も状態も、お盆の上の水が時々傾いて揺らいでいるようなイメージ。

こりん
10か月前
2

そう見せたい自分と、本当の自分と、他人から見える自分

私は昔から「そう見せたい自分」が強すぎる気がする。人と比べられないから相対的にどうなのかは知らないけれど。 小さい頃、学校に行けない日が多々あった。 なんで行け…

こりん
11か月前
10

「自分に還る」みたいな表現が気に入っている。

結局昔好きだったものが一番好きで、それを深めることで素敵な縁に巡り会えることが増えている。

子どもの頃の自分は、自分の好きな感覚をよくわかっている。
結局力を抜いて、余計なものを剥いで、そこに還っていくだけ。

こりん
1年前
4

言葉になるのはいつも遅いから、私は私の直感を信じようと思う。
理由も真実もいつもあとからちゃんと明らかになる。

自分がそう感じるというだけで根拠なく正しいと思える強さがほしい。自分を信じるってそういうことだよな。
それは自分の大切な人に対しても。

こりん
1年前
4

何も得なくていい、ただ傷つけられないこと

子どもと関わるとき、私が子どもにしてあげられることなんてあるんだろうかとよく感じる。 子どもにいわゆる「教育する」のがすごく苦手だ。 むしろ、どんどんできないこ…

こりん
1年前
7

ここに引っ越してきて、ここでしか会えなかった人、見られなかった景色、様々なものに感謝できる。縁を感じられる。

それはどこでも一緒なんだろうけど、きっと地元にいたら感じられなかった。いい感覚。

こりん
1年前
3

そうとしてしか生きられない私たち

自分の嫌なところによく似た人と縁があることが多い。 迷惑をかけられても、どこか「自分と似てるな」と思うと切り捨てられない。 自分なら同じ行動はしない。それでも自…

こりん
1年前
15

自分の求めているものがはっきりしないからピンとこない。

あらゆる分野で感じる。それでも、求めるものを言葉にしてしまうとそれは思い通りにしたいという傲慢さのような気もして、ゆらゆら流れるままにいたいとも思う。

辛うじて言うなら、流れに任せられるほど変な自我のない自分になりたい。

こりん
1年前
3

大人なんだから自分で決めればいいよ、と言うのは優しいようで残酷だと思う。

まともは確実に存在するのに、自分の意志で降りろと言う。
自分の限界も自分で決められない自分に嫌気がさす。そう思わされる。

でもこうやって人の厚意を曲げる時点で、だいぶ荒んでいるのもわかっている。疲れた。

こりん
1年前
3

「良いことを書き出す」とか「好きなところに目を向ける」とか言うけど、そういう小手先のポジティブで回収しようとしてもなお残るモヤモヤこそ価値があるんじゃないかと思ってしまう。

頑固なのでそういう日常を生き抜くヒントが効かないのかなんなのか。

こりん
1年前
6

最近、自分の頭の多動に、体が追いついてきている感覚がある。

頭と体を同じくらいのバランスで動かすのって大切だなと改めて感じる。
思い立ったらすぐ動ける身軽さが、確実に私を楽にしてくれている。

こりん
1年前
5

多分私の生きるモチベーションはずっと「しんどさから逃れること」で、不安定な時こそ、楽になりたくてとんでもないパワーを発揮する。
これからもきっとそうなんだろうな。

それを強いと表現してくれる人がいて嬉しかった。弱いがゆえに持てる強さ。

こりん
1年前
8
どうでもいい話   れっきとした○I○I

どうでもいい話 れっきとした○I○I

私は大阪の生まれ育ちだが、大阪の難波に「○I○I」という百貨店がある。
読み方はマルイ。これが全国展開だと知ったのは東京に引っ越してきてからだ。

高校生くらいまでこれのことを「おいおい」だと思っていた。非常にあるある。
誰かが「あれおいおいって読む人いるよな笑」と言っているのを聞いて「おっと危ない、堂々とおいおいって読むところだった…」と認識を改めたような記憶がある。
基本的に私はかっこつけでプ

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帰省、妹の結婚、変わるものたち、人とのつながり

帰省、妹の結婚、変わるものたち、人とのつながり

23歳の妹が、12歳年上の人と結婚した。
完全オリジナル結婚披露パーティーをやるというので、大阪に帰省した。

なかなか自由で、ナチュラルにクレージーな妹だが、お相手も変わっていて、支え合いながら愉快に暮らしているらしい。
妹は何も変わっていない。突き抜けていたら環境のほうが順応したのだ。
そういうのって最高、私の希望だ。

うちの神経質で心配症の母、保守的な祖父母、そういうものたちを振り切って祝

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今年の目標、身体と心の両輪で生きること

今年の目標、身体と心の両輪で生きること

身体と心が一致しない。ばらばら。

こうすべきだと頭では分かっているのにできない。
逆に、すべきでないと理解しているのに、どうしてもそこに向かっていってしまう。
そんなことが昔から多い。

頭でわかっているからこそたちが悪い。
むしろわかっていなければ楽なのに。
できない自分を責めてしまう、いや、もう責めるのも悪循環だからありのままを認めるべきだともわかっている。これもべき。全部べき。
メタ認知の

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新幹線から、1年の振り返り。

新幹線から、1年の振り返り。

帰省の新幹線の中、1年よく生きたなあという確かな実感で満たされていた。
1年の終わりにこんなふうに充足を感じたことは今まであんまりなかったかも。

初めて実家を出て東京に来た1年。

別にすべてがうまくいっているわけではないけれど、東京に来たことだけは正解だったと揺るぎなく思える。
そういう選択が私の人生の中にできたことが奇跡みたいに思える。すごいこと。

お金もないし特に行かなきゃいけない理由が

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世界と自分がつながっているような捉え方がすき。人を別個として考えるんじゃなくて、つながって世界を形成している感じ。

あれが得意な人は私の代わりにやってくれている。
辛いときは誰かの辛さを肩代わりしている。

人の能力も状態も、お盆の上の水が時々傾いて揺らいでいるようなイメージ。

そう見せたい自分と、本当の自分と、他人から見える自分

そう見せたい自分と、本当の自分と、他人から見える自分

私は昔から「そう見せたい自分」が強すぎる気がする。人と比べられないから相対的にどうなのかは知らないけれど。

小さい頃、学校に行けない日が多々あった。
なんで行けないのか自分でもよくわからなかった。頑張れば行ける気もするし、めちゃくちゃ嫌なことがあるわけでもなかった。
実際、休んだらまずい日や楽しみなことがある日は休まない。「このへんで休んでもいいか」と自分でちゃんと調整していた。

それでも大人

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「自分に還る」みたいな表現が気に入っている。

結局昔好きだったものが一番好きで、それを深めることで素敵な縁に巡り会えることが増えている。

子どもの頃の自分は、自分の好きな感覚をよくわかっている。
結局力を抜いて、余計なものを剥いで、そこに還っていくだけ。

言葉になるのはいつも遅いから、私は私の直感を信じようと思う。
理由も真実もいつもあとからちゃんと明らかになる。

自分がそう感じるというだけで根拠なく正しいと思える強さがほしい。自分を信じるってそういうことだよな。
それは自分の大切な人に対しても。

何も得なくていい、ただ傷つけられないこと

何も得なくていい、ただ傷つけられないこと

子どもと関わるとき、私が子どもにしてあげられることなんてあるんだろうかとよく感じる。

子どもにいわゆる「教育する」のがすごく苦手だ。
むしろ、どんどんできないことをできるようにしなきゃと駆り立ててしまうようでごめんねとこっちが謝りたいくらいだ。

できるようになりたいと思うことも、成長することも素晴らしいことだと思う。
ただ、できないことを理由に傷つけられることだけは絶対にあってはならないと思っ

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ここに引っ越してきて、ここでしか会えなかった人、見られなかった景色、様々なものに感謝できる。縁を感じられる。

それはどこでも一緒なんだろうけど、きっと地元にいたら感じられなかった。いい感覚。

そうとしてしか生きられない私たち

そうとしてしか生きられない私たち

自分の嫌なところによく似た人と縁があることが多い。
迷惑をかけられても、どこか「自分と似てるな」と思うと切り捨てられない。

自分なら同じ行動はしない。それでも自分の中にもある地続きの部分に、見ていると苦しくなってしまう。

でもそれはそれで、自分と重ね合わせて縁を感じたりして、それなりにそういう人間関係に深みを感じて楽しんでいた。

でも数日前の体験を通して、きっとそれはそう思いたいだけなのかも

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自分の求めているものがはっきりしないからピンとこない。

あらゆる分野で感じる。それでも、求めるものを言葉にしてしまうとそれは思い通りにしたいという傲慢さのような気もして、ゆらゆら流れるままにいたいとも思う。

辛うじて言うなら、流れに任せられるほど変な自我のない自分になりたい。

大人なんだから自分で決めればいいよ、と言うのは優しいようで残酷だと思う。

まともは確実に存在するのに、自分の意志で降りろと言う。
自分の限界も自分で決められない自分に嫌気がさす。そう思わされる。

でもこうやって人の厚意を曲げる時点で、だいぶ荒んでいるのもわかっている。疲れた。

「良いことを書き出す」とか「好きなところに目を向ける」とか言うけど、そういう小手先のポジティブで回収しようとしてもなお残るモヤモヤこそ価値があるんじゃないかと思ってしまう。

頑固なのでそういう日常を生き抜くヒントが効かないのかなんなのか。

最近、自分の頭の多動に、体が追いついてきている感覚がある。

頭と体を同じくらいのバランスで動かすのって大切だなと改めて感じる。
思い立ったらすぐ動ける身軽さが、確実に私を楽にしてくれている。

多分私の生きるモチベーションはずっと「しんどさから逃れること」で、不安定な時こそ、楽になりたくてとんでもないパワーを発揮する。
これからもきっとそうなんだろうな。

それを強いと表現してくれる人がいて嬉しかった。弱いがゆえに持てる強さ。