見出し画像

新幹線から、1年の振り返り。

帰省の新幹線の中、1年よく生きたなあという確かな実感で満たされていた。
1年の終わりにこんなふうに充足を感じたことは今まであんまりなかったかも。

初めて実家を出て東京に来た1年。

別にすべてがうまくいっているわけではないけれど、東京に来たことだけは正解だったと揺るぎなく思える。
そういう選択が私の人生の中にできたことが奇跡みたいに思える。すごいこと。

お金もないし特に行かなきゃいけない理由があるわけでもない東京行きを、直感と勢いで決めた。

計画を立てたりメリットを整理することなんかより、いつもずっと正しくてかしこい私の直感とフィーリング。

新幹線から見える曇り富士山。全体像が見える機会って意外と少ない。

東京から大阪間の車窓はいい。
定期的に日本横断ができる大義名分を得ただけでも、東京に来てよかったなと思える。
移動しているときって気分が安定する、私だけ?

実家で暮らしていたときは、そこはかとなく何か不安だったのかもしれない。
何もできない、決められない自分、不安定な自分、いつも何かに依存している自分。
もうここでしか生きられない気がしていた。

何もできない不器用で不安定な自分でも、遠く離れた地で、楽しくひとりで暮らすことができる。
そのことが確かに自信につながっている気がする。

自分の過去のつぶやき。
この「自分ならまあ大丈夫だろう」っていう足元からしっかりする感覚が、ずっとずっとほしかった。
それを今年は少しだけ、自分の手で手に入れた実感がある。

でも過去にほしかったものってきっと、無意識にたくさんもう手に入ってるんだろうな。

今年は意外と大丈夫な自分、強い自分にたくさん出会えた。自分のペースで「できる」を積み重ねられた。
自分の生活、自分の住む街に対して主体性を取り戻した感覚がある。

この「取り戻した」感覚が今年の振り返りのキーになる気がしている。
私は新しく変わったんじゃなくて、自分の中にあったものを少しずつ発掘している、本来の自分を生きやすくしてやっている、そういう感覚。

そして、私は全体的にそういう生き方をしているんだなということも。

9月の自分のツイート。

私が掘り起こしているのも、純粋な探究心からというよりは、自分にかかった呪いから解放されたい、辛さから逃れたい気持ちが大きいんだろうな。
でもそういう、血まみれで進むような生き方だからこそできることもあるんだな、と最近は何となく思えている。

「自分の中になんか光ってるものがあって、それを追い求めてる」「主人公的」というような言い方で表現してくれた人もいた。すごく嬉しかった。

私が心から嬉しいと思える言葉、表現をもらえるってすごいことだ。
褒めてもらえるのはいつでもありがたいけれど、そう思ってもらえていることが心から嬉しいと思える言葉に出会えることって、そんなに多くない。そういうことが、少しずつ今年は増えた。
表面だけじゃなくて、自分のことをわかってもらっていると感じられるような。

それはきっと、自分の生きづらさやこだわり、理想、考えていることなどが少しずつ人に伝えられるようになったからなのだと思う。


東京に来て、新しく出会った人たち、それから再び縁のあった人たち、場所は変わっても変わらず仲良くしてくれている人たち。

私のいいところはいつも人に恵まれているところだけど、ここに来て特に、いまの私に合う人と出会えるようになった。
再会、距離が近くなったことなども含めて。

中学からの友達に久しぶりに会ったとき。
私が「頭と心が分離している」「こうすべき、とこうしたい、がいつも違う」と悩みを話したときに言ってくれたことが忘れられない。
下半期のベストワード。

「人生ってX軸とY軸だけじゃなくて、Z軸、奥行きがあるねん」

深いな、と感銘を受けてしまった。私がぐるぐると考えていた様々なこととカチッとはまった。

同時に、中学から自由奔放で目が離せなかった彼女が、生き方の話をしていることも不思議だった。
みんな、生き抜く方法を見つけている。そのことにすごく励まされた。
新しく出会う人だけじゃなくて、付き合いの長い人の変化や、知らない一面と出会うのはいつだって嬉しい。

彼女のZ軸の話について話すと「自分にとってそれは創作」だと話してくれる人もいた。
今の私に必要な挑戦をさせてくれる人、たくさんの生きるヒントをもらった。
昔から仲良くなりたいと思っていたし、また会いたいと思ったらドンピシャで今の私に必要な人だった。
私の直感はやっぱり鋭い。

職場のつながりでも、心のうちや日々の違和感などを話せるようになった人がいる。
驚くほど共通する感覚のある人に出会うと、呼ばれてたんだなと思う。重いけど。
だってそんなの、人生でなかなか出会えない。

私の人との出会い方が少しずつ変わってきたのかもしれない。
人だけではなく、見るものや街、初めてのこととの出会いも含め。
それは私の変化でもあるし、東京に来たおかげだと遡って感謝することも多かった。

これは今までになかった。不思議な感覚。
私が今、ここにいることは当然じゃない。それはいつでもそうであるはずなのに、全く違う土地に行くと改めて強く実感した。

遡って感謝する感覚って悪くない。私を東京に連れてきたもの、私にこういう考えをくれたもの、私をこうやって育てたもの、全部のおかげだという気がするから。
もはや全肯定。

今年も血まみれで生き抜いた私を支えてくれた人たち、同じ時間を生きてくれた人たちに感謝。

来年は私のZ軸を見つけることが目標です。
生き抜く方法を見つけたいな。
ずっと東京に住む気も、ずっと今の仕事を続ける気もあんまりしていない。それを悲観的ではなく、仄かに明るく感じている。
来年もふらふら生きていきたいな。

最近は文章が全然まとまらなくて全く書けなかった。振り返りも、ものすごく時間がかかってしまった。
年の終わりという節目があってよかった。
まとまらないまま、言葉足らずのままにする勇気は大切だ。

時間の濁流に押し流される前に、どうしても今年について書きたかった。
深夜の静まり返った実家、ひとつ幕を下ろしたような気持ち。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?