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上手くやってる感を出しすぎない
すごく幼稚なテーマかもしれないけども、意外とそういう小手先のテクニックも平和に生きていくためには必要なんじゃないかと思う。
むしろ簡略化、単純化されていない有機的な社会においては、みんなそれぞれの小手先術を駆使してなんとか乗りこなしているのではないか。
というわけで、今回のテーマはやってる感を出しすぎない。短い文章になるかな。
これは自分自身が人に対して思うこともあるし、人から感じるこ
基本役に立たないたまに立つ知恵の記録:1 「伊豆で化石掘り」
先日、仕事が落ち着いて久々の海さんぽチルをした。場所は下田の白浜。基本的なチェック事項といえば、流木・レア石・流れルアー・流れワカメ・シーグラス・植物・貝殻といったところだろうか。
砂浜をトボトボ歩きながら、上にあげたチェック事項を本能のままに観察採取する。たまに、「あの人昼間からなんで浜散歩してるんだろ。仕事してんのかな。」って思うことがあるだろう。それは僕だ。
そんなこんなで、白浜のな
干し柿作業とデジタルデトックス(映画:ブラッド・ダイヤモンドの話もあるよ)
秋といえば、柿。その中でも、渋くてそのままでは食べれたもんじゃない渋柿。これの皮を剥いて干すと、乾燥と同時に渋も抜けて、トロッと甘いデザートの完成。
小さいころからちょこちょこ食卓に並んでいた記憶があるが、いかんせん食感が苦手で受け付けなかった。その記憶のせいか、今もほとんど口にしない。
しかし、今年に限ってはなんだか美味しく食べられそうな気がしている。
今年の春から本格的に田舎にUター
縄文人に"やばい"って言わせたい(君たちはどう生きるか)
解釈無しで分かるやばさ。自然と関わると、そういった場面が節々にある。最近で言うと、でっかい波を食らった時など。"うっわやっば"となる。
私が縄文土器に魅了されたのはその"やばさ"なのである。
一時期血迷った私は、縄文土器を解釈しようとしていた。この模様はこれを模写してるとか、こういう意味だとか。しかし、解釈しようとすればするほど興醒めしてしまう自分がいた。
最近『君たちはどう生きるか』という
満たさせてはくれない社会
現代における大抵の商売は、食って寝るというもっともシンプルな生きるということとはかけ離れている。IT?無くても生きれる。デザイン?なくても生きれる。ディズニーランド?なくても生きれる。
それらは、ただ生きることに必ずしも必要不可欠ではないが、人生をある種豊かにしてくれる。豊かであるという定義は、人それぞれ千差万別だが、豊かさのゴールは極めて曖昧である。
あれが手に入れば次はこれ、あれが食べれ