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花は、下品だよ。

俺はまだ花を好かん。

だって下品じゃないか。性器を丸出しにして。

エロとグロは直接本能に訴えかけてくる。だから、人の心を簡単に揺さぶり、掴むことができる。
そんな簡単に掴まれる奴も大概だが、いかんせんこんな忙しくて厳しい世の中じゃ、そんな手っ取り早い刺激を求めてしまう気持ちもわかる。なんてったって俺自身、脳を停止させて観れる"特攻野郎Aチーム"みたいな映画が何かを満たしてくれる日常を彷徨っている。

花はエロい。だから、人をぐっと寄せ付ける。だからこそ、俺は拒絶反応を起こす。「おっパブいかがですか」みたいな分かりやすい誘惑をされると、なんだか逆に行きたくなくなる感覚だ。

でも最近その解釈が大きく変わった。というより、エロいだけなのは興醒めだと感じることに変わりはないが、その直向きな性(生)を見つめた時に新たな気づきがあった。

いわゆる"お花畑"を思い浮かべて欲しい。緩やかな丘を成す平原に、小さな花が無数に咲き誇り、本当に天国が存在するならこういう感じだろうと納得するような景色。

あの景色はどうやら高山地帯特有のらしい。なぜなら、高山地帯は植物が元気な暖かい時期がとても短い。そのため、その短い期間で可能な限り多くの子孫を残す必要がある。それを知ってか、高山地帯の植物たちは一斉に花を咲かせ、大乱交パーティーを開催するのだ。

なんてお下品なんだ!!!!

3人ですることさえアブノーマルな人間の感覚でいえば、数千万単位の乱交パーティーは常軌を逸しているだろう。なにを言っているのか。

ましてや、相手は誰でもいいらしい。とりあえずぶちまけて、風にまかせ出来るだけ遠く、出来るだけ多く種を実らせる。倫理観のかけらもない。

そう、花には倫理も、生きる意味もクソもないのだ。ただ、生きる。直向きに。

そして、時が経てば、直向きに死ぬ。

その潔さ。儚さ。侘しさ。寂しさ。そこに美を見出しつつあるのだ俺は。

日本人的な美的感性の一つの要因として、「矛盾」が挙げられると思う。その際たるものが生と死。あらゆる生命は、死ぬことが確約されていながら、この世に生まれ、生きようとあがく。

その無情さというのか、貪欲さというのか、分からないが、なんだかその辺りに美しさの根源があるような気がする。

そしてその美しさが。決して花そのものを切り取るのではなく。花とそれに付随する不可逆的な時の流れ、諸行無常の響きの中に、美しさを見出しつつあるのである。

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