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縄文人に"やばい"って言わせたい(君たちはどう生きるか)

解釈無しで分かるやばさ。自然と関わると、そういった場面が節々にある。最近で言うと、でっかい波を食らった時など。"うっわやっば"となる。
私が縄文土器に魅了されたのはその"やばさ"なのである。

 一時期血迷った私は、縄文土器を解釈しようとしていた。この模様はこれを模写してるとか、こういう意味だとか。しかし、解釈しようとすればするほど興醒めしてしまう自分がいた。

最近『君たちはどう生きるか』という映画を見た。まじで訳がわからなかった。ところどころ、伏線的な何かがあることで、余計に訳がわからない。そうやって解釈しようとして、訳がわからなくなる自分をふと俯瞰したときに、「宮崎駿は結局、"やばい"でいいじゃん。」って考えてるんじゃないかと思った。

 宮崎駿作品には、総じて自然や大いなる存在へのリスペクトが感じられる。縄文時代、人間と大いなる存在が共存していた時代。(実像として存在していたかは別として)
 人間のこれからの生き方として、人間が想像・理解できる範疇を超えるモノが確かに存在し、それをそれとして受け入れる心構えが大切だと教えてくれているのではないかと感じた。

 宮崎駿監督作品然り、縄文土器然り、言葉を介さない魂のゆらぎを素直に受け止め、ただただ深く感じるセンスを磨きたい。
 そして、自分自身の手で、いや、自分自身の手を介して大いなる存在の助けを借り、縄文土器に"やばい"と呟かせるような作品を作ってゆきたい。

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