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上手くやってる感を出しすぎない

 すごく幼稚なテーマかもしれないけども、意外とそういう小手先のテクニックも平和に生きていくためには必要なんじゃないかと思う。
 むしろ簡略化、単純化されていない有機的な社会においては、みんなそれぞれの小手先術を駆使してなんとか乗りこなしているのではないか。

 というわけで、今回のテーマはやってる感を出しすぎない。短い文章になるかな。

 これは自分自身が人に対して思うこともあるし、人から感じることもある。ずばりそれは、"器用に"、"いい感じに"、乗りこなしすぎない。いや、乗りこなしていることをバラさない。ことが結構大事だと思う。

 どうしても自分が上手く乗りこなせてない時に、となりでスカした顔されると腹が立つ。もしくは、そんなに余裕あるなら俺の荷物も持ってくれよ!って気持ちになる。
 その人なりに試行錯誤して、やっと辿り着いた心地よい空間・心持ちなのかもしれないのに、なんだかそこを上手くハンドルした人が不条理にも引きずり下ろされる感覚を、ひしひしと抱くのは僕だけだろうか。

 すなわち、バレないように"こっそり"と心地よくなっている必要があるってことである。
 とはいえ、こっそり心地よくなってる事がバレたときはもっと酷い仕打ちを受ける可能性があるので、極めて慎重に進めなければいけない。

 知らぬが仏とはまさにこのこと。見たくないものを見ない、のではなくて。見ない方がハッピーなら、見ないという選択肢を選んでも良いのではないかという、自分への問いかけである。ポジティブに「知らない仏」を目指していこうかなと。

 いやはや、これが大人になるという事なのか。間違っても、「知りたくない仏」にはならないようにしたい。

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