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立春

日本には二十四節気という節目がある。一年を陽が上り沈むサイクルだけでなく、自然現象や生き物の気配から変化を捉える。

そして間も無く、日本は立春を迎える。日本と言っても、沖縄と北海道では誤差があるだろう。昔の人たちは、何月何日になったら春という捉え方ではなく、ただ"感覚"でその節目を感じていたと思う。

俺は今年初めて立春を感じた。まだめちゃめちゃ寒い。裏庭では、何気なく置かれたキリンのグラスに、いつの間にか溜まった雨水が凍っていた。夜には、たばこを支える指が悴んで言うことを聞かない。

でもなんだろう、植物の芽吹きか、匂いか、地球の声か。布団をはぎ立ち上がるまではいかないが、二度寝しようかとゴソゴソしているような、そんな気配を微かに感じる。

一昨年だっただろうか、富士山は須走口の遊歩道にて、天然のキノコ刈りをした。そこでの事で良く覚えているのが、分厚い苔の絨毯からひょっこり顔を出すタマゴタケに出会ったことと、森の強烈な静寂だ。

街で暮らしていると、あらゆる生活音からも逃れることは出来ない。その鼓膜を圧迫するような静寂は、俺の意識を内側へと深く導くと同時に、些細な物音に対する感度を鋭く研ぎすませる。

そんな環境に身を置けば、寝ぼけた春の小さな声にも気づけるのかもしれない。
そんな繊細な暮らしを、微かな聲を享受できる豊かな暮らしをしてゆきたい。

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